田舎の生活とその中で
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田舎の生活っていうのは案外、都会と変わらないものだった。洗濯機だってあるし、冷蔵庫もあるし、風呂まである。まあ強いていえば違うのは、コンビニが歩いたところになくて、夏だっていうのに外は涼しいってことだ。毎日毎日、車で30分かけて山を降りて買い物なんてことは出来ないから、木曜日の昼間に一週間分の食料を買って帰る以外、山を降りることなんてほとんどない。
基本の生活スタイルは、朝は9時に起きて、卵とかベーコンで簡単な料理を作って食べて、その後、ダンボールに大量に詰まったスコアを適当に一冊新しく引っ張り出して、昼まで練習。その後、昼飯を食べることもあるが、結構な確率で抜かすことがある。飯を食っていても食っていなくても散歩をする。なんにも考えず、なんとなく山間の道を進んでいく。東京からトレッキングシューズを持ってきてよかったとよく思う。毎日、ほとんど変化しない道を歩いていても、一日一日でホントに小さな変化がある。それは葉が虫に食われていることに気がついただけかもしれないし、花が開き始めているだけなのかもしれない。でも、そんな小さな変化がこの田舎暮らしにおいて、ヴァイオリンの上達に以外の唯一の楽しみだった。散歩は基本一時間半。それが終わればまた朝取り出したスコアを弾いていく。適当な時刻に夕飯を食べて、またそのスコアを弾く。そして、寝る前になると二つのダンボールのうちのどちらかにスコアを入れる。一つは自分が満足したと思ったスコアを入れるためのダンボール。もう一つはまだまだだと思ったスコアだ。基本どれもどこかで弾いたスコアだから半日かければ勘は取り戻す。しかし、俺の夢は昔のどんな曲にも満足していなかった自分に戻り、あの時のアイデンティティを手に入れることだ。だから、いつも一日さらったスコアはほぼすべてが後者のダンボールに詰まっていく。かれこれここで、六月十日から四ヶ月こんな生活をしているが、前者のダンボールに入っているスコアはたったの二冊。いい意味で昔の自分にゆっくりではあるが戻っていくのを感じる。
朝九時から昼までの三時間、散歩帰りから就寝の十時までの夕食と風呂を抜いた六時間、合計九時間の毎日のヴァイオリンの練習は非常に有意義なものだった。単調であるために辛くなってやめたくもなることもあるが、そんなときは日記を見返す、とここに来た意気込みやヴァイオリンの上達、これまでさらった曲、すべてがわかる。小学校の時、ヴァイオリンの先生に言われて嫌々つけていていたヴァイオリン日誌を思い出す。確かにこうやっていると、久しぶりに見返すと楽しい。そんな今日も指が疲れたので、日記を読み返すことにした。
◇六月十日
とても久しぶりに日記をつける。今日は朝早くに東京をでてこちらに来て、あらかじめ送っておいた荷物を午前中に整理をした。東京から持ってきた電子レンジはこちらでは最強の武器になりそうだ。とりあえず、今日決めたことをここに記そうと思う。
まず、日課! 朝は九時起き。飯を食ったら、ずっとヴァイオリン。昼になったら飯、またさらって夕飯とお風呂。また、ヴァイオリンを弾くって感じで行こうと思った。幸い、隣(歩いて二分くらい)の家に挨拶に行ったが、まったく返答がなく叔母さんや母さんが言うとおり誰も住んでない空き家のようだ。せっかく買ってきた挨拶のお米券は自分で使うことにした。
次に練習について! 朝、東京から持ってきたスコア用のダンボールから適当に一冊取り出して、一日ずっとそれを弾く! スコア(とコピー)は全部で100冊近くある。小学校の時からプロまで、練習した曲が残っているものは全部詰まっている。で、その日の終わりに満足した時に入れるダンボールとまだまだと思った時に入れるダンボールのいずれかに入れる! まあ、今日は忙しかったし、小学校の時に弾いていた童謡がたくさん書いてあるスコアを二冊、大学で培ったアレンジの技術でかっこよく弾いてみた。今日は満足したから、満足した時用のダンボールに入れた。大学時代はこんな童謡じゃなくて、クラシックの曲を勝手にアレンジして、墨田先生に怒られたものだ。
最後に夢! 俺はこの期間にヴァイオリンの技術を向上させる。そして、昔のような力と若さに満ちた演奏を取り戻す。ここにどれくらいいるかわからないけど、昔の自分を取り戻せるように尽力せねば。
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こんなふうにやる気に満ちた日の日記も面白いが、もっと面白いのは心が折れかけた日の日記だ。例えば、この十日後とかとても顕著な下がり方をしている。
◇六月二十日
今日の朝、ダンボールから取り出したスコアはcsárdásだ。いつも適当にダンボールから出しているが、今日だけは違う。この別荘に篭って練習し始めて、すでに十日。はっきりといってヴァイオリンに飽きを感じ始めてしまっている自分が現れて、うなだれてしまっている。それもそのはずだ。別荘と言っても一階建ての平屋、寝室とダイニングとキッチンの1DKだ、ヴァイオリン以外にやることなんて全くない。そこで俺が好きなcsárdásを弾くことで景気づけをしようと思った。しかしながら、午前中から全然うまく弾くことができない。かれこれ、途中で二十回くらい止めている。まったく勘を取り戻せない。早めに昼食をとって、ヴァイオリンも弾かずぼーっとしているとまだ開けていない引越し用のダンボールが目に入った。なんの気なしに開けてみると、中にはさりげなく母が入れてくれた山などで使いやすい長靴やトレッキングシューズが入っていた。せっかくなので、そのトレッキングシューズを使って、散歩をすることにした。
散歩をするととても清々しい気分になれた。山は涼しいのに夏真っ盛りと言ったところで、深緑がすごく綺麗だった。ちょっとしたハイキングコースのような山道は木漏れ日が美しくて、木々の間を走る風は心地よかった。山はヴァイオリンに気合を入れすぎて、根詰めていた俺を優しく受け入れてくれた。そんな山に癒されてから、家に帰って練習するととても気持ちよく弾くことができた。俺は今日からこの散歩を習慣づけようと思った。忘れないように散歩コースを記しておこう。まず、山間の道を進んでいき、川のところを左に曲がる。すると、林間コースが広がっている。そこをさらに進むと広場みたいに広がっている場所がある。そこまで片道45分くらい。初めて通ったコースだったがかなり気に入った。
ちなみに今日のスコアは素晴らしい出来栄えになったと思うが、もっと大きな成長を確信できたから俺は満足しない時の方のダンボールに入れた。
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この日もとても印象深い日だった。初めてヴァイオリンに飽きて、山を歩き、その素晴らしさを知った。そして、この日から散歩が日課になった。
◇九月二十五日
今日、ついに最後のスコアになってしまった。数えてみると全部で百八冊もあったようだ。明日からは、満足行かなかった方のダンボールが満杯になっているからそっちからやっていこう。ちなみに今日の曲はこれまでずっと避けてきた曲……あの墨田先生の前で演奏したメンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲』だ。午前中からいくら弾いても、先生の言葉が頭によぎって、どうもうまいこと弾くことができない。なので、昼食を食べず俺は早めに散歩に行くことになった、ヴァイオリンと譜面台を持って。最近の楽しみは散歩コースの一番の奥である広場で、ヴァイオリンを弾きまくることだ。こんな風にうまくいかない日は特にこのことをしている。森に囲まれた広場は木々がホールの壁のようになり、なんとなくだが音が響く。なんと言っても、「森の中でヴァイオリンを弾いている俺」っていうシチュエーションがかっこよくて、テンションが上がってヴァイオリンが上手く弾けるのだ。
ずっと逃げ続けた、そのスコアは自分にとっては大きな壁だった。この曲をオーケストラの一部として弾くのではなく、コンチェルトとして弾けるようにならなければいけなかった。でも、俺がこの三ヶ月近く篭って練習していて、昔の自分に戻れたと思えるのは多く見積もっても十日くらい、そんな状態で今日昔の自分のように弾けるなんてほぼない。でも、森に囲まれたその場所でヴァイオリンを弾き始めた。
ヴァイオリンの音は風に揺られ、安定はしない。しかし、木々にあたり反射したその音はこれまでの音とは違っていた。もちろん、フィーリング的なものだし客観的な判断ではないけど、その音は美しかった。この場所で弾けばどんな曲もあの時の自分に少しだけ戻って弾くことができる。結局、今日の曲でも完全に戻ることはなく、また満足していないダンボールに入れることになったが、じんわりと昔の自分に戻れている気がした。
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この日は自分の持ってきたスコアたちをすべて弾き終えた日だった。最後の最後に回した曲は今でも印象的だ。しかし、このように振り返れば自分がつまずいた日こそ、自分が成長できるチャンスということが理解できる。今日はやっと満足した側のダンボールに三つ目のスコアが加わり、自分の日記を読み返していた。さて、日が暮れてきたし、今日も日記を記すとしよう。
◇十月十日
今日は久々に人との付き合いを感じた。なぜなら東京にいる親友、土屋遼平が誕生日だったからだ。「もう俺たちも二十六歳、年老いたなー」みたいなくだらない会話を電話でした。大学でこちらの世界に入った俺とは違って、彼は有名私立大学に入り有名企業に就職。四年目にして、プロマネとかいうリーダー職についているらしい。自分を社畜なんて彼は呼んでいたが、彼はシステムエンジニアの道を極め始め、楽しみ、充実しているようだった。
今日、取り出したスコアは「カノン」だった。東京から一昨日、送ってもらったCDのピアノ音源を伴奏として、弾く。ピアニストとのコミュニケーションはなかったが、それも俺に人との付き合いを感じさせてくれた一つの出来事だと思う。CDとはいえ、プロの人と演奏するのは楽しく、非常に満足できた。また、大学時代墨田先生の伴奏でカノンを弾いたことを思い出した。すると、自分のなかにあった想像力が漏れ始めた。そして、とても久しぶりに自分らしく弾くことができた。今日はこのスコアは向こうのダンボールに入れようと思う。これで、やっと三冊目。
人とのつながりといえば、隣の空き家に車が止まっていることがたまにある。もしかしたら、誰かによって買われたのかもしれない。隣人ができるのなら楽しみだ。
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最近、めっきりと寒くなってきた。もうそろそろ外で演奏することはできなくなるかもしれない。話には聞いていたがこちらではもう一ヶ月後には初雪が降る。そんなことを思いながら俺は日記帳を閉じた。