第15話「好きだと認めたら」
中間テストまであと一週間。
休み時間の教室は、いつもよりざわついていた。
テスト範囲がどうとか、ノート貸してとか、そういう声があちこちで飛び交っている。
俺は自分の席でぼんやりしていた。
頭が重い。最近ずっとこうだ。
教室にいるだけで周囲のゲージが目に入ってくる。前の席。隣の席。廊下を歩く奴。
色と数字がちらちらして、こめかみの奥がじんわり痺れる。
——目を閉じた。少しだけ。
まぶたの裏に、さっき見たゲージの色が残っている。
緑の残像。消えない。
目を開けた。消えるまで待てなかった。
「天野くん」
顔を上げた。
片桐さんだ。隣のクラスの子が一緒にいる。
二人でにこにこしながら俺の机の前に立っている。
「ちょっと聞きたいんだけど」
「ん、何?」
「蓮見くんからヤマカケ上手いって聞いたんだけど、中間の数学どこ出ると思う?」
——悟。何を広めてんだ。
前に「この辺出そうじゃない?」って言ったら当たって、それを悟が「望すげー」って言いふらしただけだ。
悟に悪気はない。たぶん。
「二次関数の応用は絶対出るよ。あと、先生が授業中にやたら繰り返してた余弦定理の証明」
「え、証明出るの?」
「出そうだなって思うだけ。ヤマカケっていうか、先生の癖を見てるだけだから」
「すごい。——ありがとう! 助かる〜」
片桐さんのゲージ。テスト前で少し削れてるが健全な範囲。
「ありがとう」で微減。——いつものこと。
片桐さんたちが笑いながら去っていく。
——視線を戻す。
琴葉。
自分の席で、窓の方を向いている。いつものクールモード。
シャーペンを握って何か書いている——フリ。
ノートのページが進んでいない。
パキン。
シャーペンの芯が折れた。
琴葉が無言でノックして、芯を出す。
書く。
パキン。
また折れた。
琴葉が一瞬だけ——こちらを見た。
いや、こちらというか、さっきまで片桐さんたちがいた方を。
視線が合う前に逸らされた。
ゲージ。93%。いつもの教室より壁が薄い。
中間テスト前で教室がざわついてるし、遮断が弱まってるのかもしれない。
ストレスが高い日なのかな。
それ以上のことは、考えなかった。
◇ ◇ ◇
放課後。教室に残っているのは俺と悟だけだ。
悟が椅子を引きずって俺の机の前に陣取った。
背もたれに腕を乗せて、足を組んでいる。なぜか偉そうだ。
「なあ望」
「ん」
「お前さ」
「何」
「佐藤さんのこと、好きだろ」
——。
空気が止まった。
いや、止まったのは俺の中だけだ。
「……うるせえ」
悟が目を細めた。にやつきではない。真剣だ。
「『うるせえ』って。否定しないんだな」
「…………」
「認めろよ」
「……知ってたよ、そんなこと」
言ってしまった。
「とっくに」
自分の口から出た言葉に、驚いた——ふりをした。
驚いてない。知ってた。ずっと。
名前をつけられなかっただけだ。つけたくなかった。
好きだと認めたら——この目が余計にゲージを追うって、分かってたから。
「で、告白すんの?」
「……できない」
「なんで」
「……いろいろ、ある」
「いろいろ」
「いろいろだよ」
悟はしばらく俺を見ていた。
それから、表情が変わった。
「お前、目の下のクマすごいぞ」
「……寝不足なだけ」
「笑い方がなんか弱い。前はもっと適当に笑ってたのに」
「……そうか?」
「そうだよ。——無理すんなよ。マジで」
悟のゲージを見た。78%。いつもより低い。
——先にゲージを読んだ自分に、うんざりした。
「大丈夫だって」
「もうそれ二回目」
「……じゃあ三回目。大丈夫」
「説得力ゼロ」
悟はそれ以上何も言わなかった。
椅子を引きずって俺の横に並べて、座った。
スマホをいじりながら、ただ隣にいた。
何も言わない。何も聞かない。ただ、隣にいる。
——咲希姉さんが言ってたやつだ。
「一緒にいるだけ、黙って隣にいるだけ」
悟は咲希姉さんの言葉なんか知らない。
知らないのに、同じことをしている。
帰り際、悟が立ち上がりながら一言だけ。
「じゃあな」
それだけだった。
◇ ◇ ◇
翌日。昼休み。
屋上。
琴葉がいつも通り壁際にいる。俺が隣に座る。弁当を広げる。
いつもの距離。いつもの場所。
何も変わっていないはずなのに、全てが違う。
琴葉が卵焼きをつまんで、口に運んだ。頬が動く。
「……なに見てんの」
「たまたま」
「たまたま凝視してた? 怖いんだけど」
「…………」
琴葉がふっと笑った。
——反則だ。昨日までと同じ笑い方のはずなのに。
焼きつけたい。この笑顔を。数値抜きで。ただの笑顔として。
なのにゲージの色が視界にちらつく。
——振り払う。今だけは。
風が吹いた。琴葉の髪が揺れる。
「見すぎなんだけど」
「……悪い」
「謝るくらいなら最初から見んなよ」
声に棘がない。むしろ楽しそうだ。
琴葉が俺の弁当箱を覗いた。
「……あんた、また残してんじゃん」
「……腹いっぱい」
「嘘。最近ずっとそう」
素の目でこっちを見ている。
「目の下、やばいよ」
「……寝不足」
「……ふーん」
信じてない目。でも追及はしてこない。
——そういうところだ。
ぼんやりした。頭の芯が重い。
風が心地いい。隣が心地いい。
——少しだけ目を閉じた。
体が傾いた。
「——っと」
自分で戻そうとした。
その前に、頭を掴まれた。
「ちょっと横になりな」
ぐい。
「——は?」
「寝不足なんでしょ。寝ろ」
「いや——」
「うるさい。動くな」
膝の上。
近い。琴葉の顎が見える。首筋。風で揺れる髪。
頭が真っ白になった。
ゲージ? 知らない。数値? 知らない。
脳のリソースが全部持っていかれている。
「…………」
「…………」
風の音だけ。
「……寝ろって言ってんだけど」
上から声が降ってくる。少し、震えている。
「……無理だろ」
「知らない。目、閉じろ」
——閉じようとした。
その前に、顔の上に何か乗せられた。
「……弁当箱?」
「目隠し」
俺の弁当箱だ。
残りが入ったまま蓋を閉じて、そのまま顔に乗せてきた。
……こういうところだ。こういうところが——
ゲージが消えた。
いつもの残像もない。
まぶたの裏にこびりついていた緑が、嘘みたいに静かだ。
代わりに——卵焼きの匂いがした。
中に残ってる、さっきの。少しだけ、腹が鳴りそうになった。
膝の温度。布越しの体温。風。
琴葉の呼吸——少し、速い。
ゲージが見えない。見なくていい。
頭の芯の痺れが、少しだけ溶けていく。
——少し、眠ったかもしれない。
目を開けた。
弁当箱が退けられていた。
琴葉の顔が、すぐ上にあった。見下ろしている。
——耳が赤い。
反射的にゲージを見た。
跳ねていた。
トクン、トクン。小さく上がって、小さく下がって。
80前後を、脈みたいに揺れている。
ストレスの揺れじゃない。
こんな動き方、見たことがない。
視線で気づかれた。
「……起きたなら、どけ」
琴葉が俺の頭をそっと持ち上げて起こすと、ぱっと離れた。
横を向いている。耳も首も赤い。
「……サンキュな」
「……別に。寝不足のやつが隣でぶっ倒れたら迷惑」
「……そっか」
「そう。迷惑。——それだけ」
全然それだけじゃない顔をしている。
弁当箱を手に取った。
さっき残した分。卵焼きと、ご飯が少し。
ぱぱっと口に放り込んだ。入る。普通に入る。
琴葉がちらっとこっちを見た。
すぐ逸らしたけど、口元が少しだけ緩んでいた。
チャイムが鳴った。
琴葉が立ち上がった。先に階段に向かう。振り返らない。
——と思ったら、扉の前で一瞬だけ。
こっちを見た。何か言いたそうな顔。
でも何も言わずに行ってしまった。
——さっきの、ゲージの揺れ方。
意味を考えようとして——気づく。
膝の温かさの方が、ゲージの残像より強い。
初めてだ。そんなの。
——階段を降りるとき、一瞬だけ視界が白くなった。
手すりを掴んだ。すぐ戻った。
……大丈夫。たぶん。




