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第27話  届かない一等星―紺碧の宝箱



 目の前に差し出されたのはラベンダー色のハンカチ。奏の部屋に大切に飾られていた、奏の好きな人のハンカチ――


「これ、ずっとれいに返そうと思っていたのですが、返せなかった――俺のお守りだったから」


 言いながら、ゆっくりとハンカチに口づけた奏は、甘やかな視線を私に投げかける。


「え?」


 私はすっとんきょうな声をあげて、ぽかんと口を開ける。


「私の……ハンカチ……?」


 何を言っているのか理解できなくて呆然とする私を、奏は目をすがめて訝しむ。


「気づいていなかったんですか……?」


 そう言った奏の声は上ずり、戸惑いと驚きをにじませていた。


「これ、れいのハンカチですよ。中学の時、隣の席になった時に貸してくれた……本当に覚えて、ない……?」


 空色の瞳が大きく見開かれて、それからくしゃりと顔を歪めて奏は手のひらで隠した。

 私は手のひらに置かれたラベンダー色のハンカチをまじまじと見つめ、四隅の刺繍を見て、つい最近、七海が貸してくれたハンカチと同じものだと気づく。

 あっ……思い出した。

 中学の時、ラベンダー色のハンカチを見つけて嬉しくて即買いで、二枚買って一枚を七海にプレゼントしておそろいで持っていたお気に入りのハンカチだということ。いつのまにかそのハンカチは失くなっていて、ハンカチを持っていたこともすっかり忘れていた。


「本当にこれ、私の……?」


 自分でも忘れていたハンカチを奏が持っていたことが信じられなくて戸惑いがちに聞き返すと、奏は肩をすくめて私を見下ろす。ダイニングチェアをソファーの側に引き寄せた奏は、長い足をもてあそぶようにして座ると大きなため息をついて、額にかかるさらさらの黒髪を大きくかきあげた。


「本当に気づいていなかったんですね、それでれいがなんであんなことを言ったのか納得がいきました……」


 ため息のような小さな声だったから聞き取れなくて首を傾げたのだけど、奏はふわりと儚げな笑みを浮かべる。


「中学二年の二学期、席替えで俺とれいは隣同士の席になりました。その頃の俺は暗いダサいって女子にうっとうしがられてて、それなのにれいは普通に話しかけてくれた。体育で擦り剥いた肘を手当てしてもらおうと保健室に言った時、れいがそのハンカチを貸してくれたんです。『これを使って』って。血がついて汚れるからって断った俺に、大丈夫だから手当てした方がいいって言ってくれました。たぶん、その時からずっと好きなんです」


 奏は静かに目を伏せて、長い睫毛の影をその美しい瞳に落としながら、うっとるするほどあざやかに微笑んだ。


「高校入ってすぐに転校すると決まって、転校する前にどうしてもれいに気持ちを伝えたかった。だけどなかなかタイミングが掴めなくて、ぐずぐずして、やっと言えたのは転校の前日で――あの時のことがずっと忘れられなかった。れいが初めてブルーベルに来た日、一目でれいだと気づいて会えたことが嬉しくて、だけど聞いてしまったから――れいが男性恐怖症になった原因が俺だって……だから話しかけたかったけど、話しかけられなくて。でもずっと視線はれいを追ってしまっていた――」


 そこで言葉を切った奏は、きまり悪そうに口元を手で覆って、ごにょごにょと言い訳っぽく話す。


「あの時――その、唇が当たってしまったのはわざとじゃなくて……すみませんでした」


 そう言って立ち上がった奏は深く頭を下げる。その態度がすごく誠実で心に沁みる。


「会って最初に言うべきことだったのに、苦い記憶を蒸し返すことになってれいに嫌な思いをさせたくなくて――いや、こんなのは詭弁ですね。本当は俺が思い出してほしくなかっただけです。昔のダサい俺なんて思い出さずに、俺を好きになって欲しかった。だから、れいが俺のこと同級生だと気づいていないことをいいことに、ずっと黙っているつもりでした」

「でも、七海には同級生だって言ったんでしょ……?」


 七海に同級生だって言ったのは、私への復讐が終わって、もう気づかれてもいいと思ったからだとずっと思っていた。胸に抱えていた疑問を投げかけると、奏は片眉をあげてきらめく眼差しで私を見つめる。


「それは……このハンカチを見られて、れいが俺のことを思い出したと思ったんですよ。まさかハンカチが自分のものだとも気づかないで、あらぬ誤解をされてるとは思ってもみませんでした……」


 呆れたように言われて、その言葉が癇に障る。


「だって、失くしたと思っててまさか奏が私のハンカチを持ってるなんて思わないわよっ。それに奏はあの時、好きな人のハンカチだって言ってたから私のだなんて思いもしなくて――あっ、そうよ。じゃあ、この前一緒に歩いていた綺麗な女性はだれなの? あの人が奏の言ってた好きな人じゃないの?」


 なんだか頭が混乱して、自分で喋ってても上手く状況を整理できなくて、痛む額に手を当てる。


「この前――っていつ頃?」


 真剣な瞳にぎらっと光を反射させた奏にドキンとして、私は記憶をたどる。


「えっと、十月の初めの頃……」


 顎に手を当てて考える奏は、それだけで絵になるほど綺麗で、ため息が出るほど素敵だった。ぼぉーっと見つめしまった私は、ふと視線を上げた奏と目があってしまって、ドギマギする私を皮肉気な笑みを浮かべて見た。


「ああ、それは叔母ですよ」

「叔母さん?」

「そう。あ―……虎沢オーナー分かりますね? 彼は父の弟、俺の叔父にあたる人で、一緒にいた人はオーナーの奥さん。つまり叔母です」

「そんな……同じ年くらいに見えたのに」


 本当に一緒にいた人がとてもじゃないけど叔母さんには見えなくて言っただけなのに、奏は目元を和ませてくすりと笑う。


「ああ見えて三十代です。それ、すみれさんに言ったらすごく喜びますよ」


 慈しみにあふれた瞳で見られて、居心地が悪い。奏の言葉を疑う理由はなくて、すんなりと真実が心に広がる。

 なんだか今なら何でも聞けそうで、もうこの際、聞けることを全部聞いてしまおうと思ったの。


「でも、どうして叔母さんと一緒に? というか、お店辞めたって聞いたけど……」


 眉根を寄せて尋ねると、一瞬、目を見開いた奏は、次の瞬間お腹を抱えて笑いだしたの。私は、馬鹿にされたように感じて、むっと頬を膨らませる。

 涙にぬれた目を横に流して私を見た奏は、まだ笑いながら言う。


「どこで聞いたんですか、それ。辞めたんじゃなくて、ちょっとした休暇ですよ」

「休暇?」


 予想もしていなかった単語に、私はオウム返しする。


「ええ、実は祖父母がイギリスに住んでいまして、久しぶりに顔を見せるようにと電話がかかってきたので、休暇も兼ねて一月半ほど行っていたんですよ。叔母と一緒に出かけていたのは、祖父母へのお土産を一緒に買いに」


 オーナーと親戚だということにも驚いたけど、祖父母がイギリスに住んでいると聞いてさらに驚く。


「えっ……じゃあ、奏ってハーフとか?」


 話がそれていることにも気づかずに尋ねてしまう。


「父方の祖父がイギリス人で、俺はクォーターってことになりますね。もともと小さい頃はイギリスに住んでいて小学五年からは日本にいたのですが、高校に入ってすぐにまたイギリスに戻ることになって。仕事の都合だから仕方ないのは分かっていますが、高校を卒業してからは日本の喫茶店で働きたくて叔父の店で雇ってもらっていたんです。父も俺が日本に来てからはまた違う国に仕事で行くことになって、ちょうどいいと思ったんでしょうね」


 苦笑した奏はそこで言葉を切って、甘くきらめく視線を向けるから、ドキンとしてしまう。


「一緒にいたのは叔母で、俺が好きなのは――……」




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