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真夜中の人 1

作者: 久保とおる

 夜中になると、こっそりとPCに向かう。

今夜もまた、子供と夫が寝室で寝息をたて始めたのを見計らって、キッチンの換気扇の下でタバコに火を付けた。

これから始まるネットの中の淫らな会話に弾みをつけるために、こうやって自分に魔法をかけるような真似をしてみる。

お酒でも飲んだ方が格好がいいのかもしれない、けど、私はそれ程お酒が好きではないから。

夫の頼みで止めたタバコだったけれど、恋愛感情が情に変わっていった間に、また、隠れて吸うようになっていた。きっと夫は、私から匂う紫煙臭に気が付いているに違いない。

何も問い詰めてこないのは私への諦めなのか、それとも口にすることすらくだらない事なのか、それは定かではないし。

多少の罪悪感を感じながらの喫煙は、私の無言の抵抗、私自身の密かな楽しみの一つだった。

 結婚して8年も経つとお互いの存在が常にあって、互いにいがみ合ったり、無関心を装う生活の方に疲労を感じてしまう。

男と女、どこまでいっても交わったり重なったりすることなんてない。そう、限りなく接近する事は出来ても永遠に平行線を辿る。

今、私の夫婦感はそんな具合だった。


 そして、誰にも打ち明けてはいない私の秘密。

実のところ、目の前の男よりも、遠くに目に入った女の身体の方が愛しく思える。

悩ましい腰のくびれや、細い首筋の色香に心奪われ、下半身が疼き始める。

温泉などで上質の女の身体を発見すると、チラリチラリと盗み見ては、欲望のままに視姦して。

なかには敏感に反応し頬を染める女もいるが、大概の愚鈍な女は惜しげもなく裸体を披露してくれる。

もしも、もう少しだけ勇気があったなら、ためらいもせず女を抱いているに違いない。

そうならないのは、このトシにまで縛られ続けた道徳観。そして、家族。

自分で選んだジレンマをも楽しいと思えるようになるまで、心の葛藤に苦しんだと一応思っているのだけど、本当は欲望の赴くままに生きているみたいだ。


 カチリ、とクリック音が静かな部屋に響く。

今夜も彼女は来ているかな・・・淡い期待を抱きながら、私は傍らに置かれたミントティーを口に含む。

開かれた画面に表示されるHNを一人一人確認しながら、軽い口調で入室するのが私の常。

殆どが常連のこの部屋で、毎夜繰り返されるフザケタ会話。

会話の意味などないままに流れているログに追いつこうと、手早くレスを返すのにも慣れた。

慣れないのは・・・しつこく絡むオレ流な若者の相手をすることぐらいか。

世の中を知らない、社会を知らない子供の相手の話に付き合うのは、相当に神経をすり減らす。


ハイハイ、あんたは若社長で金持ちで趣味は射撃で車はBMWなのね、何回も聞きましたから!って突っ込み入れたら・・・拗ねるな、きっと。

ココに来てまで子供の世話をするとは思わなかった、と愚痴を言っても仕方がない。

チャットの裏でメッセをしながら、ブツブツとメインの文句を言うのは常連の特権?

チャットの世界に夢みるような、可愛らしい主婦であったならどんなにいいか。

たわいも無い話に一喜一憂し、些細なことで激怒して、チャットの住人に恋をする。

そうそう、主婦って禁句なんだよね、人妻って言ってあげないといけない。

どっちも同じなのに、こうも印象がガラリと変わってしまうのが面白い。

今日、初めてこの部屋に現れた人妻が、男と決め付けて私にメッセージを送ってきたのだ。


掛かった・・・

私はPCの前でニヤリとほくそえみ、最初だけは優しげに言葉を囁く。

夫の愚痴に同調し、アナタはアナタなんだからと存在価値を肯定してあげれば・・・大概のチャット初心者は騙されてくれる。

コロリという言葉がピッタリと当てはまるかのように、手中に入るのだ。

そして、暇な悲劇のヒロインに恋心を抱かせるのは簡単、すぐ満足させないのは、それが私の楽しみだから。

その間にヒートする人妻の気持ちを十分に弄んで、自らセックスをせがんできた時・・・私の身体の奥のほうから湧き上がる高揚感がたまらなくいい。

何日でこの女はせがんでくるだろうか?


それを感じる為だけに、今日もまたチャットに釣り糸を垂らしていたのだ。

甘ったるい言葉に吹き出しそうになりながらも人妻との会話が続く、人妻は私の誠実さを探り、私は人妻の淡い期待の正体を探りながら。

エゴと見栄に包まれた女の核心に辿りつく為に、私は辛抱強くキーを叩く。

夫の愚痴を言い尽くすと、必ずといっていい・・・人妻は女に変わる。

自分の中の女の部分を、まったくの他人に認めてもらいたいが為に。

もちろん、優しい私は認めてあげる、彼女の言った全てを認め、もてはやす。

その人妻の気持ちも、かつては私の中に燻っていた火種だったから。


女は健気な生き物だ。

私もそうであるように、全てに絶望してしまっても、新たな希望を見出すことが出来るのだから。

女は愚かな生き物だ。

自分なりにバタバタともがいて、存在を意味づける証が欲しいと思う。

誰かに愛されているという想い、誰かのかけがえのない存在になりたいとの想い・・・もっと、もっと、もっと私を・・・と、両手を天に手を伸ばしている。

女は・・・


自分自身が変わるほうが相手を変えることよりも簡単だと容易に言うな、と先人にツバしながら、馬鹿になりきれない自分も人妻と同じだと思っている。

過剰な欲求不満に身悶えながら、カタカタとキーボードを鳴らし、虚しい夜の長い時間をこうして過ごしているのだから。


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