第20話 恋色ダイス―好きなのかもしれない
ずっと溜めこんでいた気持ちをぶちまけてすっきりしたはずなのに、涙が後から後から溢れて来て、止まらなかった。
また逃げ出してしまった――そのことに罪悪感がつのり、自分の想像通り奏が復讐のために私に近づいたんだと知って――胸が引き裂かれるように痛んだ。
失恋した日の出会いすら計画的なものだと思うと、胸のもやもやが大きくなる。
あの優しさも、すべては偽りだったの――?
もう何もかもが信じられなくて、ただ苦しくて――
その日、私は再び熱で寝込んでしまった。
※
十月、秋らしい陽気になり、昼間でも長袖ではないと肌寒く感じる日が多くなってきた。
改札前の柱の銀縁に映った顔を覗きこみ、乱れた前髪を横に流してリップを塗りなおす。
「羽鳥っ! ごめん、待ったか?」
改札を抜けて駆け寄ってきた秀先輩を見て、私は慌ててリップを鞄にしまう。目元を和ませて首を横に振る。
「いいえ、私もいま来たところです」
「高橋先生、話しだすと長くていつもゼミの時間長引くんだ……」
首を触りながら苦笑す秀先輩に、私も笑い返す。
「そうですね、講義もいつも休み時間潰れちゃうんですよ」
そう言って、改札前からコンコースを渡って駅前の画材屋さんに入る。
今日は秀先輩と待ち合わせて二人で買い物――
夏合宿の告白の後、私と秀先輩はギクシャクすることもなく、今まで通りの関係を続けていた。仲のいい先輩と後輩――だけど一つだけ違うのは約束をしたこと。
『今度、一緒に出かけないか?』
秀先輩のその言葉が嬉しくて、消せない気持ちが膨らむのが分かった。
見たい映画があってのお誘いだったのだけど、私が風邪で寝込んだりいろいろあって予定が合わなくて、のびのびになっていた“お出かけ”が今日というわけ。
「でも、すみません……私の買出しに付き合って貰う形になってしまって……」
画材屋に入り、店内中央のエスカレーターに乗って前に立つ秀先輩を見上げる。
秀先輩は夏休み明けに研究室の配属が発表されて、ゼミが始まり卒業研究に向けて忙しくなる時期でなかなか二人の予定が合わなくて、やっと合ったのが今日だったのだけど、私の買出しをするという用事に秀先輩について来てもらう形になってしまった。
おまけに買出しというのがサークルの歓送会の備品で――秀先輩は歓送される立場なのに買出しに付き合わせるってどうなの!?
うぅ……ジャンケンの弱い自分を呪ってしまう。
肩を落として沈んでいる私を見て、秀先輩はふわりと優しい笑みを浮かべて、ぽんぽんっと大きな手で頭を撫でてくれた。
「気にするな、俺もちょうどここで買いたい物あったからさ。でも――」
そう言って、秀先輩が口元に拳を当てて咳払いをする。
「本当は映画とかに、羽鳥と一緒に行きたかったけどな……」
掠れた声で、少し頬を染めて言った秀先輩の言葉に、私は胸がきゅーんと締め付けられる。
わっ――
「私も――秀先輩と映画行きたい……です」
そんなことを言ってしまって、かぁーっと顔が赤くなるのが分かって俯く。
今まで通りの関係――それでも少し変わったことがある。
なんだか秀先輩が私に向ける瞳が柔らかくて、私だけは特別なんじゃないかって、自惚れてしまいそうになる。
今までも時々はメールをしていたけど、ほとんどがサークルの連絡だった。でも出かける約束をしてからはお互いの予定の確認とか些細なことだけど、個人的な内容のメールのやり取りをするようになった。
妹みたいな存在だと言われた時は、恋愛対象として見られていないことに落胆したけれど、妹でも秀先輩の中で特別な存在でいられるならそれでいいかもしれないと思った。
初めての気持ち、淡く切なく大切な私の恋だった――
振られて傷ついて、だけど秀先輩を困らせたくて言った訳じゃない。今までの関係を壊したかった訳じゃない。少しでも前に進めれば、人見知りで男性が苦手でいつも逃げてばかりいる自分も少しは成長出来るかもしれないと思って――
どうしようもない失恋に、はじめは悲しくて何もかもが受け入れられなくて。だけど。
『どうしようもなくなんかありませんよ。よく、頑張りましたね』
そう言ってくれた奏の言葉で救われた。
秀先輩を好きな気持ちはそう簡単には消せなくて、ただ好きな気持ちを持ち続けてもいいんだと思えた。
優しく頭を撫でられるような、心をとろかすような言葉で励ましてくれたから、前向きになれたんだ――
奏のおかげなんだよ――心の中で呟いて、胸がぎゅっと締め付けられる。
それなのに、もう奏と普通に接することは出来ない。
復讐のためだけに奏は私に近づいて、好きだとか心にもない事を言って私をからかって――
許せないとかそんな気持ちよりもなによりも、悲しくて苦しかった。
ねぇ、奏――失恋をして時に慰めてくれたあの優しさも、全部ぜんぶ嘘だったの――?
「……羽鳥?」
急に声をかけられて、考え込んでしまっていたことに気づいてはっとする。目の前に秀先輩の心配そうな顔が覗きこんでて、私は慌てて尋ねる。
「あっ、なんですか、秀先輩」
正面に立った秀先輩は少し腰をかがめて私と目線の高さを同じにすると、その瞳に真剣な光を宿す。
「大丈夫か……?」
それが何に対しての大丈夫と聞かれたのか分からなくて、首をかしげる。秀先輩を安心させるように笑顔を作ったんだけど、なんだか上手く笑えなくて泣きそうになる。
大好きな秀先輩と一緒に初めてのお出かけなのに、私の頭の中は奏のことでいっぱいだった。
こんなに好きな秀先輩を目の前にして、心が弾まない。笑顔を作ろうとして――私なにやってるんだろ……
私は泣き笑いのような笑みを浮かべて秀先輩を見る。
「大丈夫ですよ」
ぜんぜん大丈夫じゃないけど、秀先輩に話す気にはなれなくてそう言うしかなかった。
秀先輩は大丈夫じゃないことに気づきながらも、それ以上詮索しないでいてくれた。その優しさが胸に沁み入る。それなのに、考えるのは奏のことだった――