第18話「この目が、邪魔をする」
翌日。
昨日より、足が軽い。
踊り場で琴葉に見抜かれて、人を見ることを思い出した。
頭の芯の痺れが引いている。
今日はゲージじゃなく、琴葉の顔を見る。
あいつがやったように。
そう決めて、屋上への階段を上った。
◇ ◇ ◇
屋上。いつもの壁際。
琴葉はもういた。壁にもたれて、空を見上げている。
隣に座る。いつもの距離。
「……昨日、ちゃんと寝れた? 朝ごはん食べた?」
琴葉がこっちを見た。顔色を確かめるように、じっと。
「……ああ」
「……朝、教室で見た時からマシそうだなとは思ってたけど。——よし、左大臣に昇進ね。よきにはからえ」
「……もう?」
「顔色良くなったし」
——少し、笑えた。
横顔を見た。口元。まつげの影。風に揺れる髪の先。
——視界の上端に、バーがちらついた。
邪魔だ。
追い出した。意識して、視界の端から押しのけた。琴葉の顔に戻る。
——また映った。82%。安定。遮断なし。
——もう読んでしまっている。
追い出す。また映る。追い出す。また。
……うざい。
「……今日はちゃんと食べてんじゃん」
——こいつは、いつも見てる。ゲージなんかなくても。
「……食べてるよ」
琴葉の顔だけ見ていたいのに。こうやって普通に話していたいだけなのに。
——また映った。追い出す。
他の奴なら流せる。もう流せるようになった。
でも琴葉のゲージだけ——追い出しても、追い出しても、戻ってくる。
琴葉が俺の弁当箱を覗いた。
「……卵焼き甘い派なんだ。——有罪。右大臣ね」
「……判決と降格早くない?」
好きだから目が行く。目が行くからゲージが映る。
一朝一夕じゃ抜けない、身体に染みついた癖だ。
舌打ちしそうになった。こらえたけど、顔が歪んだのは隠せなかった。
琴葉が何か言いかけて——口を閉じた。
こっちを見る目が、少し揺れている。表情がわずかに曇った。
目がゲージに行きかけた。——止めた。今度は止められた。
でも、止めるために力を入れた顔が、また険しくなった。
「……何ぼんやりしてんの」
「……考え事」
「ふーん」
目が合う——合う直前に、またゲージに引っ張られた。視線がわずかに上を掠めた。
——うざったい。顔をしかめた。
「変なの」
そう言って琴葉は卵焼きを口に運んだ。
——次の瞬間、琴葉が訝しげに顔を上げた。
俺が見ていた方——琴葉自身の、頭の上。
何かあるのかと確かめるように。
ぎょっとした。あいつの視線の先——ゲージがある場所だ。
見えるはずはない。でも、方向は合ってる。
卵焼きを飲み込んで、琴葉が口を開いた。
「……あのさ」
「ん」
「…………」
琴葉が口を開いて、閉じた。前を向いたまま、膝の上の手を握り直した。
また、開きかけて——唇を噛んだ。
予鈴が鳴った。琴葉の肩がびくっと跳ねた。
——顔を見て、分かった。聞きたいことがある。でも、ここじゃ時間が足りない。
琴葉が立ち上がった。
「……放課後。ここに来て」
こっちを見ないまま言った。耳が赤い。
「……わかった」
琴葉はそれだけ聞くと、さっさと先に降りていった。
◇ ◇ ◇
教室に戻った。
田中。山口。窓際のグループ。——ゲージは見える。でも流せる。
ゲージが流せるようになって、見えてきたものがある。——俺自身だ。
琴葉の前でだけ、顔が歪む。あいつを見るたびに。あいつを見る時だけ。
咲希姉さんは「黙って隣にいるだけ」でいい、と言った。
でもずっと黙ってていいわけじゃない。自分の言葉がいる。
——でも、何を言えばいい。
——「放課後。ここに来て」
あいつは何を聞こうとしている。
◇ ◇ ◇
放課後の屋上。
西日がフェンスの影を長く伸ばしている。
昼間とは空気が違う。人の気配がない。
琴葉が先にいた。壁際に座っている。膝を抱えている。
隣に座った。いつもの距離。
沈黙。昼休みとは違う。何かを決めてきた人間の空気。
琴葉のゲージが揺れている。70%台。緊張。
でも壁を張ろうとしていない。丸腰のまま、ここにいる。
長い沈黙の後。
琴葉が深呼吸した。息を吐いた。もう一回吸った。
「……聞きたいことが、あるんだ」
「……ん」
「昨日——無理してるって、言ったよね」
踊り場のこと。袖を掴まれたこと。名前を呼ばれたこと。全部、覚えている。
「あの時は、全部がしんどそうだった。顔色とか、足取りとか」
「……うん」
「今日は——だいぶマシに見える」
琴葉がこっちを見ないまま、続けた。
「でも——ひとつだけ、消えてないことがある」
琴葉が立ち上がった。
壁際から離れて、フェンスの方へ歩く。西日を背にして、こっちを向いた。
座ったままの俺を、見下ろしている。
——逃げ場を断たれた気がした。
「あんたさ。私を見る時——変な顔する」
——心臓が跳ねた。
「何か堪えてるっていうか。……嫌なもの見たみたいな」
——ゲージだ。ゲージが映るたびに、顔をしかめていた。
でも琴葉には、俺が——琴葉を見て、嫌な顔をしている。そうとしか映らない。
「そんでさ」
琴葉の声が、少し震えた。
「私を見てるようで——私を見てない時がある。目線がちょっとズレてる。私の……上? よく分かんないけど」
——ゲージの位置だ。
頭上のバー。琴葉の少し上に浮かんでいる。そこに目が引っ張られるたびに——視線がズレる。
琴葉はゲージなんか知らない。でも、目線のズレには気づいていた。
「……最初は気のせいかと思った。でも何回も見てたら——パターンがあるって分かった」
琴葉の指が、自分の腕を掴んでいる。爪が食い込むくらい、きつく。
「あんたが辛そうな顔するの——私を見る時なんだよ」
「…………」
西日が赤い。フェンスの影が琴葉の足元に落ちている。
逆光で表情が見えづらい。でも——声で分かった。
怒っているのか、泣きそうなのか——たぶん、怖いんだ。
「——私がいるから、しんどいの?」




