第3話 恋愛対象―星降りの丘
夏休みになり、サークルの合宿で群馬に行くことになる。
私が所属している天文研究部は一年から三年生まで合わせて三十五人、学校に集合して大型バスを貸切り、合宿所へ向かう。日程は八月十一日から十四日までの三泊四日で、十二日に群馬天文台で行われるベルセウス座流星群の観測会に参加する。それ以外の日も夜は観測、日中は大学祭の展示物の作成をする。
全員参加のこの合宿、天体観測も楽しみなんだけど、私にはもう一つ楽しみがある――
行きのバスの中、隣の窓側の席に座る七海は寝ちゃって、窓の外に視線を向けたままぼーっとしてた私の頭がぽんっと叩かれて、驚いて後ろを振り仰ぐ。
「羽鳥、手出して」
通路に立っている秀先輩の姿を見て、ドキンと胸が高鳴る。言われるままに両手を広げると、両手から零れるような量のキャンディーやラムネ、クッキーなどのお菓子を乗せてくれた。
「あげる」
にかっと白い歯を見せて爽やかに笑って、通路を挟んだ斜め後ろの席に戻っていく秀先輩の姿に胸が鳴り響く。
「あ……りがとうございます」
秀先輩はすでに席に座ってて聞こえていなかったとは思うけど、お礼を言って手のひらのお菓子を見つめる。
どうしてお菓子をくれたのか分からないけど、秀先輩の優しい気持ちが詰まっていて、食べるのがもったいなく感じてしまう。
ちらっと後ろを振り向くと、通路側に座った秀先輩と視線が合ってしまい、ぱっとそらす。
わぁー、思いっきりそらしちゃったっ。嫌な子って思われちゃったかな。
焦る気持ちにもう一度振り返ると、秀先輩がじぃーっと私を見てて、くすりと笑った。
わっ、秀先輩に笑われちゃった。
恥ずかしくて顔を真っ赤にしたまま前を向き、手のひらに視線を落とす。このままじゃ食べられないから、お菓子を一度膝の上に置いて、ラムネを一つ口に放り込む。
しゅわーっと溶けてしまったラムネは甘酸っぱくて、心を温かくした。
残りのお菓子は鞄にしまって、大切に食べようと決める。
合宿所に着いて部屋割、荷物を運び終わると、まずはミーティング。十一月に行われる大学祭の展示物について何を作るか発表する。
合宿の日程、一日目は夕飯まで展示物作成、夜は観測。二日目は午前中展示物作成、午後から群馬天文台見学と夜通し観測会。三日目は自由行動、夜は合宿打ち上げの飲み会。四日目は午前中展示物作成で昼食後帰宅。
ミーティングをしている二十畳の和室の部屋の上座に三年生が座って、牛丸部長が説明をする。
「三日目自由行動の企画係、説明して」
部長が言いながら私と七海に視線を向け、部員の視線が集まる。
「はい。企画係の猿渡と羽鳥です」
七海が言って、私はその横で俯いてお辞儀する。
「今回は玉原ラベンダーパークに行きます。十時ロビー集合、十時半から十二時まで自由時間、十二時から十三時まで昼食、その後合宿所へ戻ります。これがパンフレットで、数枚しかないので回してみてください。参加費用は入場料とバスのガソリン代で千二百円です。参加する人は、今から回す名簿に名前を書いて下さい。参加表明は明日の午前中までにお願いします」
企画というのは、毎年二年生の企画係がどこに行くか何をするかすべて企画する。三日目は朝四時まで天文台で観測会に参加して、合宿所に帰ってきてからは昼ごろまで寝ている人が多い。大学祭の展示物はグループでやっていて、だれかが寝ていると進まない。それで、起きている人が時間をもてあまさないようにこの企画がある。
企画係は二年二人でやるのがきまりで、七海が立候補して私も付き合うことになった。
ほんとはこんな人の前に出てやる仕事は苦手だからやりたくはないんだけど、いつも助けてもらっている七海のお願いを断ることも出来ない。
「一年は六時から夕飯の準備があるから遅れないように。じゃ、夕飯まで解散」
牛丸部長が言って、ぱらぱらと部員が散っていく中、七海は手元に戻ってきた名簿を見ている。企画に参加する部員の名前が書かれている。
私は七海の横から名簿を見て、誰が参加するのか確認する。
あっ、秀先輩参加だ。嬉しくて、自然と頬が緩んでしまう。
はっとして隣に座る七海に視線を向けると、にたぁーっと意地悪な笑みを浮かべてるから、慌てて顔を引き締める。
「良かったね、先輩参加で」
でも、その言葉には素直に頷く。
※
天文研究部に入部したのも、七海が一緒に入ろうって言ってのがきっかけだった。私は何かサークルには入ろうとは思ってたけどどこのサークルがいいとかはなくて、七海が天文研究部の見学に行くと言うからついて行った。
部室には牛丸先輩と犬飼先輩の二人だけがいた。室内の電気を消して、手作りプラネタリウムの試演していた。
「あのー、天文研究部に入りたいんですけど……」
暗幕を引かれて薄暗い室内に入り、七海が声をかける。私はその後ろについていく。
ぱっと部屋の電気が付けられて部屋の明るさに瞬いて、目の前に立っていたのが秀先輩だった。
「一年生? 入部希望者?」
ふわりと人懐っこい笑顔を向けられてドキンとする。
普段は初対面の人いきなり声をかけられたら恥ずかしくて七海の後ろに隠れるんだけど、ノンフレームの眼鏡の奥に見える優しげな瞳に吸い込まれそうになって、見とれてしまった。
「はい、そうです。見学いいですか?」
「大歓迎だよ。俺は犬飼です、こっちが副部長の牛丸。真一、説明してやって」
後半は牛丸先輩に言ったんだけど、きりっとした一重の牛丸先輩は抑揚のない声で。
「俺説明苦手だから、秀お願い」
そう言って、机の上に置いていたプラネタリウムを丁寧に片し始めた。
真面目でクールな雰囲気の牛丸先輩と対照的に人懐っこい笑顔が印象的だったからかもしれない、私は秀先輩に一目惚れ――初めて会った日から惹かれ始めていた。
男性が苦手と言っても、恋愛に興味がない訳じゃない。ただ今までは、男性とまともに話す事が出来なくて、恋愛対象になる人がいなかっただけ。
入部すると、秀先輩とすぐに仲良くなった。秀先輩は優しくていつも手際が悪い私を気遣ってくれて、秀先輩が相手なら七海を間に挟まなくてもちゃんと話せた。
秀先輩が優しいのは私にだけじゃなくて、誰にでも優しいのは気づいている。私が特別とか、そんな勘違いはしていない。だけど。
七海に誘われて天文研究部に入った私は自分の意思で入った訳じゃなくて、天文のことは高校の授業の内容までしか知らないし、人見知りの性格も手伝って、あまり積極的に部活に参加していなかった。
それが気に食わなかったみたいで、一学年上の先輩からいじめ――無視されたり、一人で掃除をさせられたりした時期があった。
そんな時、私を目の敵にする先輩から庇ってくれたのが秀先輩だったから――好きな気持ちがどんどん大きくなってしまった。
秀先輩はいま三年生、今年の秋には部を引退してしまう。そうしたら私と秀先輩の接点は何もなくなってしまう。そんなのは悲しすぎる。
だから、この合宿中に告白しようと決意したの。だけど、人見知りの私、四六時中部員がいる中で告白をする機会を見つけられるか分からなくて、悩んでいた私に七海が企画係になって告白の協力をしてくれると言った。
つまり――自由行動の企画の日、私と秀先輩が二人っきりになって告白できるようにしてくれるって言うの。
企画は徹夜明けの日と言うことで参加人数はそんなに多くない。合宿所よりも二人きりになるチャンスは多いはず。
秀先輩が私を好きかも知れないなんて自惚れてはいない。告白してこの恋が実る確率は低い。だけど、例え確立が低くても気持ちを伝えずになかったことにすることは出来ない。
人を好きになって、気持ちを伝えるだけでも――私にとっては進歩だから。この恋で、少しでも成長出来たらいいと思っているの。
※
合宿二日目、昼食後に群馬展望台に行く。空はあいにくの曇り空で雨は降っていないけど、星はとても見えそうにはない。
観測の時間までは天文台の見学をし、東洋最大級の望遠鏡を見たりして時間を潰す。
空が宵闇に包まれた頃、外の観測広場に寝転がって全天の夜空を見上げる。
左隣には七海が、右三十センチの所にはなぜか秀先輩が寝転がっている。少し手を伸ばしたら触れられそうな距離に心臓がバクバクいっている。
昼間より雲が少なくなり晴れ間が広がり十三夜月が顔を出す。空はどこまでも澄みきり、無数の星が瞬いている。
降ってきそうな星空に目を大きく見開き、両手を空に伸ばす。恋焦がれている輝く星に手が届きそうで――
当然だけど星には手が届かなくて、空をむなしくかく。
右側からくすりと笑い声が聞こえて月明かりの闇の中、顔を右に向ける。
「何やってるの、羽鳥」
秀先輩の純粋な笑い声が聞こえて、ドギマギする。
星を掴もうとしたなんて、子供じみたとこを見られて恥ずかしい。
秀先輩は――星みたいに眩しく輝いていて、私には手の届かない人に感じる。それなのに今はこんなに近くに存在を感じて、愛おしさに胸がいっぱいになる。
寝転がったままひたすら空を見上げ、時刻は日付をまわり十三日午前一時頃。
キラッ――と空に一条の煌きが走り抜ける。
「わぁ――っ!」
瞬間、広場に歓声があがる。
一つ、また一つと流星が出現し、星が夜空を走っていく。
よく、流れ星が流れる間に三回願い事を唱えれば願いが叶うって言うけれど。
たった一瞬だけの輝きを見せ夜空に吸い込まれるように消えていく流星は、美しいけれどどこか儚くて――見入ってしまって願い事を唱えようという気にはならなかった。
「わぁ――っ!」
また一つ、走る星に広場がどよめき、感嘆の声が聞こえる。
私も思わず声を出して空を見上げる。
「綺麗……」
仰向けに寝転がった体の横に投げ出していた手が誰かの手と触れてしまって、ぴくりと反応する。
右側を見なくてもそこにいるのが秀先輩だって分かって。秀先輩の手と触れてしまったんだって分かって、鼓動が一気に早くなる。ふわっと、触れていた手の甲から手のひらに温もりが広がって、秀先輩に手を握られた。
秀先輩――!?
突然手を握られて、てんぱってしまう。微動だに出来なくて固まっていると、再び流星が流れて広場に歓声が響き、すっと手が離れていった。
―人物紹介―
◆犬飼 秀
武蔵野理科大学三年、天文研究部副部長