第17話「見てたよ。ずっと」
琴葉が、俺を見下ろしている。
——まずい。
こんな状態のところを見られた。
屋上に行くつもりだった。いつもの顔で——たどり着けなかった。
こいつに心配をかけたくなかったのに。
背筋を伸ばした。口角を上げようとした。
——上がらなかった。
「……悪い、今日ちょっと腹の調子が」
「嘘」
即答。棘はない。ただ静かに、確信を持って。
「顔、白いよ。クマひどいし。笑い方おかしいし」
「……そんなに見てたのか」
「見てたよ。ずっと」
琴葉がまっすぐこっちを見た。
心配が隠せていない。眉が寄って、目の奥が揺れている。
ゲージは——70%台前半。遮断が消えて、少し消耗している。
「あんた、顔色悪いよ。HPゲージ真っ赤って感じ」
背中に氷を入れられたみたいだった。
「……見える、のか」
琴葉が怪訝な顔をした。
「は? そんなの見えたらやばいっしょ。——やっぱ余裕ないね」
——バレてない。
バレてないけど——当たってる。
俺のゲージ、真っ赤だろうな。自分のは見えないけど。
「大丈夫だって」
立ち上がった。足元がふらついた。
琴葉が手を掴んだ。
「望!」
——。
瞬間、音が消えた。
琴葉が。名前で、呼んだ。
琴葉自身が驚いている。目が見開かれている。
耳が真っ赤だ。
「…………」
「……あんた」
言い直した。声が上ずっている。
「……今、名前で呼んだ?」
「聞き間違い」
「聞き間違いじゃない」
「……うるさい。忘れて」
でも手は離さない。
細い指が、俺の手をぎゅっと握っている。
琴葉が、下を向いたまま言った。
「あんたさ。最近、無理してるでしょ」
「……してない」
「してる。分かるよ。見てれば」
見てれば。
顔を上げないまま、続ける。
「ゲージとか知らないけど、あんたの顔見てれば分かる。前と全然違う」
袖を掴む指に、力がこもった。
「前はもっと、ちゃんと笑ってた。今は笑おうとしてる。それ、逆にしんどそう」
「…………」
「最近ごはん食べるの遅いし。返事ズレるし。足取り重いし」
声が出なかった。
全部、見ていた。
ゲージなんか見えないくせに。目で。声で。毎日のちょっとした違いで。
隠してたのに。こいつの前でだけは大丈夫なフリをしてたのに。
全部、筒抜けだった。
「……なんで、そんなに」
「なんでって」
琴葉がようやく顔を上げた。目が赤い。唇が震えている。
「あんたが先にやったんじゃん。私のこと見てたの。大丈夫って聞いてきたの。屋上に来たの」
「私は返してるだけ。あんたがくれたもの、返してるだけ。たまたまなんかじゃない」
「…………」
「だから座って。動くな」
◇ ◇ ◇
座った。壁に背をつけて。
琴葉が隣に座った。踊り場の冷たい床。
屋上じゃない。いつもの場所じゃない。
でも隣にいる。
沈黙。
でもこの沈黙は、前と違う。
何も言わなくていい。ただいればいい。
そう言われている気がした。
琴葉のゲージが見えた。遮断なし。
こいつにはゲージなんか見えない。なのに全部気づいてた。
俺は——全然、分かってなかった。
数値が読めた。色が見えた。それに頼って——自分のことだけ、何も見えなくなってた。
全部バレてた。最初から。
目が熱くなった。
やめろ。こんなところで。
視界がにじんだ。一瞬だけ。
琴葉は何も言わなかった。横を向いたまま、踊り場の窓の外を見ている。
気づいている。気づいた上で、見ないふりをしてくれている。
肩が触れている。温かい。
階下から、昼休みの喧騒が遠く聞こえる。
長い沈黙の後——。
「……今週の貢物、まだもらってないんだけど」
——は?
思わず横を見た。
「貢物って何だよ」
「入城料。知らなかった? この踊り場、私の城だから」
「いつからだよ。さっき来たばっかりだろ」
「三秒前に制定した」
「……横暴すぎる」
「姫だから」
——笑った。小さく。でも、確かに笑えた。
琴葉も横を向いたまま、口の端が上がっていた。
ゲージが——見える。まだ見える。
でも今は、苦しくない。
見えなくても、分かる。
……そう、かもしれない。




