第19話 恋色ダイス―心の扉を叩く音
合コンで、七海は奏と隣の席に座って、仲良さそうに話していたのを思い出して、胸がちくちくと痛む。
奏のことが好きなの――そう尋ねようとしたのに、言葉が出てこない。
「実はね……卯月さんっていう従業員の人」
七海が頬を染めて言って、私は聞き覚えのある名前に気づかれないように安堵のため息をつく。
「ああ、そんな人いたね……」
ロッカールームで会った卯月さんを思い出して顔を顰めると、七海が訝しんで私を見る。
「ちょっと! れい、卯月さんと知り合いなの!? 男性苦手のくせにいつ知り合ったのよ!?」
机の上に手をついて顔を近づけてすごい剣幕で問い詰められて、私は体をひいて七海から距離をとる。
「えっ……知り合いじゃないよ。ぜんぜん、知らない人」
ぜんぜん知らない人ではないけれど、たった数分会っただけで知り合いとは言えないよね。
両手を勢いよく振って否定する私に、七海が片眉を上げて座り直す。
「そう? まあ、そうよね、れいが男の人の知り合いがいるわけないよね」
なんだかその言葉に棘があって、でもその通りだから言い返せないけど。
「いいの、私は男の人なんて興味ないもの……」
これも嘘だけど。だって、私は――
「それよりさ、一緒に行ってくれるよね?」
女友達も男友達も多くて、誰とでも気さくに話せる七海だけど、好きな人の前ではすごく緊張して一人だとまともに話せなくなるらしい――私からしたら、ぜんぜんまともだと思うけど。
だから七海に好きな人が出来ると、私は好きな人に会う七海に引っ張られてついていく。私が一緒に行っても、どうせ間を取り持ったり話しに加わるなんてことは出来ないのに、なぜか私を連れていくのよね。
まあ、一緒に行くだけで、特に私はなにかをしなければいけない訳じゃないからいいんだけど。でもね、今回は……
「ごめん……私、行けない」
「えっ、どうして!?」
予想外の返答に七海がすっとんきょうな声を上げる。
「ブルーベルには――行きたくないの」
決意も固く言い切った私に、七海が訝しげに片眉を上げる。
「なに――なんかあったの?」
週三回以上通う行きつけの喫茶店にいきなり行きたくないなんて言いだせば、なにかあると思うのが普通だよね。
だけど、奏が同級生だったことや、ファーストキスの相手だったとか、復讐とか――
今は全部を話す気にはなれなくて、私は曖昧に首をかしげる。
「ん――、今度、話すね」
七海は私が話したくないのを悟って、ふぅーっとため息をつく。
「わかった、言いたくなったら聞かせてね。ブルーベルには、桃ちゃんか舞、誘うよ」
「うん、ごめんね」
それから二週間が経ち後期講義が始まって大学に行くようになったけど、私は一度もブルーベルには行かなかった。
そしてあの日から、私の微熱は続いていた――
※
「れい? もう講義終わったよ?」
「きゃっ……」
視界に七海の顔のアップがいきなり入りこんで、私は驚きで身をひいて背もたれにしたたかに背中をぶつける。
「なにやってるの……?」
呆れた顔で七海に言われ、私は笑って誤魔化す。
「えへへ……」
七海は机に片手をつき、もう一方に手を腰に手を当ててため息をつく。
「最近のれいはずっとぼんやりしてるね」
ずっと続く微熱のせいなのか、違うなにかのせいなのか――
ただ、気持ちの整理がつかなくて、ずっと心にもやもやした黒い塊が残っていた。
奏がどういうつもりであんなことを言ったのかが分からない。分からないなら、直接本人に会って聞けばいいのかもしれないけど……会いたくなかった。
奏のことを考えてちくちく痛む胸に翻弄される。
私は今でも、あの時から逃げ続けているのかもしれない――
このままではダメだって分かっているのに、一歩を踏み出すだけの勇気がなかった。
もし本当に復讐だったら、私は――……
それなのに、今、私はどうしてこんなところにいるのぉ――!?
ブルーベルは家から大学の間にはなくて、大学よりさらに駅に向かった大通りから一本外れたところにある。
駅に用事があって行かなければならない時も、なるべくブルーベルに近寄らない道を選んでいたのに、七海に引っ張られてブルーベルの並ぶ通りを歩いていた。
「ちょっと、七海っ! 新しく見つけたお店に連れて行ってくれるって話しだったじゃない!? この辺りに新しいお店なんて――」
このままもう少し進めば、ブルーベールについてしまう。私は必死に抵抗して足を踏ん張り、腕をひく七海から逃れようとする。
私はブルーベルには行きたくないのよっ。どうして連れて行こうとするのぉ――!?
引っ張り合いになってた腕を急に七海に離されて、私はバランスを失って後ろに数歩よろける。
「もうっ! まだブルーベルには行かないとか言っているの? あんなに気に入って通ってたのに、何が気に入らないわけ!?」
「なにって……」
それは奏に会いたくないからよ――
そう言ってしまいたかったけど、言えなくてぐっと唇をかみしめて俯くと、七海が腰に手を当てて大きなため息をつく。
「まだ、話せる状態じゃないわけ――?」
ちらっと顔を上げて七海の顔を見ると、心配そうな光を宿した目をすがめて私を見ているから、言葉で伝える代わりに小さく頷く。
「はぁー……分かった、せっかく卯月さんと仲良くなったかられいに紹介しようと思ったけど、また今度にする」
卯月さんを紹介――というのがなんだかものすごく嫌で、私は顔を顰めて七海を見る。
「私に紹介されても困るんだけど……」
一度話した時の印象が悪かったというのもあるけど、男の人を紹介されても緊張して話せないから困るというのもある。
「まあ、そうだけど。卯月さんが今度は友達も連れておいでって言うから……」
七海は最近、以前の私のように一人でブルーベルに通っているらしい。
でもそれって、営業で言われただけじゃ……
七海もそれに気づいていて、私を無理やり誘ったのかな。それなら一緒に行ってあげるべきかな。でも、だけど――
「ごめん、今は無理……」
心苦しくて申し訳なくて、私は俯いて言う。
「分かった――無理やり連れて来てごめんね、じゃ、また明日」
「うん、また学校でね」
七海は笑顔で手を振って、ブルーベルまで小走りに駆けて行く。黒縁の硝子扉の中に消えていく七海の姿を見送り、掠れていくパイプチャイムの涼やかな音色を聞いて、家に帰ろうと踵を返した時。
「れい――」
「――――っ」
そこにいた人物に、私は言葉を失って口元に手を当てる。
奏――
後ろに立っていた奏は、喫茶店の制服の上に羽織った紺色のスウェット素材のカーディガンのポケットに手を入れてスーパーのビニール袋を下げていた。
私はきゅっと唇をかみしめて奏から視線をそらすと、俯いたまま奏の横を足早に通り過ぎようとして――腕を強く引かれ、住宅の間の小道に連れ込まれてしまった。
「やっ、痛い――なにする……の……」
きっと苛立った視線を奏に向けると、そこには威圧的な瞳が鋭い光を宿してぎらりと光る。
ぞわっと背筋に冷たいものが這い上がり、体が震える。
「どうして、店に来ないんですか?」
冷えた氷の様な声に、私は視線を合わせずに答える。
「バイトと課題が忙しかったの……」
「それだけですか?」
「奏には関係ないでしょ、あっ――」
二の腕を強く引きあげられて、無理やり顔を上げさせられる。間近に妖艶な光を宿した瞳があって、不覚にもドキドキしてしまって、今度は反対側に視線をそらす。
「関係ない――? ならどうして、俺のことを見ないんですか?」
核心をつかれて、胸がじくじくと痛む。だけど――
「俺がなにかした?」
奏のその言葉に、胸にずっと押しとどめていた気持ちが涙と一緒に溢れだす。
「なにかしたか、ですって――? そんなの、したじゃない。さんざん、人の気持ちを振りまわして――」
私の言葉が言い終わらない内に、顔を無理やりあげさせられて――
腕を掴んだもう片方の手で私の顎を掴む。至近距離で奏の星空のような漆黒の瞳と視線が絡む。その瞳の奥には、焦がれるような熱と何かを強く求めるような光があって、胸が苦しくなる。
瞬きをした一瞬の隙に奏の唇を押しあてられて、一秒後にキスをされたと気づいて、思考が急速に回り始める。
「やっ――」
掴まれていた腕を強く振り払う。私の瞳は溢れてくる涙で霞み、溢れてくる感情のまま叫んでいた。
「復讐なら、もう十分でしょ!?」
自分で言った言葉に胸が切り裂かれるように痛んで涙が止まらない。
奏には好きな人がいるのに、どうしてキスなんかするの――
本当に嫌がらせ……復讐のためなの――
違う――って、奏の口からその言葉を聞けたなら、渦巻いている気持ちも不安な気持ちもすべてなかったことに出来るのに――
私の見つめる先で、奏の瞳が見開かれ切なく揺れるから――違うって言ってくれないから――
「どうしてこんなことをするの……ひどい、奏のこと信じていたのに――」
私は泣き叫んでその場を駆けだした。
信じていた友人に裏切られたから――?
どうして気づかれたんだって、奏の表情が驚いていたから――?
違う、そんなんじゃなくて私は――……
胸に押し寄せてくるもどかしい気持ちに、胸が苦しかった。