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Snow‘s Score  作者: 無駄に哀愁のある背中
6/8

好機とは突然に、そして非情に

     △

 彼女と出会い、半年が過ぎていた。十一月の寒い時期に出会ったのに、もう五月。春を迎えるのがかなり遅いこの山にも山桜が咲き、春を感じさせていた。俺と彼女の仲はかなり近いものになっていた。半同棲のような生活、こんなにも早く深い関係になれたのはこの田舎という半閉鎖的環境に起因してるんだと思う。でも、ふたりの間には一般的な恋人だったり夫婦のような営みはなく、どちらかといえば兄妹に近い関係だった。その現状に不満があるわけでもなく、むしろその関係に喜びを感じていた。そんな日々の中、五月の中旬、珍しく実家から速達で封筒が届いた。郵便屋がわざわざ来るなんてのも珍しく、そのとき家にいた彼女と一緒に開封することになった。封筒を開けると、中には一回り小さい封筒と一枚の紙が入っていた。とりあえず、紙の方を読むと母さんの字で、すぐにもうひとつの封筒を読むようにと書いてあった。もうひとつの封筒は墨田椋乃先生からのものだった。中には手紙とチラシが入っていた。


 才葉楠雄様へ

 才葉君は元気にしていますか? ちょっと用事があって、ご実家にお手紙を送らせていただきました。率直に要件をお伝えします。一緒にコンサートに出てください! 実は今度、弦楽器カルテットで演奏会をすることになっていたんだけど、ヴァイオリンの一人が急用で参加できなくなってしまって、ヘルプも捕まらなくて……。そこで申し訳ないんだけど、あなたの才能を見込んで頼みたいの! 今、才葉君はオーケストラを休職しているのは知っていますが、それでもお願いいたします。いい返事待ってます! 返事は私のパソコンのメールアドレスに送ってもらえると嬉しいです。

墨田椋乃より


 彼女は手紙を読む俺の様子を見ていた。読み終えた頃、彼女は話しかけてきた。

「墨田椋乃さん……って、あの音大の恩師の人?」

「うん。なんでも、カルテットのメンバーが一人、かけてしまったらしい」

「それで、楠雄さんにその代わりを?」

「うん、そうみたい」

「曲目は?」

「えーっと……」

 俺は一緒に入っていたチラシに目をやった。

「モーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』とシューベルトの『死と乙女』とルロイ・アンダーソンの『プリンク・プランク・プルンク』、で、ドヴォルザークの『アメリカ』だね」

「ふーん、『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』以外はわからないや」

「でも、聴いたことあると思うよ! だって、俺も練習してたのもん!」

「そっか、だったら聴けばわかるかも! で、楠雄さんはどうするの? 参加するの?」

 正直、乗り気ではなかった。この感じだとセカヴァイしかやらせてもらえなさそうだし、せっかく上手くなったと思っているのにセカンドなんて嫌だなんて思っていた。それにセカンドの譜面はあんまり練習していないというのもあった。

「やめようと思ってる」

「なんで!」

 彼女はすぐに立ち上がった。

「いや、別にいいかなーなんて思って」

「せっかく、恩師の人からのお願いだよ! 行きなよ!」

「う、うーん……」

 そのあとはずっと彼女に出るように説得され続けた。結局は彼女に押し切られる形で、参加することにした。まあ、恩師の墨田先生からのお願いだし、受けるに越したことはないんだけど。返事のメールを書くとすぐに返信が来た。練習日程についてのことだった。俺にとっての一回目の練習はすぐそこだったため、もう荷造りを始めなくてはいけなかった。

「あのさ、その練習の期間はずっと東京にいるの?」

「うーん、こっちに帰ってくるのは面倒だから、向こうにいるかも。その間は由紀ちゃんは一人ぼっちかも……大丈夫?」

「さみしいけど、大丈夫だよ! ところでそのコンサートはいつ?」

 コンサートまでは一ヶ月もなかった。引き受けたはいいものの、本当に時間がない。まったく墨田先生も無理を頼んできたな。

「六月の二週目の日曜日だね。あと、四週間もないや、猛練習しなくちゃ」

「じゃあ、私も体の調子がよかったら行けるね!」

「え? 来てくれるのか?」

「うん! 行けるなら行く! だって、楠雄さんの休職期間明けの最初のコンサートだもん!」

 彼女は笑顔でそう言ってくれた。正直、面倒くさいで埋め尽くされてた心にやる気がみなぎってきた。一生懸命に演奏するぞ!


     △

 久々の都会だった。実家は立川にあったせいで、たまに田舎から実家に帰っても区内のような都会に行かなかったため、本当に久々の都会だった。練習をするスタジオの最寄駅に墨田先生が迎えに来てくれた。

「久しぶりね、才葉君!」

「ええ、お久しぶりです、墨田先生!」

「あのあと、ご実家に電話をし直したら、あの時は田舎にいたんですってね」

「ええ、まあ」

「芸術家らしく、武者修行ってとこかしらね?」

「はい、そんな感じです。少なからず収穫はありましたね!」

「なんか『セロ弾きのゴーシュ』みたいでかっこいいじゃない!」

「そういえば、どうして俺がヘルプで?」

「ああ、それは……」

 なんでも、先生は大学の先輩に誘われてセカンドヴァイオリンとして、カルテットに加わったらしい。ほかのヴィオラもチェロの人も先生が連れてきたらしい。でも、突然その先生の先輩が外国での演奏会の依頼が舞い込んできて、自分が企画したこっちを蹴って外国に行ってしまったらしい。そんな先生の愚痴をひたすら聞いているうちに、スタジオの入口についた。俺はそこでカルテットのメンバーに出会った。どちらの人も先生と同じくらいの年齢らしく、年上だった。チェロの人は男性で、入ってきた俺を見て、ヴィオラの女性に耳打ちをしていた。まあ、おそらくこんな年下で大丈夫なのか? みたいなことを話していたんだと思う。

「じゃあ、早速だけど、腕前を見せてあげて!」

 墨田先生はそう言った。ちょっと戸惑いながら、ヴァイオリンを準備した。

「先生、どれのセカヴァイを演奏すればいいですか?」

「なにを言ってるの? せっかくだからファースト弾きなよ!」

「え!」

 え! っと思ったのは俺だけじゃなくて、ヴィオラとチェロの人もだったようだ。

「え、でもメールには……」

「いいの! とりあえず、『アメリカ』のファーストの第一楽章から!」

「え、ああ、はい」

 とりあえず、俺はいつも通り首にヴァイオリンを当て、首に出来たタコに当たるように密着させる。何度か首を揺らして、顎当てが首にフィットしたのを感じるとネックに当てている手のひらを一度離して軽く着ている服でその手のひらを拭く。それをすると、墨田先生はちょっと笑った、いつも俺がやっているからだと思うが。


 弾き終わり、集中した状態をとくと、みんななにも喋らなかった。俺はやらかしたと思った。武者修行の結果が失敗を導いたのかと思い、心の中で強く落胆しかけたところに音が聞こえた。

 パチパチパチパチ

 それは拍手の音だった。チェロの男性がし始めて、続いてヴィオラの女性、最後に墨田先生がしだした。すると、チェロの男性が話しかけてきた。

「初めまして! 僕は墨田と同期のチェロ弾きの西村新って言います。よろしくね。その腕どこで磨いたんだ? というか、なんで今まで埋没してたんだ?」

 笑いながら話しかけてきた男性の声は入ってきた時の小声をとは、まったくことなり友好的だった。

「えっと、初めまして。俺……私は才葉楠雄って言います。墨田先生が着任してからすぐの生徒でして……よろしくお願い致します。えっと、ヴァイオリンは最近ちょっと修行が一段落着いたところでして、なんとも」

「謙遜ができることはいいことだが、音楽家たるもの自分をセールスすることも大事だぞ」

 と言われて、腰を軽く叩かれた。すると、次にヴィオラの女性が話しけてきた。その声は西村さんと同様、声に変化があり友好的だった。

「私は椋乃さんの一年下の後輩の冨田絵美って言います! よろしくね」

「はい! よろしくお願いします」

「じゃあ、一通り挨拶も終わったとこだし、軽く役割分担の話をするね。才葉君に『アメリカ』と『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』のファーストをやってもらって、残りは私がファースト弾きます。じゃあ、練習始めましょう! 今日はとりあえず、新参メンバーもいますから、全部一回ずつ通して、余った時間で良くなかった一部は合わせ直して、その他のうまくできなかった部分は後日やりましょう。じゃあ、スタート!」


     △

 その一日目の練習の後、引き受けてくれたお礼とかで、墨田先生がご飯に連れて行ってくれた。

「今日は私のおごりだから、遠慮せずに食べてね!」

「あ、はい。ありがとうございます」

「ねぇ、ところでいつの間にあんなに上手くなってたの?」

「え?」

「とぼけないでよ。一応、私だって先生の立場なんだから、わかるわよ。どんな指導者がついていたの?」

「うーん」

「あのさ、私はあなたに言ったじゃない? あなたの大学時の演奏は素晴らしかったって。そして、オーケストラでの演奏は安定していて上手くなってたけどあなたらしさがないとも言ったでしょ? さっきのあなたの演奏は『あなたらしさ』があった上に『安定感』があって最高の演奏だったわ。いや、その二つを組み合わせただけじゃ演奏できないレベルに仕上がってた。どんな人に教えを請うてたの?」

「えっと、誰にも教えてもらっていないんです。でも、一人ずっと聴いてくれる人がいました。その人は素人でしたけど、たまにいう感想がとっても意味があって、それを参考にしているうちに」

「うーん……それに、あなたが演奏を始める前の癖、あれもちょっと変わってた。指板や譜面を気にしすぎるクセがなくなってた。本当にこの一年弱の間になにがあったの?」

「いろいろありましたが、特にすごい練習をしたわけじゃなくて、その人の前で演奏していただけなんです」

 先生は一息着き、少し考えているようだった。

「その人はどんな人だったの?」

「不思議な人ですよ。なんか曲の感想を味に例えてくるんです。最初は難解でよくわからなかったんですが、そのうちなんとなくわかるようになって、そうしたらグングンとコツを掴んでですね……」

「シ、シナスタジア……」

「シナスタジア? それは一体?」

「共感覚って言われるもので、何かの感覚を違う感覚でも捉えられる人の感覚のこと。芸術家に多くてね。料理人が食の感想を景色という視覚に捉えたり、私たち音楽家が曲を色として捉えたりするようなことよ。私たちはたとえるって感じだけど、本人たちからするとそれが普通らしいの」

「そんな人がいるんですか!?」

「ええ、もしもそうなら、すごい人に聴いてもらっていたのかもね」

 そんな話をしていると料理が来始めてしまい、話は終わった。彼女はもしかするとそんな素晴らしい力の持ち主なのかもしれない。


     △

 たった四回の練習と一回のリハーサルである程度形になったカルテットはコンサートに望むことになった。今回のコンサートは一番の売りが抜けてしまったメンバーなので、一部は返金を求めるお客さんがいたが、俺以外のほかのメンバーもある程度名のある人たちなので、いなくなったお客さんの席も新しいお客さんが入ることで席は満杯だった。一席を除いては……。そこは俺が彼女のために用意した席だった。会場の入口が見えるところでずっと待っていたが彼女はやってこなかった。俺はその日のコンサートをそこに彼女がいると思い演奏をした。無我夢中に演奏をした。でも、やっぱり、彼女がそこにいないのは事実だった。


 コンサートはこれといった失敗はなく終了を迎えたが、俺の心には彼女が気がかりまま残っていた。タキシードから私服に着替え、打ち上げに行こうとしていた時に、携帯の電話がなった。なんの気無しに携帯の電話番号表示を見ると、それは彼女からだった。急いで電話に出た。

「もしもし? 由紀ちゃん? え……申し訳ありません? どなたでしょうか?」

 その声の主はどう考えても年上で彼女のものではなかった。それは彼女の母親からの電話だった。俺はその要件を聞きまさに膝から崩れた。そして、「すぐに行きます」ということだけ告げた。墨田先生に何度か謝り、すぐに車にのってあの田舎の近くの病院に向かった。


     △

 病院に着いたのは十一時頃だった。田舎の病院だったので規制が厳しくなく、面会時間でもなくても病室まで行けた。すると、ベッドに横になる彼女とその横に居る初老の女性がいた。すると、点滴に繋がれた彼女は俺を見ると、弱々しく言った。

「あ、楠雄さんだ」

 俺は駆け寄り、その初老の女性にお辞儀をした後、横にあった丸椅子に座った。声は弱々しかったが意識はしっかりしていて、元気ではなかったが俺に気を使ってくれた。少し談笑したあと、その初老の女性と一緒に一度エントランスまで降りた。そして、少しその人と話をした。

「初めまして、呼び出して申し訳ありません。由紀の母の祥江といいます」

「初めまして、才葉楠雄と言います。由紀さんとは家が近所ということでお世話になっていまして……」

「はい、娘からよく話を聞いていました。それで呼ばせていただきました」

「あの、彼女は大丈夫なんですか?」

「……なんとも……。これまでの発作はちょっとしたものだったんですが、今回のはかなり異なっていて、いつ……死んでも……」

 彼女の母親は目に涙を浮かべた。俺はなんにも言えなかった。そう、なんにも言えなかった。何にも……。

「あの、才葉さん、一対一で会ってあげてくれませんか?」

「……はい」

 俺は降りてきた階段をもう一度あがり、彼女のいる病室に入った。すると、彼女は俺を笑顔で受け入れてくれた。

「戻ってきてくれた」

「うん。大丈夫かい?」

「……あのね、楠雄さんには正直なことを話すね」

「うん」

「私もこの病気になってから長いし、わかるんだ。自分の死期って言われるものが……。お母さんもお父さんも『全然大丈夫だ』って言ってるけど、私には分かっちゃうんだ」

 また、俺は無言になってしまった。

「だからね、私はこんな状態だけど、自分のやりたいことを少しでも叶えようと思うの。だから、楠雄さんも協力してね。約束!」

「……うん」

「ねぇ、それは置いておいて顔になんか付いてるよ」

「うん? どこ」

「右のほっぺた!」

 俺は右の頬を軽く撫でた。

「取れた?」

「取れてない、もう! 取ってあげるから、顔を寄せて」

「う、うん」

 彼女は俺の右頬に手を当てると、体を軽く起こして俺の顔に顔を寄せた。そして、そのままキスをした。少し長いキスだった。いや、長く感じるキスだった。顔を離した彼女は真っ白な頬を真っ赤に染めていた。その次の瞬間、俺の呆然とした顔を見ながら、クスッと笑うと言った。

「私のやりたいこと、一つ目! 叶っちゃった。ありがとうね、楠雄さん」

「え、あ、うん」

「じゃあ、ついでに私のやりたいことのほかの二つを言うね! 一つ目は『世界的に有名になったヴァイオリニスト才葉楠雄のソロCDを聴くこと!』 二つ目は『世界的に有名になった才葉楠雄のサインを直接もらうこと』。 わかった? 一緒に叶えてよね!」

 目に溜まった涙がついに出てきてしまった。俺は腕を目に当てて、涙を隠しながら言った。

「う、うん」

 彼女は泣く俺を少し笑っていた。彼女の笑顔がこんなにも愛おしくてでも辛かった。なぜ彼女がいなくなってしまうことを想像してしまうんだ? なんで……? なぜこんなにも辛いんだろうか?

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