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第13話  レシュノルティア―奏の場合



 照明が半分落とされた客席に座って待っていると、しばらくして私服に着替えた奏が小走りで掛けてくる。

 今日の奏はブルーデニムのジーンズに、白黒ボーダーのTシャツの上に五分丈のグレーのカーディガンを羽織っている。


「お待たせしました」


 言いながら、頭越しに扉を押しあけて押さえてくれている奏を仰ぎみると、眉尻を下げてちょっと困ったような顔をしている。

 奏が半歩先を歩きながら夜道を進む。


「すみませんでした、俺がいない間に隼人が――従業員がご迷惑をかけたみたいで」


 隼人と呼んだのは、あの短髪の人かしら。きっとロッカールームで話したわよね、どんな風に説明したのかな――と不安に思う。


「えっと……大丈夫だよ」


 ぎこちなく言った私をちらっと振り返り、奏が大きなため息をつく。


「うちの従業員はみんな男ですからね、男性が苦手だと言っていたれいはロッカールームなんていられないだろと思ったから客席で待たすように言ったんですけど……すみません、俺がもっとちゃんとしておけば不愉快な思いをさせないですんだのに……」


 首を触りながら心苦しそうに言う奏の気遣いに胸がほかほかとする。

 男性が苦手って言ったのなんて話の流れで一回言っただけなのに、ちゃんと覚えていてくれたことが嬉しい。

 奏はいつも敬語でしゃんとしていてあまり口数が多くなくてクールな感じだけど、さりげない優しさがいつも心に沁みる。

 しばらくバス通りを歩いて、そういえばどこに向かっているのか聞いていなかったことに気づくけど、奏が黙って歩いているからなんとなく聞けなくてただついて行く。

 歩いている道はいつもアパートから学校まで行く道で、このままもう少し行った所を右に曲がれば私のアパートだと考えていた時、バス通りから横の道に曲がる。突き当たりT字路の手前のアパートに入っていく奏は、一階の一番奥の扉の前で立ち止まりズボンの中から鍵を取り出して開ける。

 私は奏から三歩離れたところで立ち止まる。


「どうぞ」


 扉を押さえて振り返った奏はそれだけで絵になるほど美しくて、薫るような笑みを浮かべている。

 だけどそれよりも――奏のアパートに連れて来られたことに気づいて慌てる。

 そういえば、家に送ってもらった時に近所って言ってたな――と思い出す。

 でも、なんで家なのかな……夕飯食べに行くんじゃないのかな?

 ていうか、男の人の部屋にこんな時間にお邪魔するなんてどうなんだろう……

 頭の中をいろんな思考が渦巻きその場で躊躇していると、奏が困ったようにくすりと笑う。


「そんなに警戒しないで下さい」


 そう言った奏がなんだか悲しそうな顔で首をかしげているから、私はぐっとお腹に力を込めて一歩踏み出す。


「お邪魔します……」


 言いながら玄関に入り、その瞬間、ふわりと爽やかなフローラルな香りが漂ってきて靴棚の上に視線を向けると、刈り取られたラベンダーの花が束ねられ逆さに吊るしてあるのが視界に入りこむ。


「ラベンダー……」


 大好きな花――のドライフラワー作りかけ? ――に見とれて靴を脱がずにいると、扉を閉めようと中に入ってきた奏が気づいて、「あっ……」と言う。


「ラベンダー好きなの?」


 私が振り返って聞くと、奏は少し困ったように肩をすくめる。


「俺が……というよりは知人が好きでその影響ですかね……」


 歯切れ悪く言う奏に気づかず、ほくほくと笑みをこぼす。


「私もラベンダー好きよ。爽やかな香りはなんとも言えないし、風にそよぐ姿が清楚で大好きなの。うちにも鉢があって、いまは遅咲きのプロバンスがまだ咲いているんだ」


 吊るされたラベンダーの穂先に指先で触れ、ふふっと笑う。


「これはオカムラサキかな……イングリッシュ系は色が濃くて香りがとくに良いわよね。ラベンダーと言ったら代表的なのがこれだけど、私はラバンディン系も好きよ。春先のシルバーに輝く葉色もなんとも言えなく素敵よ」


 べらべらと喋ってしまったことに気づいて、口元に手を当てる。


「……好きなんですね」


 なんだか切ない瞳で言われ、ドキンっとしてしまう。


「さあ、いつまでも玄関ではなくて、遠慮なく上がってください」


 奏に促され、改めてお邪魔しますと言って靴を脱いで部屋に上がり、出されたスリッパを貸してもらう。

 部屋はワンLDK。玄関からさらに扉を進むと、左手にI型キッチン、十畳のリビングダイニングには二人掛けのダイニングテーブルとお洒落なソファーとラグマット。壁側の本棚には本と瓶に詰められたコーヒー豆がディスプレイの様に綺麗に飾られている。

 リビングダイニングには三枚引き違い扉があって、奥に一部屋あることが分かる。

 キッチンカウンターには、見た事もないコーヒーマシーンの様なものが置かれている。

 本棚の本はコーヒーや料理の本ばかりだし、豆といいマシーンといい、家でもそうとう勉強している事が分かって感心してしまう。

 室内は綺麗に片づけられていて、私のイメージする男性の部屋とはだいぶ印象が違くて驚いてしまう。

 というか、男性の部屋に来たこと自体が初めてだったと気づいて、僅かに頬が紅潮する。


「その辺に適当に座って下さい」


 そう言って奏は奥の部屋に鞄を置きに行ってしまった。

 私は鞄を床に置き、ソファーに座る。改めて部屋をぐるりと見回して、茶色を基調にした室内の中に、違和感のある物に目を止める。

 それは本棚の横、壁に掛けられたハンガーに結わかれた紫色の女物のハンカチ。

 あっ……

 と思った時、奥の部屋から出てきた奏が血相を変えてハンガーを背中に隠す。


「見ましたか――……?」


 あまりに真剣な顔で聞かれて、私はくすりと肩を震わせて笑う。


「うん、見ちゃった」


 肩をすくめて謝ると、奏の瞳が揺れて切なさを帯びるから、その表情で察する。

 あのハンカチ、何なんだろうって思ったけど、こんなに必死で隠したがるなんて好きな子のなんだろうなって思う。

 きっと奏はその子のことが好きで、すごく好きで、だからいつも目の届くところに結わいているのだろう。

 そういえば――と、玄関での会話を思い出す。

 ラベンダーが好きな知人がいるって言ってたけど、きっとその人が奏の好きな人なんだ。ラベンダー色のハンカチなんて、まさにぴったりでしょ。

 それに、私が失恋した時に慰めてくれたのも奏が恋をしているからで――

 いつもだったら人の恋バナとかぜんぜん興味がないのに、なぜだか奏のことには興味が惹かれて、うきうきと瞳を輝かせて聞いてしまう。


「ねえ、あれって奏の好きな人の?」


 奏が大きく目を見開き、その空色の瞳が切なげに揺れる。


「……そう、ですよ」


 睫毛を伏せて言った奏がなんだか艶っぽくて見入ってしまう。


「そっかー、やっぱり奏には好きな人がいるんだね。失恋した私が言うのもなんだけど、奏の恋が実ってくれると嬉しいな」


 心からそう思って言うと、奏は複雑そうな表情で笑ってカウンターに向かう。


「コーヒー飲みますか?」

「えっと、今はいらない、かな……」


 言ったのと同時に、ぐぐぅ~と腹の虫が盛大な悲鳴を上げる。


「きゃっ……」


 慌ててお腹を押さえるけれど、押さえたくらいでは音は鳴りやまない。

 ぐぅ~、きゅるきゅるきゅる……

 お腹を押さえたまま、涙目で顔を上げると、ぽかんとした顔で奏が私を見ていて、次の瞬間、ぷっと吹き出した。


「あっ、すみません。あまりに軽快な音だったので……もしかして、夕食食べていないんですか?」


 その質問に片眉を上げる。


「もしかして奏は食べた……? 初めに夕飯食べようって話だったから食べていいのかどうか迷ってるうちに食べそこなっちゃったのよ……」


 ふてくされて言うと、奏が近寄ってきて。


「ごめん……俺があいまいに約束したからですね。実は俺も夕飯食いっぱぐれてまだなんですよ」


 申し訳なさそうに言った奏と目があって、しばらくの沈黙を挟んで。


「じゃあ、これからでも居酒屋に行く?」

「居酒屋に行きますか?」


 私と奏の声が被さって、二人顔を見合わせて笑いだす。

 いつもは二歩以上の距離を保っているのに、奏が私との距離を一歩、一歩と詰めてくるから、ぴくりと肩を揺らす。

 そっと伸ばされた手に手を握られて、ドキンっと大きく胸が跳ねる。

 いくら奏が友人で緊張しないといっても、突然のスキンシップには免疫がなくてドギマギしてしまう。


「れいはもう夕飯をすませていると思っていたので、家でコーヒーでも飲みながら話をしようと思ったんですけど……お店を出る前に確認しておけばよかったですね」


 すまなそうに言い、奏は握った手を胸の高さに持ち上げてきゅっと力を込める。


「遅くなってしまいましたが、夕飯、一緒に食べに行って頂けますか?」


 改まった言い方に微笑をこぼし、私は頷いた。




―人物紹介―

馬渡まわたり 隼人はやと

カフェ・ブルーベルのイケメン従業員バイト、二十歳、大学二年生


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