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第30話  満たされてブレンド



 締め付けられる心を落ち着け、溢れてくる気持ちを溢さないように深呼吸してから、トイレを出て秀先輩の待つ席へと戻った。

 もう奏の姿はなくて、そのことにほっと安堵のため息を漏らす。

 奏の姿を見ただけで心が弾んで、たまらないほど好きな気持ちが溢れだす。だけど、その気持ちをどこに向けたらいいのか分からなくて辛かった。

 私の気持ちを受け取れないと言われたら、切なくて苦しくて、心がボロボロと音を立てて壊れてしまいそうで、奏から逃げてしまう。

 本当はこのままではいけないって分かっているけど、告白する勇気はなくて、このままの関係でいいと思っている、情けない私。

 ふぅーっともう一度小さなため息をついて席に座った私に、秀先輩はくすりと困ったような笑みを浮かべる。


「あー、ごめん――()がここの店員だとは気づいてなくて、いくら俺が羽鳥と先輩後輩だからって、一緒にいるのを見たら気分悪いよな……っ」


 決まり悪そうに眉尻を下げて言う秀先輩に、私はキョトンと首をかしげる。

 彼――ていうのは奏のことを指しているのだろうけど、どうして奏が気分悪くなるのかしら?

 秀先輩がなにに気を使っているのか分からなくて、じぃーと見つめていると。


「付き合いはじめたんだろう……?」


 尋ねられた言葉にビックリして、私は勢いよく首を左右に振る。


「ちっ、違います……」

「俺に遠慮することないよ」

「ちがっ、本当にそんなんじゃないんですっ!」


 叫ぶように言って強く目を閉じる。

 確かに、秀先輩に私は奏のことが好きだと言ったけど、私と奏は付き合ってなんかいないし、そもそも、両想いかどうかも怪しいのに――

 どうして付き合っているだなんて勘違いしているのか分からなくて、私はとにかく必死だった。

 だから向かいに座った秀先輩が、顎に手を当ててなにかぶつぶつ言った言葉は聞き取れなかった。


「そう、違うならいいんだ」


 苦笑しながら言った秀先輩を訝しげに見上げ、だけど誤解が解けたことにほっと胸をなでおろす。



 それから一時間くらい、しっかり秀先輩に課題を手伝ってもらって、これから大学の図書館に行くことになった。課題の参考になる本を秀先輩が教えてくれると言ったので、テーブルの上に広げていたノートや参考書を片づけ、鞄の中にしまう。

 課題も進んで、久しぶりにブルームーンブレンドを飲めて大満足なんだけど――

 奏が言い知れぬ熱を宿した瞳でずっと私を見ているから、いたたまれなくて早くお店を出たくて仕方なかったから、秀先輩の提案はありがたかった。お会計をしてお店を出て、細いため息をつく。

 店の外の敷地を出て、細い路地を歩きだした時、閉まりかけた黒縁の硝子扉が開いて、そこから奏がすべり出て私を呼びとめた。


「れい――」


 振り返った私は、真剣な光を宿した奏の瞳に見つめられてわずかにたじろぎ、それから隣に立つ秀先輩を振り仰ぐ。

 秀先輩はなんとも言えない複雑な笑みを浮かべて首を傾ける。


「先に行ってるよ」


 そう言って路地を歩いていってしまった。

 私は秀先輩の後ろ姿をすがるような思いで見送り、二人の間に沈黙がふりそそぐ。奏は口を開かず、私も気まずくて奏に背を向けたまま黙っていた。少しの間を挟んで。


「れい」


 再び名前を呼ばれて、私は恐る恐る顔を上げて奏に視線を向ける。

 奏は夜空を切り取ったような漆黒の瞳に、焦がれるような熱を宿して私を見ていた。

 反射的に一歩後ずさった私に対し、一瞬、奏はその美しい眉間に深い皺を刻み、身を引いた分だけの歩を進め、私との距離を縮める。


「この後、時間ありますか? 今日は早番でもうすぐあがりなのですが」


 一瞬前の怪訝そうな表情が嘘だったように、魅惑的な微笑みを浮かべて奏が言う。


「えっと、これから大学行って課題をやるから無理」

「では、金曜日はどうですか? どこか一緒に出かけましょう」

「無理」


 即答で答えた私を、奏は涼やかな瞳を針のようにきらめかせて強く見据える。


「なんで私が奏と出かけないといけないの?」


 奏が私に復讐をしようとしたんじゃないって誤解は解けたけど、ギクシャクしていた期間があったから、友達の関係に戻ったのかどうか微妙で、一緒に出かけるとか想像がつかない。そもそも、一緒に出かけた事なんて奏の家に行った時に夕飯を食べたくらいで、一緒に出かけるのが当たり前のように誘われて違和感を覚える。それに――

 奏のそばに近づけば、好きな気持ちが溢れてしまう。そうして、自分の想いを口にして、奏に友達としてしか見ていないと言われたら――今度は本当に立ち直れない気がして、今以上に二人の距離を詰めることをしたくなかった。

 考え込んでしまった私は、返事が返ってこないことに気がついて顔を上げる。そこに、怪訝そうに眉根を寄せた奏の顔があって、それすらも絵になるような美しさにきらめいていて、息を飲む。


「れい――、俺が言ったこと、ちゃんと聞いていましたか――?」


 いつかと同じ問いかけに、私はキョトンと首をかしげる。


「聞いてたよ。金曜は予定ないけど、理由もないのに奏とは一緒に出かけられないよ……」


 ちらちらと奏に視線を向けながら、だんだんと声が小さくなっていく。

 ぴゅーっと冷たい風が路地を吹き抜け、お店のテラスに植えられた針葉樹の葉が揺れる。


「理由がないとダメなんですか?」


 少し皮肉気で、でも艶やかな笑みを浮かべて奏が私を見つめるから、ドキンと胸が高鳴る。

 奏は私との距離を一歩一歩と詰め、大きな腕を私の肩に回す。その動きをスローモーションのように眺めていた私は、すっぽりと奏に抱きしめられた事に気づいて、かぁーっと顔が赤くなる。

 すぐ側で奏のたくましい体を感じて、溢れだしてしまいそうな気持ちに戸惑って、抱きしめられた腕にあらがうように身じろいだのだけど。奏の腕が大切な宝物を扱うように優しく抱きしめているから――甘い痺れが全身に広がって、身動きがとれなくなってしまう。

 ふわりと、奏のコロンの香りが鼻先を漂い、それが大好きなラベンダーの香りだと気づいて、あの時の奏の言葉を思い出してしまう。ドキドキと鼓動がはやくなる。


『俺が好きなのは――爽やかなフローラルの香りをさせたラベンダー好きの女の子。イギリスに行ってからもずっと忘れられないただ一人の彼女。ハンカチを見るたびに思い出して、あまりに好きすぎて彼女の好きなラベンダーの鉢植えを飾ったりして――』


 その言葉が、現在進行形ならいいのにと願う――


「一緒に出かけられませんか……? 俺とれいは付き合っているのに――?」


 耳元で甘くせつない声で囁かれ、私はぱっと顔を上げて大きく目を見開く。

 今、なんて言った――?

 低くかすれた奏の声が耳からゆっくりと頭の奥に響いて浸透していく。

 私と、奏が……付き合ってる――!?


「えっ――!?」


 予想外の言葉に、驚きの声をあげる。瞬きも忘れて奏をくいいるように見つめる私の先で、一瞬、奏は怪訝そうにして口をつぐみ、それから大きく息をはいて空をあおいだ。


「れい……」


 呆れたような、困ったような感じで奏が囁き、目元を腕で覆ってあおむく。


「俺はれいのことが好きだと言ったはずですよ。れいも好きだと言ってくれました――だから俺は、付き合えるんだとばっかり……」


 奏はちらっと視線を下げて私を見て、すねるような笑みを浮かべる。


「それなのに、あの日、れいは用事があるとか言ってすぐに帰るし、連絡先はわからないし。唯一会うことができるお店にれいが来てくれると思っていれば、二日間音沙汰なしで。やっと来てくれたと思えば、男連れで――」


 耳元で囁かれて、どんどん鼓動がはやくなっていく。


「俺がどれほどれいを好きか分かっていると言ったくせに、秀先輩と仲良さそうにしているところを見せつけられて、どれほど俺を嫉妬させるつもりなんですか――」


 甘やかな瞳が一瞬うるんで、奏は頬を少しゆがめてささやくように声を落とした。

 痛いくらい切なく胸が焦がれて、だけど、頭がついていかなくて、聞かずにはいられなかった。


「奏が私のことを好きって言ったのは……高校生の頃のことでしょ?」


 瞬間、奏の瞳がぎらっと光を反射して鋭くなる。


「れい――?」


 威圧的に名を呼ばれて、ぴくりと肩を揺らす。


「どうしたらそんな誤解をするんですか……」


 小さな声で呟き、もどかしげに肩を落としてため息をついた奏は、青みを帯びた瞳に真剣な光を宿して、私をまっすぐにみつめる。


「れい、好きです。ずっと君に恋をしていました。俺と――付き合って下さい」


 そう言った奏の美しい瞳の中で、うっとりするほど甘い光がきらめいて、私を射とめ、きゅっと心が震えた。想いが急激に溢れ出て、身を焦がして、どうにかなってしまいそうだった。


「私も奏が好き――……」


 やっとの想いで言葉にした瞬間、解かれていた腕がかきいだくように私を引き寄せて、奏の胸の中に抱きしめられていた。


「れい、好きだ――」


 焦がれるように何度も耳元で囁いた奏は、慣れた仕草で私の顎をつかむとそのまま唇を強く押し当て、ちゅっと音を立てて唇を離す。斜めに私を見下ろした奏が満足げに微笑み、甘やかな瞳を投げかける。そのまま顔を近づけてくるから、私は思わず、両手を前につっぱり、奏の胸を力一杯押し返してしまった。

 まさか突き飛ばされるとは思っていなかった奏は、大きくよろめいて、どてっと地面にお尻をぶつける。

 乱れた前髪の奥で、驚きに奏の瞳が見開かれていた。奏が口を開くよりも先に、私は大きな声で叫んでいた。


「っ……いきなりキスするのはやめてっ!」


 予告なく奏にキスされたのはこれで三回目。そのことを思い出してしまって、かぁーっと顔が赤くなるのが自分でも分かった。

 目をぱちぱちと瞬き、立ち上がった奏は皮肉気な笑みを口元に浮かべ、顔を私の耳元に近づける。


「承諾を得れば、してもいいということですか?」


 魅惑的な声でささやかれ、体の中心から甘い痺れが広がる。

 戸惑いがちに視線を上げる私を、奏は満足げに、ふわりと薫るような笑みを向ける。

 あまりにその笑顔が煌いていて、私はぱっと俯いて、それからちらっと奏に視線を向ける。

 奏が今も私のことを好きだなんて、都合のよすぎることが信じられなくて、だけど、私に向ける甘やかな瞳が嘘だとは思えなくて、どくどくと心臓が高鳴る。

 嬉しいと思う反面、好きだと言われてもそうじゃなくても奏に翻弄されてばかりの私は、これから奏と付き合っていけるのかと不安になってしまう。だけど。

 二人の想いが合わさって同じ方を向いているのなら、上手くいくのかもしれない。

 甘く切ない想いが心を満たして、そんなふうに思う。

 好きだという気持ちと、好きだといわれた気持ちが、こんなにも心を強くさせてくれる。

 さぁーと風が吹く。爽やかなラベンダーの香りがふわりと広がり、私と奏を優しく包み込んだ。




これにて完結です。


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