第7話 愛を奏でる天使―ガラスケースの秘密
店内のBGMと大音量の機械音に耳が痛かったのは最初のうちだけで、お店の中にいるうちに耳を塞ぎたくなるような騒音はぜんぜん気にならなくなっていた。
「ゲーセンといえば、まずはUFOキャッチャーですね」
そう言われて連れて行かれたのは店内入り口付近のUFOキャッチャーコーナー。ぬいぐるみは小さいものから大きいもの、ぬいぐるみ以外にもフィギアや時計、香水、お菓子まであって、どんなものがあるのか眺めているだけでも楽しめた。
「あっ、この猫……」
通り過ぎようとしたUFOキャッターのガラスケースに手をついて中を覗きこむ。中に並べられているのは、だるまみたいな体型に短い手足、愛嬌のあるタレ目のメタボ猫のぬいぐるみ。
一年前から私の部屋に居座っている三毛柄のメタボ猫と同じ種類のぬいぐるみに、つい見入ってしまう。
「何か気になる物がありましたか?」
立ち止まった私に辰巳さんが振り返って聞いてくるから、私は頬をかいて苦笑する。
「いえ……持っているぬいぐるみと同じのがあったので」
「これですか?」
ガラスケースの中を覗きこむ。
「UFOキャッチャーはやったことがあるんですね?」
「……? ないですよ?」
断定的な質問に首を傾げた私を辰巳さんはちらりと見て、繋いでいた手を離して機械にお金を入れる。
「やってみますか?」
「えっ!?」
「アームは最初のボタンで左へ、次のボタンで奥に動きます。猫の脇を狙うのがコツです。大丈夫、やってみてください」
私の後ろに回った辰巳さんが、ボタンに恐る恐る伸ばした私の手に手を重ねて肩越しに話しかけるから、不覚にもドキドキしてしまう。
なっ、なにこの体勢――!?
どうしようもない動悸にてんぱって頭が真っ白になりかけるから、私は無理やり頭を動かす。
このドキドキはいきなり真後ろに立たれたからで、体が密着しているからで――そんないい訳を頭の中でぐるぐる考えたんだけど、人見知りとか男性が苦手とかそういう理由は思いつかなかった。
背中に全神経があるんじゃないかっていうくらい緊張して体がこわばってしまう。だけど。
「あっ……」
ガラスケースの中で、アームに持ち上げられたメタボ猫が宙に浮かびぽてんっと落ちる。落胆の声を上げて、ガラスケースの中に真剣なまなざしを向ける。
初めてやったUFOキャッチャーでぬいぐるみがもうちょっとで取れそうだったから、気持ちが高ぶって。
「あー、おしかったですね」
その声に思わず振り向いたら、肩越しに花が綻ぶような笑みを浮かべている辰巳さんと視線があってしまって、かぁーっと顔が赤くなるのが自分でも分かって動揺する。
「そう、ですね……」
ぱっと視線をそらして、ガラスケースの中の落ちそうな場所に移動した白いメタボ猫を見つめ、しゅんとする。
初めてやったのだから取れるとは思っていなかったけれど、手の届きそうな場所に来たのに手が届かないのがもどかしくて、諦められなくてその場に立ちつくしていると。
「ちょっといいですか?」
辰巳さんに言われ、ガラスケースの前から横へと移動する。じゃらっとお金を入れて、慣れた手つきで操作ボタンを押す辰巳さんの瞳は真剣で、ガラスケースの中のメタボ猫じゃなくて、彼の表情につい見入ってしまう。
悔しそうに唇をかんで、それからぱっと少年のように顔を輝かせるから、辰巳さんからガラスケースに視線を動かすと、アームに引っ掛かった白いメタボ猫が落ち、落ち口に引っ掛かっていた白いメタボ猫に当たって二匹の猫が落ちていった。
取り出し口の前にかがみ二匹の白いメタボ猫を取り出した辰巳さんが、ふわりと薫るような妖艶な笑みを浮かべて私に差し出すから、心臓が早鐘を打ちはじめる。頭の片隅で微かに警戒音が鳴り響く。
「どうぞ」
「えっと……」
私を見つめる瞳に言い知れぬ熱が宿っているから、ドキドキして言葉に詰まる。
「受け取って下さい。羽鳥さんのためにとったんですから」
そんな風に言われたら受け取らない訳にはいかなくて、恐る恐る手を伸ばしてぬいぐるみの一つを受け取る。
「ありがとうございますっ」
ぎゅっと胸の前でぬいぐるみを抱きしめて、心の底から感謝を述べる。手の届かないと思っていた存在が腕の中に確かにあって、愛しさに胸がいっぱいになって瞼を閉じて頬を綻ばせる。
「こっちもどうぞ」
顔を上げると、辰巳さんは手に残ったもう一匹のメタボ猫を顔の前に掲げてから、すでに一匹の猫を抱える私の腕の上にぽんっと置くと、少年のようなあどけない笑顔で笑うから、とくんっと胸が跳ねる。
私は腕の上に乗せられた白猫を落とさないように掴み、辰巳さんに差し出す。
「一つだけでじゅうぶん嬉しいです。だから一つは辰巳さんのお家に飾って下さい、お揃いですね」
ただメタボ猫を取って貰ったことが嬉しくて、顔の横でぬいぐるみを動かして笑いかけると、一瞬、辰巳さんが目を見張ってから差し出したぬいぐるみを受け取った。
「分かりました、ちゃんと飾ります」
畏まった言い方に笑みが漏れ、慌てて口元を押さえると視線が合う。はにかんだ笑みを浮かべた辰巳さんと二人でくすりと笑い合った。
辰巳さんはお店を出た時の強引な雰囲気ではなく、優しく私の手を掴んで歩き出した。
「次は、クイズゲームなんてどうですか?」
頷き、手を引かれるまま歩く。辰巳さんのおすすめのクイズゲームをし、レースゲームをして、まだ夕食を食べてない事に気づいてゲームセンターの向かいにあるイタリアン料理店に向かった。
※
ゲームセンターとは無縁の生活をしてきた私が初めてゲームセンターに行ったのは一年前。サークルの新入生歓迎会の飲み会と二次会のカラオケに行く間の時間つぶしに先輩達に連れられて行ったのだった。
先輩や同期がゲームセンターで遊ぶ中、私は初めて足を踏み入れたゲームセンターの大音量に戸惑い雰囲気に圧倒されて、同期と一緒にゲームしている七海から離れ店の外に出た。
外にはたばこを吸っている先輩が数人いたけど、人見知りの私は話しかけるなんて出来なくて、近くで夜風に当たって一人で立っていた。
すると、私の頬にいきなりふわふわした物が押し当てられる。驚いて振り返ると、ふわりと人懐っこい笑顔を浮かべた先輩がずんぐりむっくりの三毛猫のぬいぐるみを私の頬に押し当てていた。
「ふふっ、驚いた? 羽鳥にあげるよ、これ」
「ありがとうございます……」
緊張のせいか、違うもののせいなのか、ドキドキする心臓を押さえてぬいぐるみを受け取った。
私よりも背の高い先輩は、少し腰をかがめて私と視線を合わせると、心配そうに眉尻を下げて尋ねる。
「ん? 外にいるなんて具合でも悪い?」
「いえ、あの……」
ゲームセンターが初めてで慣れなくて――そんなことすら言えなくてしどろもどろしている私に、先輩は苛立ったりせずに話しかけてくれる。
「たばこ吸う……ってことはないか、まだ未成年だしな。どうした? 何かあったのか?」
中学からの親友の七海さえ、私が初めてのゲームセンターで戸惑っていることに気づいていないのに、先輩だけが私の不安に気づいてくれて、胸にあたたかいものが込み上げてくる。
きっとその時には、秀先輩を好きになっていたんだと思う――
―人物紹介―
◆安孫子 桃花
れいの大学の友達、お団子頭