其の十二 学園長室の交渉
アリーナでの特訓は昨日のこと。
今日も空は晴れ、いい日和だった。
学園も日曜らしくほとんど生徒はおらず、校内は普段からは想像できないような静けさだった。
「やっぱり日曜日にまで来る生徒はいないか」
ブレッドは周りを見渡しながら廊下をゆっくり歩く。
教室一つひとつを覗いてみる。
生徒が一人二人いる教室もあったが、ほとんどは誰もいない教室だった。
休日でもいるにはいるんだなぁ……
学園長であるはずのブレッドはそんなことを考えながら学園長室へ向かって行った。
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「ただいま」
ブレッドは学園長室のドアを開けた。
「お帰りなさい」
出迎えたのは刹葉だった。
「お茶、入ってますよ」
「ありがとう」
ブレッドは着ていた白衣を脱ぎ、部屋の奥にある自分のイスに座った。
刹葉はブレッドの目の前の机にお茶を置いた。
「こんな日に呼び出してすまないね。そっちにも都合があるだろうに」
「そんなこと言わないでください。ブレッドには感謝してますから」
刹葉はそう言って微笑む。
ブレッドはそれに応えるようにして口元を一瞬緩めた。
「で、どうだい?仕事の方は慣れたかい?」
「ええ、まあそれなりに」
刹葉はそんな曖昧な返事を返す。
「……そうか」
ブレッドは一言そう言った。
「どうでした?収穫はありましたか?」
刹葉はブレッドの机に腰掛け本題を切り出した。
「いいや。全く無かった。それこそ完全にデータを持っていかれていた」
ブレッドは何か苦いものを飲んだような表情になった。刹葉は手の平を上に向けてホログラムウィンドウを出現させデータフォルダを開いた。
「データの半分がここにあるのが救いですね」
「……ああ、そうだな」
ブレッドは少し俯いたまま両手で白い髪をかきあげた。
彼の三年間を無駄にするわけにはいかないな。
「兎に角、このデータは五大国の上層部と君だけの極秘事項にしなければならない。このデータが知られれば間違い無くエリクサーを捨てなければならない」
「でも、今のままの科学力じゃあエリクサーの力を最大限に引き出すような兵器は人間の肉体以外にありませんからね。『十七研究室』には頑張ってもらわないといけません」
「そうだな……君のような“犠牲者”を出す前に……」
ブレッドは小さくそう呟いた。その言葉に刹葉は、
「僕は今のこの力が必要なんです。記憶を失った時、エリクサーとのリンクは完全に切れました。それでもまた体にエリクサーを取り込んだのは必要だったからです」
ブレッドはその言葉に驚きを隠せなかった。
「……君は一体どこまで……」
どこまでその力を……
「……どこまでもですよ。それで彼女を守れるならどこまでも」
そう言って彼は笑みを浮かべる。それはただ単に笑ったのでなく、犠牲を払ってでも、そう覚悟した笑みだった。
そして彼が考える“犠牲”。それはきっと彼の守るべき者である彼女にとってはある意味では“最悪の結末”を迎えるかもしれないとブレッドは考えていた。
そして、それは本人も承知していることも彼には理解できた。
そこまでしてでも、君はあの子を守りたいのか……
室内に古い電子音が鳴り響く。
「何ですかこの音?」
「ああ、この部屋の電話だよ。その昔、世界ではこんな音がオフィスで鳴り響いていたらしい。僕はこの古い電話の音が好きなんだ」
「確かに。今じゃエリクサーに通信があれば光りますからね」
そんな会話をしながらブレッドはエリクサーが組み込まれた電話を手に取った。
「はい、こちら国立ベール学園学園長室です」
「もしもし、こちらは“王の片腕”」
電話の相手はそう名乗った。
「……『王の片腕』……。なるほど、“王”から何か伝えろと言われたのかい?」
「ええ、まあそういうことだよね」
「君もなかなかに“家来”の役目を真っ当しているな」
「ってアンタも酷い言いようだな」
「で、どういった用件だ?」
ブレッドはため息をつきながら聞いた。
「うちの“王”がさ、今度その学園で開かれるトーナメントに行きたいって言うんだよ。行って出場したいってさ」
「そんなこと急に言われても準備が整うかどうか……」
「だからさ……」
そこまで聞こえた瞬間部屋のドアが開く。
「だからここまで頼みに来たんだよね」
そこには金髪で背の高い少年が立っていた。
「シャイナ、君がわざわざここまで足を運ぶということは“王”はそこまでランキングトーナメントに出たいと?」
「うちの“王”も変な人だよな。人の都合も考えないし。俺は止めたんだぜ?絶対今からじゃ間に合わないってさ。けど、どうしてもって聞かないわけよ」
シャイナと呼ばれた少年はゆっくりブレッドの元へ歩いていく。
「だから頼むよ」
シャイナは両手を机に突いた。
彼は少し前のめりになったが左肩に押し返す力が加わった為に上半身は垂直になった。
「?」
何だ?
シャイナは自分の身に起きたことが理解できなかった。
理解できなかったのはもちろん左肩に加わった力である。
ブレッドさんは全く動かなかった。なのに俺の体が押し返された。一体どういうことだ?
「シャイナ、君とは初対面だったね」
ブレッドは少し口角を上げる。
「は?いや、俺とアンタは……」
「僕と君じゃない。彼と君だ」
言ってブレッドの右手はシャイナの隣を指した。
シャイナは指された方を向く。そこには今まで気にならなかったのが不自然なほどの存在があった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
シャイナは突然のことに飛び退く。
「お前、いつから!?」
「最初からずっといましたよ」
刹葉は机から降りてシャイナの方を向く。
「初めまして。僕は桐無刹葉と言います」
言って深く頭を下げる。
「あ、ああ、俺はシャイナ・O・X。今ブレッドさんの言った通り“王”の“家来”だ。
だからというワケじゃないが俺のエリクサーは『ジャックエリクサー』っていうらしい」
シャイナも自己紹介を済ませる。
「さて、二人とも自己紹介したみたいだし、そろそろ本題に入ろうか」
「ちょっと待ってくれ!」
ブレッドの話をシャイナは言葉で遮って中断させた。
「おい、桐無って言ったな。本当は当日まで“王”が来ることは秘密にしておきたかったんだ。しかしお前がいた。どうやって隠れていたのかは分からないがこのことは内密に頼むぞ。いいな」
シャイナの言葉に刹葉は頷く。
「……まあ、話は聞こう……。まずはそれからだ」
ブレッドはため息をつきながらイスの背もたれにもたれかかった。
「つまり、“王”がサプライズゲストとして参戦したがっている、と」
「そうなんだよ!流石学園長!理解が速くて助かる!」
ブレッドのセリフにシャイナは興奮気味になる。
「結論から言わせて貰えば、その位の変更なら出来る。僕が動けばどうとでもなる問題だ」
その言葉を聞いてシャイナの顔は徐々に明るくなっていった。
「本当か!良かった~!一時はどうなる事かと……」
シャイナがホッと胸を撫で下ろす。
そんなに『王』が恐ろしいのでしょうか……
「ところで何故内密にする必要があるんですか?僕にはどうにも理解が……」
シャイナは刹葉の問いに口を一瞬固く結んだ。
「それは、だな……」
助けを求めるようにシャイナはブレッドを見つめる。ブレッドはそんなシャイナに彼の期待とは外れている言葉を、刹葉の疑問を解決する糸口とも思える言葉を吐いた。
「シャイナ、話しても大丈夫だ。刹葉は<事情がある人間>だ」
その言葉にシャイナのためらいは一瞬で払拭された。
「そうなのか……じゃあ、話すけど……」
シャイナはその口を開き事情を説明した。その口から説明を聞いた刹葉は驚くのでもなく、ただ黙って思考を働かせた。
事情は理解した。けど、何か因縁めいたものを感じる。多分トーナメントで何か起こる。それに……
「……Xさん……」
「シャイナって呼んでくれ。それじゃ呼びにくいだろう?」
「では、シャイナさん。貴方、まだ僕に話してないことありますよね?」
シャイナは額に冷や汗を掻いた。
コイツ、まるでいないみたいに気配消したり、ものの数分で俺が言えない情報を隠してることまで見抜きやがった……
油断ならない……!
「言えない情報なら大丈夫です。あとは僕自身の目で確かめます」
刹葉の言葉にシャイナは心底安心した。
良かった……心が読める能力ってワケじゃないみたいだな……
「じゃあ、俺はそろそろ。もちろん交渉の品は後に送らせてもらうよ。頼んだよブレッドさん」
「ああ、分かった」
ブレッドの返事を聞いたシャイナは部屋のドアを開けて出て行った。
「……何故気配を“ゼロ”にしたんだい?」
ブレッドは刹葉にそう聞いた。
「何者か分かりませんでしたから。今僕は“僕”も“貴方”も失うわけにいかないんです」
刹葉はそう答えてすぐに別の質問をブレッドに浴びせる。
「確か、“交渉”と言ってましたけど、一体何を頂いたんですか?」
ブレッドは刹葉の質問に滅多に見せない満面の笑顔を見せながら言った。
「“世界の銘茶十選”を一年分ね!」
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ドアを開けてその部屋から出た。
ドアをゆっくり閉め、閉めたドアに寄りかかる。
「……」
何なんだアイツ!おかしい!『最初からいました』だと!?そこまで完全に気配を消せる能力を持っているなんて!?
アイツにその気があれば俺は今頃何も知らずに死んでいたのか!?
ブレッドさんには事前に連絡なんて取れなかったし、ブレッドさんが用意したことは考えにくい……
シャイナはもたれかかったドアから離れ歩き出した。
兎に角、アイツは確実に要注意人物に入るな……
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「……出ない……」
アレイブは一人自分の部屋でネットワークを開いていた。
何度検索しても噂すらヒットしない……
「おーい!アレイブ!いるかー!」
その声は新鳳のものだった。その声を聞いたアレイブはエリクサーで座りながら鍵を開けた。
「鍵は開けた。入っていいぞ」
ドアを開けて入ってきたのはやはり新鳳だった。
「調べ物か?」
「ああ、そうだ。で僕に何の用だ?」
「いや、ランスがどこに行ったか知らないか?」
「そういえば今朝あたりにベランダから女子といるのが見えたな」
そうアレイブが言うと新鳳は、
「最近いつもそうじゃないか?全く……」
新鳳は腕を組んで片足に体重をかける。
「僕は調べ物で忙しいんだ。用が無いのなら帰るか協力するかしてくれ」
アレイブはそう呟いた。
「ん、おう、すまん。まあ、なんだ。ありがとう」
そう言って新鳳は部屋を出て行った。
「……」
やはり引っかからない……
「……何でなんだ……」
アレイブは一人、部屋で調べ物を続けた。
遅くなってすみませんでした。
色々と忙しくて……
と言うわけで遅ればせながらではありますが更新です。
感想など待ってます。