第18話 恋色ダイス―星が丘ララバイ
朝、鏡の中に写る自分は、泣きすぎて目が腫れていて火照ってだるそうな顔をしている。
ピピピピピピッ……
脇に挟んだ体温計から音がして取り出すと、小さな液晶には「三十九度六分」の数字――
なんだかだるくて頭が痛いから、風邪じゃないことを確かめるために熱を計ったのに、予想外の熱の高さに目の前がぐらぐらする。
今日も朝からバイトだったけど、さすがにこの熱じゃ行けないよね……
私は仕方なくバイト先に休むことを伝え、もう一度布団の中にもぐって寝ることにした。
遮光カーテンをひいていても隙間から差し込む光に部屋は明るい。
二度寝から目が覚めると、汗をぐっしょりかいていて気持ち悪くてシャワーを浴びて着替えることにする。少しお腹もすいてきて、朝から何も食べてないことに気づいて起きたついでに冷凍ごはんでおじやを作って遅い朝食兼昼食にする。
テレビをつけながら雑貨屋で買った一九九五円の長方形の折りたたみ机におじやの入ったお椀を置いて食べて、食べ終わった時ふっと思い立ってクローゼットをあさる。
確か、この辺りに……
昨日からもやもやした物が胸の底に溜まってて、それを解消するために半畳のクローゼットの奥からガムテープで口を閉じた段ボール箱を引っ張り出し、その中から重厚なえんじ色のアルバムを取り出した。
私に告白した次の日に転校していった彼が同じ中学だったことを思い出して、アルバムで確認すれば、胸に溜まったもやもやがなくなるかもしれないと思ったの。
朦朧とする頭で重みのあるアルバムを抱え、クローゼットの前からベッドに移動する。ベッドの下に座って寄りかかり、立てた膝の上でアルバムを開く。
何枚かページをめくって、三年一組のページで手を止める。四組まである中、私は一組で、中学の頃の自分の写真が載っていて、同じページには七海も載っている。
私はゆっくりとページをめくり、二組三組と一人一人の顔写真を見て、記憶の中の彼と一致するか確認していく。
二組と三組の中には彼はいなくて、四組を開く。
端から顔写真を見ていき、一つの写真にぴくりと眉を動かす。
黒くうっとうしい量の前髪が目にかかり、黒ぶちの眼鏡をかけた少年――
記憶の中の彼よりも少し幼い雰囲気だけど、間違いなく彼だと思った。それと同時に視界に入った文字に衝撃を受ける。
眼鏡をかけた少年の顔写真の下には――“辰巳 奏”と書かれていた。
か、なで――!?
私と奏は中学校が同じだった――?
ううん、それよりも――奏があの男の子!?
私に告白してきた男の子は――奏だったの――!?
だって、奏は眼鏡はかけてないし、髪の毛だってこんなにもっさりしていない。写真の男の子は眼鏡と前髪で瞳がよく見えないけれど、写真と今の容姿とはあまりにかけ離れていて、とても同一人物とは思えなかった。
ぐらりと歪む視界の端で、見知ったもう一つの名前を見つけて、大きく胸が跳ねる。
未至磨君も三年四組――
未至磨君と奏は同じクラスだったことがあって、転校した後も連絡を取り合う仲だったから、奏は合コンに来ていたの――?
昨日は合コンに騙されて連れて行かれたショックと男の子がいて緊張して、そこに奏が現れた驚きで未至磨君との関係とか全然考えなかったけど、二人の間になにかしらの関係がないと合コンに誘ったりしないわよね……
他のメンバーの隼人さんと猪瀬君は未至磨君と同じ大学の同じ学部だって言っていた。奏は大学に行ってないから大学の知り合いってことはないし、隼人さんに誘われて――っていうのもなんか違うカンジがする。そう、だって、奏と未至磨君は親しい間柄みたいだった。普通に話していたし……やっぱり、二人は同級生で親友で――奏は私と同級生だった――……
アルバムの写真に写る“辰巳 奏”が同姓同名の別人かもと考えたけど、未至磨君と同級生ということから、私の知っている奏とこの辰巳奏が同一人物という事実に繋がる。
つまり、高校生の時に告白してきたのは奏で……私のファーストキスの相手も――
そこまで考えてぐらんと激しい目眩がして、一度思考を止めて、お椀を片づけベッドに潜り込む。
もう一度寝直したら、少しは頭の中が整理されるかもしれない――そう思ったのに、奏のことが頭から離れない。
奏と私が同中出身。高一の時は同じクラスで、告白してきて――奏は今でも私を好きなのかな――?
そんなことを考えてしまって、ぼっと顔に火がついたように真っ赤になってしまう。
やっ、やだな……そんなことないよね、今更。
そうよ、だって奏には好きな人がいるもの。奏の部屋で見たラベンダー色のハンカチと、血相を変えてハンカチを隠した時の切なさに揺れる奏の顔を思い出して、一気に顔の火照りが引いていく。
そもそも、同級生って気づいていたなら喫茶店で会った時に言ってくれるはずよ。そうじゃなくても、同級生だったって知らせる機会はたくさんあったでしょ?
じゃあ、奏は私と同級生だったって気づいていないの――?
そう考えて、矛盾点に気づく。
違う――奏ははじめから私だって気づいていたんだわ。だからあの日、秀先輩に失恋して泣いていた私を強引に連れ出した――
それなら、どうして? どうして、同級生だったって言わないの――?
一つ答えが分かると、一つ分からなくなってしまう。
ただ、目眩のする頭とだるい体で考えついた結論は、奏が私のことを微塵も好きじゃないということ――
高校の時、告白されて答えずに逃げてしまった私を、今でも好きなわけがない。それに奏には好きな人がいるのを知っている。だから、奏の告白は嫌がらせで――告白から逃げた私への復讐のための告白だったのよ。
あの告白の彼が奏だと気づいていない私にもう一度同じことをして、困っている私を見て笑っているに違いないわ――
こんなことならアルバムを開かなければ良かった。こんな記憶なら思い出さなければ良かった――
奏が同級生で、告白してきた男の子だったなんて思い出さなければ、笑って奏の告白を冗談にすることが出来たのに――
悲しくて切なくて、心が傷ついてしまった。
こんなことってあんまりよ。復讐のために、好きでもない子に気のあるそぶりを見せて告白するなんて、最低な人間のすることだわ――
朦朧とする意識の中、ざわざわと胸が波立って、閉じた瞳から涙が一筋流れ落ちた――
その日の夜、私の熱は四十度を越え、ふらふらの状態のまま誰にも連絡を取れず、病院にも行けず、三日間音信不通となった――
※
風邪をひいてから五日目。七海と会う約束をしていたのだけど、電源が落ちた携帯にも気づかず放置していたから、連絡の全く取れない私のことを心配してアパートに尋ねてきてくれた。
「ちょっと、大丈夫なの?」
「うん、もう熱は微熱くらいまで下がったから……」
熱と頭痛だけで病院に行かずに家で寝てれば治ると思ったら、予想外に長引いてしまった。私はパジャマの上にカーディガンを羽織って、咳はでてなかったけど念のためにマスクをしてる。
へらへらと喋る私を見て、七海は片眉を上げる。
「ちゃんと病院に行かないからこういうことになるのよ」
「はーい」
「もう、ちゃんと聞いてるのっ!?」
コンビニで買ってきてくれたお弁当をレンジで温めながら、七海が苛立ちを露わに行ってくる。
私は手に持ったあつあつのココアに口をつけて、にこっと微笑む。
「うん」
面倒くさくて病院に行かなかったって言ったけど、本当はお金をかけたくなかったことに気づいている七海が、それでもあえてそこを突っ込んでこない優しさに、口元が緩んでしまう。
まあ、初日に病院に行かなかった理由はそれだけど、次の日から倒れて病院に行く気力もなかったというのは本当だけど。
温めたお弁当を持って、七海が向かいに座る。お弁当を食べながらしばらく話した時。
「体調良くなったならさ――」
七海が意味深に言うから、私はお弁当から顔を上げて七海を見る。
「ブルーベル、一緒に行こうよ」
ブルーベルにはよく七海と一緒に行くけれど、なんとなく誘われたことに違和感を覚えて七海をじぃーっと見つめていると、その顔が徐々に赤くなる。
「実はね……好きな人が出来たの……」
その言葉にどきっとする。
「えっ……それって……」
もしかして、奏――?
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