第5話「カレーパンの貢物と下賜」
翌日から、弁当を持って屋上に行くようになった。
「たまたま」だ。毎回。
3回目までに分かったことがある。
琴葉は昼休みにスマホで漫画を読む。少年漫画。意外だった。
風が強い日は嫌そうな顔をする。癖っ毛が暴れるかららしい。
食べることは嫌いじゃない。弁当のおかずを一つ一つ丁寧に食べている。
教室にいる琴葉と、屋上にいる琴葉は、別人みたいだった。
そしてもう一つ。
屋上にいると、頭の中がすっきりする。ゲージを気にして疲れていたざわつきが、ここでは静かになる。
琴葉しかいないから、視界に飛び込んでくるゲージの数が少ないせいかもしれない。
——居心地が、いい。
3回目の昼休みの帰り際。
俺が購買のカレーパンの話をしたら、琴葉が少しだけ反応した。
「……カレーパン」
「うちの購買の人気メニュー。カリカリで中のカレーもちゃんとスパイシーって評判」
「……ふうん」
興味なさそうに見えて、目が泳いでいた。分かりやすい。
「明日買ってこようか。人気だから売り切れてたら別のパンになるけど」
「……別に、頼んでないし」
「じゃあいらない?」
「…………」
琴葉が少し考えて、カバンからポーチを取り出した。小銭を出して、俺に差し出す。
「……200円。お釣りはいらない」
「了解」
「売り切れてたら別ので」
「はいはい」
背中を向けた琴葉の耳が、少し赤い気がした。
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4回目の昼休み。
購買は混んでいたが、カレーパンは残っていた。二つと、缶コーヒーを二本買って、屋上に上がった。
琴葉はいつもの場所にいた。スマホを見ている。俺の姿を——正確には、俺の手元の紙袋を見て、少しだけ目を細めた。
「……あった?」
「あった」
「……おぉ」
俺は彼女の前に立ち、紙袋と缶コーヒーを両手で持って、うやうやしく差し出す。
「姫。貢物にございます」
琴葉が固まった。
「……何それ」
「貢物の作法」
「…………」
琴葉が俺の顔を見た。真顔で差し出している俺と、紙袋の中のカレーパンを交互に見て——
ふっと笑って、紙袋と缶コーヒーを受け取った。
「……何それ」
二回目の「何それ」は、さっきと声が違った。呆れてるけど、嫌じゃない声。
「入城の許可を得たんだから、貢物くらい当然かと」
「……カレーパンはお金払ったんだけど」
「お釣りに少し足してコーヒーも買えたんで、そっちが貢物です」
琴葉がため息をついた。でも口元は緩んだまま。
ぼそっと言った。
「……大儀であった」
それが「ありがとう」の代わりだと、すぐに分かった。
琴葉がカレーパンの袋を開けた。一口齧って、目を丸くした。
「……うま」
「だろ」
「カリカリしてる。……ほんとにスパイシー」
琴葉が夢中で食べている。クールの仮面がどこかに飛んでいった。二口目、三口目。頬にパンくずがついているのに気づいていない。
俺も自分のカレーパンを齧った。——うまい。でも琴葉の食べっぷりの方が面白い。
ちらっとゲージを見る。緑。85%くらい。ここでは安定している。教室の100%とは違う、自然な数字。
缶コーヒーのプルタブを開けて、一口飲んだ。俺も合わせて、コーヒーを一口。
「……まあまあ」
「そりゃどうも」
「次はブラックで」
「注文多いな」
「貢物だから」
「だからお金払って——」
「臣下の務めなので」
「…………」
この子、姫ロールを使いこなし始めてないか。
しばらくして、琴葉が思い出したように言った。
「……あ、そうだ」
カバンの中から、小さなビニール袋を取り出した。中に飴が入っている。
「これ」
「……何」
「この前、咳してたから」
確かに、数日前に軽い風邪をひいていた。屋上でも少し咳き込んでいた気がする。
覚えてたのか。
「もう治ったけど」
「下賜されたものは丁寧に扱いなさい」
「…………」
下賜。用意してきてたのか。自分から渡すつもりで。
でも先に俺からカレーパンとコーヒーが来たから、タイミングが狂ったんだろう。下賜のはずが、貢物の返しみたいになってしまった。
「……サンキュな」
俺は袋を受け取った。
その瞬間——
琴葉の顔が、わずかに強張った。
「…………」
「……どうした?」
「……いや、別に」
琴葉が目を逸らす。
何だ? 俺、何か変なこと言ったか?
「サンキュな」——ただのお礼だ。何も変なことは——
俺は彼女のゲージを見た。
——変化なし。100%から動いた85%のまま。減ってない。
息を止めていたことに気づいた。
おばあさんの「ありがとう」で削れた。宮前の「ありがとー!」で削れた。言い方は全然違ったのに、どっちも削れてた。
なのに、俺の「サンキュな」では——何も起きていない。
なぜだ。「サンキュな」だから? 英語混じりだから? いや、違う。言い方の問題じゃないはずだ。おばあさんは丁寧な「ありがとう」で、宮前は軽い「ありがとー!」で、どっちも削れてた。
じゃあ何が違う。
分からない。口に出して聞くこともできない。「言えない」のは変わってない。
「……ねえ」
琴葉が言った。
「ん」
「あんたのさっきの……」
琴葉が首を傾げた。何かを探すような目。
「……なんか、違う。他の人と」
「違う?」
「うまく言えないけど。あんたの……なんていうか」
琴葉は自分でも分かっていないみたいだった。首を傾げて、少し考えて、やがて諦めたように肩をすくめた。
「……まあ、いいけど」
それだけ言って、缶コーヒーを飲み干した。
俺も、何も言えなかった。
風が吹いた。五月の風。屋上を渡って、フェンスを揺らして、通り過ぎていく。
——不思議だった。ここにいると、頭の中のざわつきが静かになる。ゲージを見ることへの疲れが、ここでは和らぐ。琴葉の前にいると、楽だ。
なんでだろう。考えても分からない。分からないけど、嫌じゃない。
チャイムが鳴る。昼休み終了。
立ち上がりながら、琴葉がこっちを見た。
「……カレーパン」
「ん」
「……また、たまたま余ったら」
顔を背けて言った。耳の先が少し赤い。
「……たまたま、な」
琴葉が鼻で笑って、屋上の扉に向かった。
俺はその背中を見送りながら、口に出さなかった言葉を飲み込んだ。
——たまたまじゃないのは、お互い分かってるだろ。




