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第23話  届かない一等星―月の番人



 ベッドに寄りかかって天井を見上げた私は、携帯の画面に映し出された番号を見つめて大きなため息をつく。


「はぁ~~……」


 パチンと鈍い音を立てて携帯を閉じると、立ち上がりながら側に置いてある鞄に放り投げて鞄を拾い上げる。スカートの皺を伸ばして、壁付きのハンガーからスーツの上着を外して袖を通し、その上に黒のトレンチコートを羽織る。

 季節は秋から冬に移り変わろうとしていて、上着なしでは寒い日が多くなってきた。

 今日は天文研究部歓送会。柏駅と豊四季駅の間にある料亭ときわで行われ、送る側の一・二年はスーツなのだ。

 七海いわく文化会なのに体育会みたいなノリみたいで疲れるというけど、天文研究部を作った第一期の部長さんがこういうノリが好きだったみたいで、以後代々受け継がれている伝統だったりする。

 まあ、年に何回もあるわけじゃないし、部活というよりもサークルのくくりになる天文研究部はこういう時でもないと全員が集まることがないから私は好きだけど。

 部屋を出て学校に向かって歩き出した私は、コートの上から巻いたストールに顔をうずめる。もう日が暮れかかっていて、顔にかかる風がひんやりと冷たい。西の空を赤く染める夕陽がセンチメンタルな気持ちにさせる。

 結局――隼人さんとの一日デートの終わりに奏の電話番号とメールアドレスを教えてもらったのに、連絡することは出来なかった。

 奏がなんで私にあんな嘘をついたのか。どうして同級生だと黙っていたのか。いろいろと聞きたいことはあったけど、なんだかすべてがどうでもよくなってしまった――

 もし奏に何か事情があったのだとしても、奏が私に好きだと言った言葉は嘘で――その唯一の真実に胸が切なく締め付けられる。

 奏にはちゃんと好きな人がいて、その人に愛おしそうに笑いかけて一緒に歩いているのを見てしまったから。その時の光景を思い出して、視界の端ににじむ涙を誤魔化すように俯き、道路を歩く人とすれ違う。

 奏に好きだと言われて心が揺さぶられたのが、奏を好きだからじゃなかったら良かったのに――

 自分の気持ちに気づく前だったら、こんなに傷つかないで済んだのかもしれない。

 今更そんなことを考えたって、好きになってしまった気持ちはどうしようもないのに、心が痛いって叫んでいてどうしようもなかった。

 こんなに心が痛むのは――信頼していた奏に裏切られたからじゃない、奏の言葉が嘘だったから悲しかったんだ。かき乱された心が切なく痛んで、溢れてくる涙を必死に堪えて唇とぎゅっと噛みしめる。

 後悔してるわけじゃない――

 例え、好きだと言った言葉が嘘だったとしても、失恋した私を連れ出してくれた優しさや頑張ったねって言ってくれた奏の強さが嘘だとは思えないから。

 奏の優しさに慰められたのは事実で、奏のおかげで秀先輩への気持ちに一区切りつけられた。

 復讐のために近づいたのだとしても、奏のすべてが嘘だったとは思えなくて、好きにならなければ良かったなんて思わない。

 復讐されたことに気がつかずに奏のことを好きになっちゃうなんて――私、なんてバカなんだろう。

 一人、ストールの下の口元に苦笑を浮かべて泣き笑う。

 だけど、これがきっと好きって気持ち。自分の意志とは関係なく、気づいたら好きになっていて、その人のことを考えるだけで胸がほかほか温かくなって、そして切なくしめつけられる――

 裏切られた悲しみ。失恋の痛み。今はまだ、すべてをなかったことには出来ないけど、いつか奏と再び出会う時には、笑顔でまた会えたらいいと思う。

 長い時間をかけてゆっくりと、ちょっとはみ出した気持ちが友達の好きに戻る時にはきっと笑顔で会えると思うから――



 校門をくぐり、すぐ横にある部室棟に向かう。校内は土曜日で生徒の姿はほとんどなく、静けさに包まれていた。部室棟に着くと、開けはなたれた軽音部が扉から楽器の音が聞こえてくる。冷たい空気を振動する音がどこか寂しげで、胸がくすぐられる。

 細長い部室棟を進み、中央の階段を登って二階にある天文研究部に行く。ドアノブに手をかけて鍵が空いていることに気づいて、首をかしげる。

 今日は十八時から歓送会で、今は十六時を過ぎたところ。一年生と手伝いのある二年は十七時に料亭ときわに集合で、この間買出しした荷物を取りに来た私以外にこの時間に部室に人がいるなんて思いもしなくて不審に思う。

 ゆっくりとドアを引きあけると、入ってすぐ右側の椅子に座っている秀先輩と視線があって、ドキンと胸が高鳴る。


「えっ……秀先輩……?」


 私の小さな驚きの声が聞こえたのか、秀先輩はくすりと笑い、手に持っていた雑誌を閉じる。


「やあ、羽鳥」


 ふわりと薫る優しい笑みを浮かべた秀先輩を見つめながら部室に入り、後ろ手で扉を閉める。


「こんにちは。秀先輩……どうして部室に……?」

「ん? ああ、俺はさっきまでゼミがあったんだ。教授が来週出張でいないから土曜なのに講義で学校」


 肩をすくめて秀先輩は言い、苦笑いを浮かべる。


「で、歓送会までまだ時間があるから部室で暇つぶし」


 そう言って持ち上げた本は、部室に置いてある天体関係の雑誌。去年までは、今の四年生が自費で買っていたものを部室に置いていたのだけど、その先輩が引退した後も雑誌を読みたいと言う意見が多くて部費で購読することになった。


「そうなんですか、私は荷物を取りに寄ったんです」


 奥の棚を指さして、一緒に買出しに言った時に秀先輩が持ってくれた買い物袋を取り出す。

 右手に手提げ鞄と大きな紙袋を一つ、左手に二つ持って部室を出て行こうとすると、秀先輩に呼びとめられてしまう。


「待って、俺も一緒に行くよ。その荷物は一人では持てないだろ?」

「えっ、でも、まだかなり時間ありますよ?」


 一人で持っていくつもりだったからきょとんと首を傾げて尋ねた私を、秀先輩はきまり悪そうに見て唇を動かす。首をかきながら一度落とした視線をあげて、その瞳を複雑な光を宿して立ち上がる。


「いいんだ、羽鳥を待っていたから……」


 掠れた小さな声だったけどちゃんと聞こえて、秀先輩の言葉に胸が大きく跳ねる。


「秀先輩――?」


 戸惑いがちに見上げると、切ない笑みを浮かべた秀先輩が無言で私に近づく。左手に持っていた紙袋二つをさりげない仕草で取り、私の頭越しに部室の扉を押しあけて微笑む。


「行こうか――?」


 私は静かに頷き、部室を出る。

 待っていた――そう聞こえたのは間違いじゃなかったのか確かめたかったけど、なんだか秀先輩の切ない表情に胸が締め付けられて聞き返すことが出来なかった。

 学校を出て駅まで歩き、電車に乗って豊四季駅から料亭ときわに向かう。その間、秀先輩とはたわいもない話をして、あっという間についてしまった。

 部室で見た切ない顔が見間違いだったかのように、秀先輩は何事もなかったようにいつものふわりと和やかな笑みを浮かべているし。本当に気のせいだったかもと思ったのだけど。


「すみませんっ! 歓送会の主役に荷物運びなどさせてしまって……」


 料亭ときわの入り口よりも少し外れたところで、持ってもらっていた紙袋を受け取った私は恐縮して何度も頭を下げる。

 荷物を持ってもらったことだけでなく、ときわまで来たのに中は準備中で入れず、時間を潰すために駅に戻って十八時頃にまた来ると秀先輩に言われて、迷惑ばかりかけてしまったことに本当に申し訳なくなる。


「本当にすみません……」

「いいんだよ、俺が運ぶって言ったんだから羽鳥が謝ることない」

「でも……」

「それより、そろそろ中に入らないと、それ、待ってるんじゃない」


 そう言って、体の前に回した両手で持つ紙袋三つを視線で指す。


「あっ……」


 私はぱっと顔をあげて、後方にあるときわに視線を向ける。それから秀先輩をまっすぐ見上げ。


「荷物持って頂いてありがとうございます、じゃあ準備してきますね」

「ああ」


 お辞儀をしてから秀先輩に背を向ける。紙袋を左右の手に持ち、ときわの入り口をくぐろうとした時――

 ぐいっと腕を掴まれて後ろに引っ張られるから、私は驚いて後ろを仰ぎ見る。

 息が触れそうな距離に秀先輩の端正な顔があって、甘やかな眼差しがまっすぐに私をみつめていて、胸がきゅっとなる。


「羽鳥――」


 呼びとめられたのは数秒の出来事なのに、永遠のように長く感じる。


「歓送会の後に話があるんだ――」


 濃くなり始めたブルーの空にほの白い下弦の月が浮かんでいた。




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