第4話「たまたま、屋上の秘密基地」
月曜日。
金曜の踊り場が、週末を挟んでもまだ引っかかっている。
——教室で。なんで分かったの。
振り返りもせず、階段を上がりながら言ったあの声。小さかったのに、ずっと残っている。
二日間、考えていた。あれは何だったのか。俺はどうすべきだったのか。
答えは出なかった。出ないまま、月曜が来た。
教室で琴葉を見る。いつも通りだ。クールな横顔。窓の外。ゲージは100%。金曜のことなんか、なかったみたいに。
——でも、あったんだ。
昼休み。弁当を食べた。味がよく分からなかった。
悟は今日に限って早退していた。腹が痛いとか言って、三限で帰った。生臭のくせに腹だけは弱い。
弁当を食べ終えて、俺は立ち上がった。
足が、屋上への階段に向かっていた。
考えるより先に。金曜、琴葉が上がっていったあの階段。錆びた扉の向こう側。
扉を押し開けた。重い金属音。
四月の風が、一気に吹き込んだ。
琴葉がいた。
フェンス際に座っている。弁当の包みはもう畳んであった。食べ終わっている。
俺に気づいて、顔を上げた。
「…………」
「…………」
沈黙。風の音だけ。
「……来たんだ」
琴葉が言った。怒ってはいない。でも歓迎もしていない。品定めするような目。
「……たまたま」
「たまたま屋上に来る人いないけど」
「…………」
返す言葉がない。
琴葉がしばらく俺を見ていた。それから、少しだけ姿勢を崩して空を見上げた。
「……金曜の話」
心臓が跳ねた。
「なんで分かったの。教室で、あたしがおかしいって」
真っ直ぐだった。駆け引きも、探りもない。ただ聞いている。
——何て答える。
「ゲージが見えるから」とは言えない。頭おかしいと思われる。でも——
「……言えない」
琴葉の目が、わずかに細くなった。
「……でも、嘘はつきたくない」
口から出ていた。考えるより先に。
沈黙が、長く感じた。
琴葉が俺を見ている。何を考えているのか、分からない。
やがて。
「……ふーん」
小さく、息を吐いた。
「適当言わないんだ」
何かを確かめ終わったような声だった。
琴葉の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。目は笑っていない。でも、敵意は消えていた。
「……まあよい」
急にトーンが変わった。
「入城を許してしんぜよう」
「…………」
何だその言い方。姫か。
「……恐悦至極」
つい、合わせてしまった。
——何言ってんだ俺。
琴葉がきょとんとした。初めて見る表情を、一瞬見せた。
それから——口元が、さっきよりもう少し緩んだ。
「……変な奴」
「お互い様だろ」
「お互い様じゃない。あんたの方が変」
「…………」
琴葉がまた空を見上げた。風が吹いて、癖っ毛が揺れた。
「……つまんない奴だったら追い出してた」
ぽつりと。独り言みたいに。
「助けてもらったから入れたんじゃないから。勘違いしないで」
「……してない」
「嘘つかなかった。そんだけ」
嘘をつかなかった。それが、最低限の信用になった——のか。
しばらく、風の音だけが流れた。
琴葉のゲージは、90%くらい。さっきまでの100%から少し動いている。ここにいると、鉄壁が少し緩むのかもしれない。
「……ここさ」
ぽつりと。
「私の秘密基地なんだ」
「……秘密基地」
「昼休みとか、放課後とか。よくここに来てる」
なるほど。だから教室にいないことが多かったのか。
「あとこれ、誰にも教えてない」
「……そっか」
「あんたが初めて」
胸がざわついた。初めて、という言葉が思ったより効いた。
「だから……ここのこと、誰にも言わないでよ」
「……約束する」
琴葉が少しだけ、肩の力を抜いた。
チャイムが鳴った。五限開始。遠くの方から、かすかに聞こえる。
「戻らないと」
「……ああ」
俺は立ち上がった。琴葉も、ゆっくりと立ち上がる。
屋上の扉に向かいながら——
ふと思った。
——次は弁当持って来ようかな。
自分で驚いた。何考えてんだ。
口には出さなかった。
教室に戻ると、琴葉はもう席に座っていた。何事もなかったような顔で、窓の外を見ている。
クールな横顔。いつも通り。
でも俺だけは知っている。
あの子が屋上で、どんな顔をしていたか。
どんな声で「誰にも言わないで」と言ったか。
——秘密が、一つ増えた。
それは不思議と、嫌な重さじゃなかった。




