第2話「目で追ってしまう」
「ありがとう」を言われて、減った。
帰り道のことが、ふと頭をよぎる。
おばあさんの「ありがとう」。その瞬間に落ちた、佐藤琴葉のゲージ。
何事もなかったように歩き去る背中。
——なんだったんだろう、あれ。
布団の中で考えかけて、やめた。考えたところで答えは出ない。寝よう。
……寝つきは、いつもより悪かった。
◇ ◇ ◇
翌日の授業中。
斜め前の席に、佐藤琴葉がいる。相変わらずの横顔。今日も誰とも話さず、窓の外を見ている。
——視界に入る。席が斜め前だから、嫌でも入る。
そのたびに、つい確認してしまう。
ゲージは緑。昨日と同じ——いや、同じどころじゃない。マックスだ。100%。
俺がこの能力を得てから、いろんな人のゲージを見てきた。でも常時100%の人間なんて、あの子以外に見たことがない。
最初は「安定してるんだな」と思っていた。でも——違うだろ、たぶん。
誰とも関わってないから、減らないだけだ。
そして昨日のこと。「ありがとう」を言われた瞬間、あのゲージが落ちた。
見ないようにする練習をしてきた。意識が向いても、スルーする。そのルールで、だいたいうまくいっていたのに——琴葉のゲージだけ、ルールが効かない。
100%なんて数字は目立ちすぎる。ちらっと視界に入っただけで引っかかる。見ようとしなくても、勝手に目に入ってくる。
……やっぱり気になる。
指の腹で机を叩く。無意識のリズム。考えがまとまらないときの癖だ。
「——野くん。天野くん」
名前を呼ばれて我に返る。教師がこっちを見ていた。
「次、読んで」
「あ、はい」
慌てて教科書を探す。隣の女子がそっとページを示してくれた。助かった。
昼休み。悟がにやにやしながらやってきた。
「望」
「……なに」
「お前さ、さっきの授業中」
「何」
「チラチラ見すぎ。佐藤さんのこと」
「……斜め前の席だぞ。視界に入るだろ」
「視界に入るのと目で追うのは違うんだよなあ」
悟がわざとらしく腕を組んだ。
「昨日もちょっと見てたし。気になるお年頃?」
「……うるさい」
「否定しないじゃん」
「否定するほどのことじゃない」
「ほう。じゃあ認めるんだ」
「認めてもない」
悟が楽しそうに笑った。こいつ、こういうネタが好きなんだよな。
「で、なんか理由あんの?」
「……昨日さ、帰り道で見たんだよ」
「おう」
「佐藤が、おばあさんの荷物拾ってやってた」
「へえ。優しいんじゃん、意外と」
「……まあ、な」
「で?」
「それだけ」
「それだけ?」
「それだけ」
——嘘だ。それだけじゃない。
でも「ありがとうを言われて、ゲージが減った」なんて言えるわけがない。そもそもゲージが見えるなんて話から始めないといけない。
「ふーん」
悟はあっさり引いた。
「まあ、気になるなら話しかけてみれば?」
「……だから、そういうんじゃ」
「そういうんじゃなくても。クラスメイトとして普通に、とかあるだろ」
普通に、か。
——俺にはゲージが見える。見えてしまう。普通のつもりでいても、相手の内側がちらつく。
「おーい、望」
「……なに」
「また考え込んでた。ほんと最近多いな」
悟がため息をついた。
「まあいいや。メシ行こうぜ」
「……カレーパンの日じゃないだろ、今日」
「コロッケパンでも何でもいいよ。腹減った」
悟に引っ張られて、購買に向かう。
その途中。廊下歩く佐藤琴葉をみかけた。
弁当の包みを持ち、1人で歩いていた。誰とも話さない。誰も近づかない。
——つい、ゲージを見てしまう。
100%。マックス。微動だにしない。
一人でいても、何も減らない。誰にも関わらなければ、何も——
頭の奥が、ぼんやり霞んだ。ゲージを追いすぎた疲れが、じわっと来る。
その瞬間、琴葉がふとこちらを見た。
目が合った。
——ゲージじゃなかった。
数メートル先。こっちを見ている黒い瞳。表情はない。怒りも、興味も、何もない。ただ、視線を感じたからこちらを見た。それだけの目だったのに、引き寄せられた。
心臓が跳ねた。
同時に、後ろめたさがせり上がる。俺は——見てた。こっそり、ゲージを。あの子の内側を。覗いちゃいけないものを、覗いていた。それを咎められた気がした。
ドキッとしたのが、どっちの理由なのか分からない。
目を逸らす。足が動く。悟の背中を追いかける。
琴葉が視線を戻す気配がした。たぶん、また前を向いて歩いている。俺のことなんか気にもせず。
ゲージは100%のまま。俺を認識して、何も変わっていない。あの子にとって俺は、廊下を通り過ぎるだけのクラスメイトだ。
なのに。
あの目だけが、残った。ゲージの数字じゃなく——目が。
「望、遅いぞ」
「……ああ。悪い」
早足で悟に追いつく。
廊下の先、購買の行列が見えた。日常の音が戻ってくる。騒がしい昼休み。いつもの風景。
——でも、さっきの数秒が引っかかっている。
ゲージを見ていたはずなのに、目が合った瞬間、ゲージなんかどうでもよくなった。
あれは、なんだったんだろう。
答えは出ない。出ないけど——
たぶん明日も、斜め前の席が気になる。




