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第4話  恋愛対象―流星のように



 十三日の早朝、流星群の観測を終えて合宿所に戻るバスの中、私は広げた右の手のひらに視線を落として、小さなため息を漏らす。

 天文台から合宿所まではバスで二十分も掛からないのに、部員のほとんどが寝てしまっている。徹夜で観測したのだから仕方がないのかもしれないけれど。

 私も眠かったけど、あまりに胸が高鳴って眠れない。

 間違いじゃなかったよね――

 気のせいじゃなかったよね――

 自分に問いかけて、温もりの消えない手のひらを見つめる。流星のようにほんの一瞬だったけど、秀先輩は確かに私の手を握った。間違いとかじゃなくて、私の手だって分かってて握ったんだ――

 もしかして、秀先輩も私のこと――

 そんな甘い期待を胸に抱いてしまって、大きく頭を左右に振る。

 ダメダメ、期待して振られたら、どんなに絶望が大きくなるか……でも、だけど。

 心の中で葛藤が繰り広げられる。私が告白するのは、もう今日なんだ――



 合宿所に着いたのは五時少し前。朝食は七時から皆で食べるんだけど、この日は朝食の時間は決められていない。部員はすぐに部屋に戻って仮眠をとるか、昼まで寝る。

 私と七海は企画係だから集合時間の十時よりも少し早く準備をしなければならない。八時くらいまでは寝られるかな。

 部屋は二年女子五人の12畳の畳部屋。部屋に帰ってくるなり、みんな片付けもほどほどに布団を敷いて寝てしまう。

 私も片づけを済ませて、携帯のアラームをセットして窓側に敷いた布団に横になったんだけど、もやもやが頭の中から離れなくて、バスの中よりも完全に目が冴えてしまった。

 遮光カーテンの引かれた窓の隙間から朝日が差し込み、室内はうっすらと明るい。

 寝ようと思って瞼を閉じても、色々考えてしまうし、瞼の裏は明るくて、到底眠れそうになかった。

 私は音をたてないように静かに起き上がり、財布と携帯だけを小さな鞄に入れて立ち上がる。

 確か合宿所の近くに湖があるって言ってたな……

 そんなことを思い出して、合宿所を出て歩き出す。

 外はすでに日が昇り始めて、見上げると空の真ん中で夜空と朝空がまじりあって絶妙な色合いをしている。

 合宿所の前の坂道を登り、畑の中のうねった細い道を進んで、若葉が生い茂る林を抜けたところに細長い湖があった。湖の際まで寄ると、ぴちゃぴちゃと水が打ち寄せてくる。靴が濡れないような位置を歩いて湖を一周して、しばらく時間を潰してから合宿所へと戻った。

 入り口の階段を軽快に駆け上がり、自動ドアをくぐって、私はぴたっと足を止める。すぐ目の前のロビーのソファーで秀先輩がうたた寝をしているのが視界に入ってビックリする。

 秀先輩、どうしてこんなとこで――

 そう思いながら近づく。秀先輩は一人掛けのソファーの肘かけに寄りかかるように体が斜めに傾いで寝ている。間近で見た秀先輩の顔、眼鏡の下の睫毛がすごく長いことに気づいてほれぼれとしてしまう。

 ああ、私は秀先輩のことが好きなんだ――

 愛おしい気持ちに突き動かされて、日に透けた色素の薄い髪の毛に手を伸ばす。少し癖のある髪の毛は外に向かって跳ねている。ずっと思っていた、秀先輩の髪の毛は柔らかそうって。触ってみたくてうずうずして手を伸ばして、額にかかる髪に触れる直前。


「ん……」


 ぴくっと肩を揺らしてみじろいだ秀先輩に、私はびっくりして手を引っ込め、慌てて部屋へと駆け戻って行った。

 わっ、私ったら、何しようとしてたの――? 寝てる秀先輩の髪に触れようとしてたなんて、なんて恥ずかしいのかしら。自分の行為を思い返して、見る間に顔が真っ赤になってくる。

 よかった、触れる前で。秀先輩が寝ててくれて、良かった。

 ほっと胸をなでおろして、扉を背に立っていた私は力が抜けてへなへなとその場にしゃがみこんだ。



  ※



 集合時間の十時、企画に参加するのに集まったのは十五人で、三年生は秀先輩の他に二人、二年が私と七海とあと二人、一年生が八人……

 一年生が多いのは、若さのせいかしら。そんな事を考えて、自分がもう二十歳だということを実感して悲しくなる。

 合宿所のマイクロバスを借りて、玉原ラベンダーパークに向けて出発する。山道を降りて登って、予定より数分早く到着する。十時半前だというのに夏休みだからか、駐車場には多くの車が止まり、園内もそれなりに人が入っているようだ。


「では、十二時まで自由行動です。昼食場所はリフト降り場の側のレストハウスです。十二時にレストハウス前に集合して下さい」


 ゲート前で私が人数分のチケットを買って渡して回っている間に、七海が手早く説明する。

 近くにいた人から順番にチケットを渡し、他の三年生と一緒にいる秀先輩には目を見れずに渡してその場を素早く離れる。

 展望台で手を繋がれた事も、朝のロビーで私から触れてしまった事も夢か現実かよくわからないのに、胸のドキドキだけが現実だと告げていて、秀先輩の顔をまともに見られなかった。


「時間厳守でお願いします。解散でーす」


 七海の言葉で十五人の部員はゲートをくぐり、ぱらぱらと園内に散らばっていく。

 ゲート入ってすぐ横で立ち止まり、パンフレットとチケットを鞄の中にしまっていた私の腕を七海が力強く引っ張る。


「ほら、れい。秀先輩に声かけなよ」


 七海は言いながら私達の少し先にいる秀先輩に視線を向け、私もつられて視線を向ける。瞬間。

 こっちを見ていた秀先輩のこげ茶色の瞳と視線が合う。


「あっ……」


 視線があっただけでこんなにも意識してしまって、体中が石になったみたいに重くて動かない。


「ほらっ」


 七海が急かすように私の背中を押すけれど、私は身じろぐ事さえ出来なくて。

 じっとこっちを見ている秀先輩の視線が突き刺さって、顔がどんどんほてっていくのが分かる。

 言わなきゃ――そう思うのに、言葉が出てこなくて。

 私と秀先輩の視線が交じわっていたのは、ほんの数秒だったのかもしれない。だけど私にはすごく長く感じて。


「…………っ」


 秀先輩がこっちに一歩踏み出して何か言おうと口を開く。ドキンっと胸が大きく飛び跳ねる。何を言われるのか期待と不安で胸が押しつぶされそうで、ぎゅっと瞳をつぶって斜め横を向く。その瞬間。


「犬飼君、一緒に行こうよ」


 他の三年生に声をかけられて、秀先輩は行ってしまった。

 しばらく俯いたまま黙っていると、七海が呆れた様なため息をつく。


「あーあ、行っちゃった。まあ、緊張するのは分かるけどね、頑張るんでしょっ」


 私が緊張して声をかけられなかったんだと思って、七海が励ますように背中をばしばし叩く。


「いっ、痛い……七海」


 本気で痛くて、少し涙目になって七海をしたから睨む。

 頑張ると言った私の背中を押してくれる七海の気持ちは嬉しいけれど、緊張してるんじゃなくて気まずい……なんて言えなくて、複雑な感情にはぁーっとため息をついた。



「とりあえず私達も行こうか?」


 時間がもったいないという様に、七海が歩き出しながら言う。


「リフト乗る? それとも歩いて行く? 歩いて二十分くらいみたいだけど」


 リフトに乗るもの気持ち良さそうだなって思ったけど、リフトの列に視線を向けて、その中に秀先輩をいるのを見つけて――ここからの距離じゃ、先輩がこっちを見ているかなんて分からないのに見られている様な気がして――ぱっと視線をそらす。


「二十分ならすぐだよ、歩いてみよう」

「天気もいいし、散策しながら行きますかっ」


 秀先輩を避けた私の心には気づかずに、七海は軽快な声で言って遊歩道を歩きだした。

 目に飛び込む爽やかな緑に囲まれた板敷きの小道は緩やかな傾斜になっている。雄大な自然に囲まれた遊歩道を登りきると、そこには一面のラベンダー畑。

 ラベンダーブルーの絨毯のように、そこここで紫色の小さな花が風に揺れている。

 大きく深呼吸して、ラベンダーの香りを肺いっぱいに吸い込む。すぅーっとした匂いと甘い香りに心が満たされて、ぎゅっと目を閉じる。

 何年ぶりだろうか――

 小学生の頃、家族旅行で行った北海道で初めてラベンダー畑を見てとても感動した。小さな花が丘一面に咲き誇って、凛とした美しい景色が鮮やかで、甘さと爽やかさの調和のとれたフローラルな香りに一瞬で虜になってしまった。

 お土産物屋さんでラベンダーの香り袋を買い、枕元や衣装棚に入れた。母に頼みこんでラベンダーの鉢植えを買って、それを毎年育てている。

 私が一番大好きな花。心が癒される花。

 あれ以来――ラベンダー畑に行くことはなくて。今回の合宿先が群馬と聞いて、前から言ってみたいと思ったたんばらラベンダーパークが近くにある事を知って、企画の行き先は『ここだ!』って即決した。

 念願のラベンダー畑をもう一度見ることができて、嬉しくて仕方がなかった。

 目を閉じて香りを満喫していた私は目を開けて、ラベンダーブルーの絨毯を見て頬がだらしなく緩んでしまう。

 そういえば――と、カフェ・ブルーベルの壁に書かれた絵を思い出す。あの絵に目を惹かれたのは、子供の時に見たラベンダー畑を思い出させたからかもしれない。だから、あの店に自然と足を運んでしまうのかもしれない。



 そんなに広くもない園内。私達の後ろを歩いてきた一年生がやってきて、ラベンダー畑の前で一緒に写真を撮ったり、撮ってあげたりする。

 秀先輩とも近くを通ったりして、何度も声をかけるチャンスはあった。

 私の気のせいじゃなければ、秀先輩も私に声をかけようという仕草を何度かしていた気がする。だけど。

 あっという間に自由時間は終わり、昼食中も席が端と端で――結局告白できないままに合宿所へ帰り、夜は合宿の打ち上げの飲み会をし。

 合宿最終日、帰宅の日になってしまった。




―人物紹介―

牛丸うしまる 真一しんいち

武蔵野理科大学三年、天文研究部部長、秀の親友

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