第二章:アベルマス・ウィドバーグ (4)
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(再生暦五百年前後――およそ百年近く続いた大陸戦争の歴史は、今や誰もが教科書で学ぶ“常識”である。 大陸各地で人類が互いに刃を向け、その血が河を成した――そんな誇張めいた表現でさえ、もはや陳腐とすら言えるほどに語り尽くされていた。
戦乱は年を追うごとに激化し、とりわけ北方の覇者ハイヴリク帝国は、周辺諸国を次々と併呑し、その勢力を雪だるま式に拡大していった。 侵略を侵略と呼ばせぬほどの軍事力。 大陸統一を掲げるその野望は、決して空虚なものではなかった。
だが――その強大な帝国すら、抗えなかった災厄がある。
それが後に『北天崩落』と呼ばれる、人類史上最悪の惨禍であった。
皇都からさほど離れていない地に、突如として出現したひとつの迷宮。
それは既存の等級体系を嘲笑うかのように、あらゆる常識を踏み潰した。
攻略不能。
人類が初めてそう断じざるを得なかった絶対迷宮。
のちに第七等級迷宮と指定されるそれは『黒天の無窮塔』と呼ばれるようになった。
天を貫くかのごとき漆黒の塔。その頂は雲を超え、なお見えない。
内部には、神話やおとぎ話にのみ語られたはずの幻の魔獣――竜種が棲まうとされた。
それは単なる大型魔獣ではない。
山を踏み砕き、城塞を焼き払い、空そのものを震わせる存在。
かつて人類が“物語の中”へと追いやったはずの災厄が、現実としてそこに巣食っていた。
当時の帝国は、長期化した戦争によってすでに疲弊しきっていた。
若き兵は徴兵され、熟練の探索者もまた戦場へと駆り出されていた。前線維持のために迷宮攻略部隊は削られ、補給路は寸断され、国内の統治すら不安定になりつつあった。
その状況下で現れた第七等級迷宮。帝国には、初動対応に必要な戦力も、余力も、判断のための猶予すら残されていなかった。
対応のための“黄金の時間”は、戦火の中ですでに消え失せていたのだ。
――否。 たとえ戦争がなく、帝国が全盛の軍備を誇っていたとしても。結果は変わらなかっただろう。
第七等級迷宮がもたらした絶望は、軍事力や戦術で覆せる次元のものではなかった。
それは、人類という存在そのものの限界を突きつける“現実”だった。
溢流によって現れたのは、伝承にのみ存在した幻獣――竜種そのもの。
その吐息は皇都を容易く焼き払い、その翼は城壁を紙のように薙ぎ払った。
数千の兵。熟練の将。迷宮を知り尽くした探索者。
誰ひとりとして、まともな抵抗すら許されなかった。
だが惨劇は、それだけでは終わらない。
第七等級の溢流は、帝国内の他迷宮にも連鎖的影響を及ぼした。
各地で魔獣が溢れ、都市は崩れ、村は消え、かつて大陸最強と謳われた国家は完全に瓦解した。
その波は周辺諸国へと広がり、人類は数十年にわたり、絶望の淵へと叩き落とされ続けた。
その闇の時代に現れたのが、アインベルク・ローウェン博士である。
魔素核共鳴技術の創始者にして、魔素核動力理論を打ち立てた偉人。
帝国出身であった彼は、祖国が灰燼へと帰す光景をその目で見届けた数少ない生存者の一人でもある。
ゆえにその理論は、単なる学術的探究の産物ではなかった。滅びゆく故郷を前にしてなお、人類を救わんとする執念そのものだったと伝えられている。
後世に生きる者としても、彼の名を語るとき、思わず筆が止まる。
祖国を救えなかった無念と、それでも人類を救い上げた偉業への畏敬。
その二つが、歴史の中で今なお重く並び立っているからである。
彼の理論によって、人類は初めて魔素核から膨大な動力を引き出すことに成功した。
それを応用した対竜種兵装――高出力魔素砲、共鳴刃装、機動式結界装置などが開発され、従来の武装では歯が立たなかった竜種に対抗し得る戦力が整えられていった。
また、踏破不能と断じられた第七等級迷宮に対しては、攻略ではなく“封鎖”という新たな発想が採られた。
魔素核共鳴陣を幾重にも重ね、迷宮外縁に巨大封印圏を構築することで、溢流の抑制と内部活動の減衰を図る――いわゆる「外縁封印理論」である。
これらの兵装体系の成立過程や封印構築の具体的技術については、軍事関連や学術論文としてすでに別途詳述されている。本書の主題はあくまで魔素革命の社会的影響にあるため、ここでは概略に留める。
ただ一つだけ付言するならば――その偉業の陰には、戦死者を遥かに上回る犠牲があったという事実を、我々は忘れてはならないということだ。
――以上が、魔素革命前夜の歴史である。
次章より、魔素革命がいかにして人類の生活を変えたのかを述べる――)
「ふぅ……」
本から視線を外し、目を閉じる。
魔素革命。技術革新。社会構造の変化。
確かに、それらはこの時代を語る上で欠かせない出来事なのだろう。
だが――正直なところ、俺の胸を打つものは別のものだった。
人類同士の戦争、か……
胸の奥が、じわりと重く沈む。
魔素核の応用や新技術の発展よりも、なぜ人は刃を取り合ったのか――その一点のほうが、どうしようもなく重く感じられた。
かつての俺は、魔族さえ滅びれば世界は平和になると信じていた。そう信じて、疑いもしなかった。
だからこそ、神託によって勇者に選ばれた時、迷いはなかった。
――それが。
その結末が、人類同士の殺し合いだというのなら。
喉の奥が焼けるように痛む。
零れるため息とともに、俺は手にしていた本の表紙をじっと見つめた。
書庫に籠もり、手当たり次第に書物を読み漁った。
本来の目的は、失われた記憶を取り戻すための手がかりを探すことだった。
だが気づけば、俺はこの時代そのものを理解しようとしていたのだと思う。
歴史書、技術書、年代記――断片を繋ぎ合わせた末に、ひとつの結論へと辿り着いた。
改めて考えても荒唐無稽だ。
だが、否定しようのない事実でもある。
どうやら俺は――かつて暮らしていた時代よりも、少なくとも千年近く未来の世界へと放り出されているらしい。
今や記憶のほとんどは取り戻した。それ自体は、十日もかからないほど呆気ないものだった。
だが――
最後の一片だけが、どうしても思い出せない。
俺が勇者として魔王と対峙し、その果てにどのような結末を迎えたのか。
仲間が倒れる光景。怒り。無力感。
そして――その首に剣を突き立てた瞬間の感触。
そこまでは、鮮明だ。
なのに。
その先だけが、ぽっかりと抜け落ちている。
忘れてはならないはずの記憶だ。あの戦いの結末こそが、すべてのはずなのに。
何か重大なものを、置き去りにしている。焦燥が胸を焼き、息が浅くなる。
そして、記憶を取り戻して気づいたもう一つの事実。
この時代には、勇者も魔王も存在しない。
――いや。
存在したという“記録”すらない。
数百年続いた戦いも。数多な犠牲も。
共に笑い、共に戦い、共に生きた――みんなの軌跡も。
何もかもが、最初から無かったかのように消えている。
それが、何よりも耐えがたい。
まるで俺たちの時代そのものが、世界から切り取られ、抹消されたかのようだ。
原因として疑わしいのは、前の時代では聞いたことがない再生暦という年号、そしてその初頭の百年――大暗黒期。
あの空白の時代に、何が起きたのか。
もしそれが分かれば。
消えた過去の、かすかな痕跡くらいは見つかるのではないか。
そしてそのためには――
やはり、迷宮を調べるしかない。
迷宮は、俺の時代には存在しなかった。
この世界の人間は、それが“当たり前”だと信じて疑わない。
だが俺には違う。
どうしようもない違和感がある。
迷宮は、何かを隠している。
確証はない。ただ、そうであってほしいと願っているだけかもしれない。
だが――
たとえ何も見つからなかったとしても、何もせず受け入れるほど、俺は物分かりがいいほうではない。
俺と仲間たち、そして同じ時代を生きた者たちの時間が。暮らしが。物語が。
歩んできた軌跡のすべてが。
存在しなかったことにされるなど。
そんな結末は、認めない。
認めてたまるか。
「……今日は、ここまでだな。」
これ以上やっても集中できそうになかったので少し早く切り上げることにした。
立ち上がると、視線が集まることを感じる。
この学園の生徒でも、関係者でもない俺が、書庫に通い続けているのだから当然だ。ここでの俺は、ただの“異物”なのだから。
本を戻し、出口へ向かうと――
「おや、アベルマス君」
ハウゼンさんが立っていた。
「……ハウゼンさん。その、改めて。いろいろと便宜を図っていただき、ありがとうございます」
彼は人のいい表情で、穏やかに笑う。
「気にすることはない。それより、少し時間をもらえるかな。話があってね。お茶でも飲みながら、ゆっくりとどうじゃ」
「はい。わかりました」
俺はうなずき、彼の後に続いた。
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