墓守の少女
王都から少し外れた場所、遠くはない場所。
そんな季節でもないのに、枯れた葉の混じる木々を通り抜けた先に、高くそびえたつ石壁がある。それは広い範囲をぐるりと囲っており、中へと入れるのはただ一か所の出入り口のみだ。
その出入り口さえ、大仰な門として常に閉じられており、さらには魔術による封印もされている始末。その門を開く許可を出せるのは王と――そして、この場所を管理している墓守の一族だけである。
そう。ここは墓なのだ。
神の元へ行くことを許されず、ただ埋葬されることさえ難しいものたちの最後の居場所。
吸血鬼に襲われて死んだ者、亡霊になると噂された稀代の悪人。一度蘇ったゾンビなどのアンデット。
もちろん、灰にされた吸血鬼。退治された狼男。その他の化け物たちもここに埋められる。
人々と同じ場所に埋葬できぬ者たちを永久に目覚めぬよう、封じこめる場所。
それが、この――サーグナー共同墓地である。
二ーナは、そんな呪われているとも言える墓の守人だ。すでに一族はほぼ死に絶えてしまい、一人で管理しているのが現状である。齢16にも満たない少女だが、その黒い髪に赤い瞳――墓守の一族であることを証明する、この国で最も不吉とされる色を組み合わせたその容姿が、人々に侮ることを許さない。
そうでなくとも、彼女はこのさまざまな化け物たちが眠る墓を守る番人なのだ。無論、ただの少女ではありえなかった。
さて、その少女は今日も墓を一つ一つ異常がないか見回っている
時々魔術の生贄にしようとしたり、魔術の道具にしようとしたり、眠っている化け物を復活させようとしたりする馬鹿な者たちが墓を荒らそうとするのだ。たいていは頑強な石壁と、その周囲に張り巡らされた結界に諦めるのだが、諦めが悪いものもいる。
二ーナが墓守になってからも何度か墓が荒らされたことがあった。その場合は、墓守として責任を持って遺体を取り返し、速やかに埋葬しなおさなければならない。無論、荒らされないようにすることが第一なのだが。
「……今日も異常なし」
一通り見て回り、問題ないと判断すると、門の近くに構えている小屋としか見えない家へと取って返した。そして、一通りの掃除用具を持ってくる。
こんな墓では誰も墓参りになど来ないのだ。墓の手入れは、ニーナの仕事の一つだった。
「昨日は、狼男のドム・ウィルソンさんまでだったから……今日は……」
丸一日かけても終わることのない掃除をやり続ける。限りなく退屈なように思える務めだが、ニーナにとっては生活の一部であり、退屈ともなんとも思わないことだった。そもそも、他にすることもないのだ。
カァー、と黒い羽を広げてカラスはニーナの前へと降り立った。足元にあるのが誰の墓かなんて、カラスにはまったく興味がないことだが、二ーナは「ワイルさんが可哀想だからどいてあげて」と眉を寄せる。
二ーナの差し出した腕を見て、カラスは二ーナの腕を傷つけないよう慎重にそこへ飛び移った。
「ごはん食べる?」
カァーとカラスは鳴いた。欲しいという意味だ。カラスは頭がいいものだが、このカラスはその中でも飛びぬけている。それを理解している二ーナは「じゃあ行こう、私もご飯まだだから」と言いながら掃除用具を見た。置いたままにして行こうか悩んでいるのだ。生来生真面目なので、どうせ食事の後も続けるのだから、と思いながらも放置していくことに抵抗があるのだろう。
結局、カラスに先に家へ行くように告げ、掃除用具を片づけ始めた。カラスは空を旋回しながらそんなニーナをじっと見つめていた。
昼食を食べ終えたころ、太陽が明るく輝く時間になると、国王からの使いが決まってやってくる。雨の日と曇りの日は時々来ない。こんな呪われそうな場所にできることなら来たくない、というのが使いたちの本音なのだろう。
今日は太陽も明るく輝いていたので、使者はちゃんとやって来た。まだ若いが、いかにも誠実そうな笑みを浮かべた世渡りの上手そうな青年だ。たいていの使者は自分の所属を明らかにした後、用件のみを述べて本名など呪われそうだと口にしないものだが、青年は礼儀正しく『カイン・マーク』と本名を述べた上に、世間話まで始めた。非常に珍しい状況である。
「二ーナさんは、朝から晩までここにいらっしゃるのですか?」
「それが勤めですから」
「仕事熱心でいらっしゃるんですね。休みもないのでしょう? たまには息抜きでもしてはいかがですか?」
まったくもって余計なお世話だが、二ーナは特にそう思わない様子で感謝の言葉を述べた。
「ありがとうございます。でも、それが勤めですから」
繰り返された言葉に、は笑顔を少しも曇らせることなく「そうですか、本当に熱心ですね」と述べるに留めた。この一連の受け答えだけでカインをうさんくさいとみるのは早計に過ぎるだろうか。
カインは異常がないことを改めて確認したのち、また来ますと言葉を残して去って行った。その後ろ姿をきっちり10秒見送ってから、二ーナは踵を返した。まだ、今日終わらせておくべきことがまだまだ残っているのだ。主には――やはり、掃除だが。
その遥か頭上から様子を見ていたカラスが、カァ、と一声鳴いて彼女の元へ飛び立った。
その日の夜、二ーナとともに家の中で眠りに落ちていたカラスが目を開いて間もなく、二ーナ自身も目を覚ました。――侵入者である。
はたして墓地などに何をしに来るかと言えば、もちろん墓地にあるのは死体のみ――墓荒らしだ。
墓荒らしといっても、墓にしたいとともに埋葬された金品を漁りに来るわけではない。そもそも金品とともに埋葬される者はこの墓地では限りなく少ないのだ。
彼らの目標は、埋葬された死体である。はたしてこんなもの誰が欲しがるかと普通は思うものだが、魔術師、あるいは呪術師、あるいは錬金術師――などなどにとっては、ここはある意味で優れた素材の宝庫、宝の山なのである。
ここに眠る化け物と呼ばれた者たちの死体には強力な呪いが掛けられていたり、魔力が込められていたりするので、彼らからすれば儀式にも使えて素材にも使えて、あるいは実験にも使える。彼らからすれば便利極まりない死体たちなのである。ちなみになんの、という問いは避けてほしい。詳しい説明はするだけで気分のよくないものだ。
そう言った理由から、このサーグナー共同墓地に墓荒らしをもくろむ人々は後を絶たない。だが、それらは必ず撃退される。
それが墓守の一族、ニーナの勤めだからだ。
身なりを整える間もなく飛び出した二ーナは、墓荒らしである人影と対面した。フードを深く被り闇に溶け込むさまはどこからみても怪しすぎる。人影は二ーナに声をかけられて体を揺らしたが、その姿を確認して少し緊張をといた。
舐められている。
「こんばんは、お嬢さん」
少し年を重ねた男の声だ。二ーナとは初対面だろう。二ーナは結わえる暇もなかった髪を後ろに払い、その男と対峙する。
その男の手には杖。そして、穿たれた地面からは棺桶が覗いていた。
「ロイズ・バリアンズさんになんの用ですか」
「……誰のことだ」
「その棺桶の中で眠っていらっしゃる元・殺人鬼さんのお名前です」
「ほう、この快楽殺人鬼の名前はそういうのか。誰もかれもが彼のことを名前ではなく『血まみれ男爵』としか呼んでいなかったものでわからなかったよ。教えてくれてありがとう」
ちなみに血まみれ男爵、もといロイズ・バリアンズ氏とは50年ほど前にこの国でその貴族としての地位と美貌を利用して罪もない女性を家に連れ込んでは殺していた快楽殺人鬼のことである。発覚が遅かったために彼が処刑される時には犠牲者はすでに10人を超えていたらしい。
「それで、ロイズ・バリアンズさんになんの用ですか?」
「なんのことはない。ちょっと罪を重ねた人間の死体が必要なだけだよ。ちゃんと保存するし、用がすんだらすぐ返すから貸してくれないかな」
「お断りします」
歯切れ良い台詞とともに、二ーナが動いた。転がるようによけたのは、一匹の黒い犬だ。この男の使い魔だろう。鋭い犬歯を剥き出しにして二ーナに対し臨戦態勢を取っている。
「残念だよ」
ちっとも残念そうに見えない顔で、男は杖を振るおうとして――悲鳴を上げた。
闇にまぎれて真黒なカラスが男の顔にくちばしを突っ込んだのだ。そのくちばしはちょうど目をえぐり、男は目があった部分を押さえてしゃがみこんだ。
「な、な、くっ――貴様!」
杖を振れば、犬がやはり二ーナに向かうが、集中力の結果だろう。さきほどとは比べ物にならないスピードに、余裕を持って二ーナは避け、そしてまたもやカラスがその顔に飛びつき、目をえぐる。
飼い主ともども目の痛みにのたうちまわることになった犬は、瞬く間に姿を消した。実体をもつ使い魔ではなかったらしい。ダメージを受け、存在を保てなくなったのだ。
「く、くそ、くそっ!」
つい先ほどまでの余裕ぶったふるまいはどこへ行ったのか。残った目を血走らせて男は呪文を唱え始めた。カラスが再び攻撃しようと隙をうかがうが、たとえもう一方の目をえぐられようとも呪文を唱えることをやめそうもない男の様子を見て、二ーナはカラスを留めた。
そして――名前を読んだ。
「ロイズ・バリアンズ」
決して大きくない澄んだ声がサーグナー共同墓地全体に響きわたる。
「我 そなたが主 二ーナ・サーグナー 命じる」
「煉獄の闇より しばしその姿 我の前に現わせ」
声が終るとともに、土の下の棺桶がギギ、と音をたてた。
空気に飲まれ、いつの間にか呪文を唱えることを忘れていた男は慌てて呪文を唱え始める。しかし、その棺桶から出てきた姿に喉が引きつり、再び呪文は止まった。
肌の色は闇夜であることを差し引いても青白く、紳士然とした服に、整えられた髪はとても今の今まで棺桶の中に寝そべっていたはずの者とは思えない。なによりも、その青い瞳が男に向けられるとともに綺麗な弧を描いた瞬間、男は信じられない思いとともに、残った一つの目を見開くことになった。
「そんな――死霊使い、だと!」
知らなかったのですか? と二ーナはむしろ驚いたように返した。当然の反応だ。仮にもこの国の化け物を集めた墓を荒らすというのに、その墓守について調べもしないとは、どれだけ馬鹿なのか、自信過剰なのか。どちらにしても愚かである。
『ところで、その男は殺していいのかな? 私としては女性の方が好ましいけど、久し振りだからこの際、文句は言わないよ?』
まったく空気を読まずに、生前『血まみれ男爵』と呼ばれた男は首をかしげた。
「喋った!」
通常、生き返った死体はゾンビを呼ばれ、それを自由に操り、さらにその死体と情報を共有したりできるのが死霊使いである。稀に意思を保つ死体は存在するが、生前の記憶まで持っていることはほとんどない。それは二ーナが、いや、墓守の一族が飛びぬけて優秀な死霊使いであることを示している。そしてその実力こそがこの墓地を国から『下賜』された理由でもある。
男の驚きなどどうでもいいと、ロイズは元貴族にあるまじき素早さでもって男に近寄り、やはり元貴族にあるまじき腕力でその喉元を掴んで吊るしあげた。
男の足が宙を切り、顔が醜悪に歪む。
「人のものを勝手に盗むのは、いけないんですよ」
名目上は墓守であり、国より預けられていることになっているが、書類上、この土地はサーグナー家の持ち物であり、この墓に埋められた死体のすべてはサーグナーのものなのだ。
ごくごく当たり前の道徳を死体を操る少女に説かれ、男はどう思ったのだろう。いや、そもそも耳に入っていなくともおかしくはない。男は今、生きることに必死だ。
男はロイズに意図的に足をぶつけてなんとか手を離させようとしているが、ロイズの方はうっとおしそうに眉をひそめただけで軽くその手を振りかぶり、手じかにあった墓石に男を叩きつけた。
「あ、バートン・バロックさんが!」
『ああ、失礼。でもほら、静かになったよ、私の可愛いマスター』
ロイズはにっこり微笑んで顔を血まみれにした男を二ーナに示した。しかし、二ーナはそちらを見もせず、口をへの字に曲げている。
「掃除したばっかりだったのに……」
男よりも墓石に血が付いてしまったことの方が気になる様子だ。ロイズはそんな主の様子に気がついて苦笑を浮かべる。そして、男が生きていることを確認するとニーナの家の方へ向かった。生きているならロープで縛り付けて衛兵に渡さなければならないのだ。しかし、殺したら殺したでこの男はこの墓地の仲間入りをすることになる。ロイズはこの男を殺してしまうことで、この墓地に入った男が自分たちの仲間になることを避けたかったのだろう。
ようやく夜の静けさが戻ると、闇夜を見通す目には掘り起こされた墓と、血まみれになった墓石が無残に映った。
「………はぁ」
明日の作業を思ってため息を吐くニーナを慰めるように、ニーナの足元に降り立ったカラスがカァッと鳴いた。
ロイズがロープでぐるぐる巻きにした挙句に出入り口近く放置しておいた男は、昨夜の片付けをしていた二ーナよりも先に予定より早めに訪れたカインによって発見されることになった。日替わりのはずの衛兵がなぜか今日もカインだったことに関して疑問が浮かぶが、二ーナは気にした様子もなく、「この方は墓荒らしです」と端的に事実を述べた。
「え、二ーナさん大丈夫でしたか!?」
「はい、私は大丈夫ですが……」
バートン・バロック氏の墓石が血まみれになっていただけでなく少し欠けていたことを思い出したのか、二ーナは悲しげに眉をひそめた。その様子をどう勘違いしたのか、カインは言葉を探すように視線をさまよわせ、「あの、明日も来ますね」と驚くべきことを述べた。しかし、二ーナはまったくその言葉に疑問を持たない様子で、「お待ちしています」と形式的に述べる。そんな言葉でも嬉しいと言いたげに頬を緩めるカインは、応援を呼んでから男を引っ立てて行った。
いつも通りきっちり10秒見送ってから片付けの続きをするために墓の中へ引き返していくニーナの後姿を見ながら、カラスは、ただカーと鳴いた。
僕の不満を感じ取って。
「まったく、なんなのあの男」
目を開いて視覚と聴覚を戻した。使い魔を通じてニーナの様子を見ていたのに、とんだ不愉快な気分にさせられた。
僕の名前はルイン。ニーナと同じ墓守の一族だ。といっても僕はニーナとは逆で赤い髪に黒い瞳をしている。赤や黒の髪、もしくは瞳は死に通じるとされていて、ニーナの住む国ではこの色を持つと墓守にしかなれないが、他の国に行けば死に関する様々な職につく自由がある。僕の父親は墓守になることを嫌い、国を出て黒魔術師の母と結婚した。そして両親の死後、魔術を学ぶための学校へ行きたかった僕は援助を約束してもらう代わりにニーナの婚約者となった。
ニーナの両親も死んでしまったが、約束は生きている。義理難い僕は婚約者殿の無事を確認するために使い魔のカラスを通じ、国を越えてニーナを見守っていたというわけだ。そんな義理堅く優しい僕がなんでこんな不愉快な気分にさせられないといけないのか。
「まぁ別に? 墓掃除が趣味だなんて言う馬鹿女が浮気するなんて思ってないけど?」
イライラとしながら再び目を閉じてカラスと感覚を繋いだ。衛兵の男はいなくなりニーナは再び掃除に励んでいる。カラスに指示し、ニーナの掃除している墓に止まらせるとニーナは「だめだってば」と困った顔をする。
「気付け、馬鹿ニーナ」