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元勇者の迷宮探索者《ダンジョンシーカー》   作者: クロウィン
第二章:アベルマス・ウィドバーグ
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第二章:アベルマス・ウィドバーグ (3)

毎週土曜・日曜更新予定

祝日は追加更新あり

記憶にはないが、迷宮(ダンジョン)というやらで俺が発見されてから、25日ほどが過ぎた。


現在、俺が世話になっている“学園”というところの敷地は、想像していたよりもはるかに広い。その中でも、外周を取り囲むように広がる森は、とりわけ圧巻だった。


聞くところによれば、ここグロリスは他の迷宮探索者育成機関と比べても最大級の敷地を誇るらしい。単に面積が広いというより、この巨大な森そのものが学園の一部として機能していることが大きいのだという。


その広大な森の一角に、俺のお気に入りの場所がある。


散策の最中、偶然見つけた場所だ。


鬱蒼とした木立を抜けると、ほどよく開けた空間がある。訪れる者もほとんどおらず、静かで、朝日もよく差し込む。朝の鍛錬にはこれ以上ない場所だった。


春が過ぎ、初夏へと向かう時期だ。まだ早朝だというのに、空はすでに白み始めている。


森特有の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込みながら、俺は今日も木剣を握り、身体を動かしていた。


「八白九十一……八白九十二……八白九十三……」


()()()()()が、毎朝欠かさず続けていた素振りと型の反復稽古。


それを繰り返すことで、眠っていた身体を呼び覚ましていく。


まずは素振りを千本。その後に型の稽古へ移る。それが俺の朝の習慣だ。


ハウゼンさんやベアトリーチェさんの助力、そして書庫に籠もって書物を読み漁った成果もあってか、最近になってようやく失われていた記憶の大半を取り戻した。


勇者アベルマス。


かつて、そう呼ばれていた時代の記憶を。


だが、記憶が戻ったことで、かえって焦燥は強まっている。


理由は単純だ。


今の世界は、俺の知る世界とかけ離れすぎている。


人類の存亡を脅かしていた魔族は存在せず、当然、その王である魔王の痕跡もどこにもない。


それ自体は悪いことではない。


むしろ、あの時代を思えば、魔族などいないに越したことはない。


「九百五十六……九百五十七……九百五十八……」


……いや。 正確には、“魔族”という言葉と概念は存在しない、と言うべきだろう。


俺の記憶の中の魔族は、人と似た姿をしながらも、明確に異なる特徴を持っていた。


角。尾。人よりも長い耳。


そして何より、不吉なほどに鮮烈な紅の瞳。


それが魔族の象徴だった。


「九百九十八……九百九十九……一千。」


素振りを終え、身体は自然と型の動きへと移る。


だが、思考は止まらない。


今の世界にも、かつての魔族に似た外見の者たちはいる。


獣人(ビースト)竜人(ドラゴニュート)、エルフ、ドワーフ、翼人(ハーピー)


彼らは“亜人”と呼ばれ、普通に人類社会に溶け込んでいる。


違いがあるとすれば――


魔族特有の、あの紅い瞳を持つ者が一人もいないことくらいだ。


……いや。


本当に、いないのか。


無意識のうちに、左目の奥に意識が向く。


湯浴みの際に鏡へ映った、あの異様な色。


宝石のように澄みながら、どこか底の見えない紅。


思わず瞬きする。だが、瞼の裏に焼き付いた色は消えない。


……俺の、この目は――


「……っ、うわっ!?」


一瞬、視界の端に紅が滲んだ気がした。 振り抜いた木剣の軌道がわずかに逸れ、重心が崩れる。 転びかけたが、どうにか踏みとどまった。


……完全に集中を欠いていた。


朝の鍛錬は、身体を起こすためだけのものではない。


雑念を払い、無心に至ることで、自分自身を俯瞰するための修練でもある。


再び鍛錬を始めたのも、昔の習慣を思い出したからという理由だけではない。


この混乱した思考を、一度空にしたかったのだ。


身体が若返っているせいか、それとも長く鍛錬を怠っていたせいか、最初の一週間は純粋な疲労のおかげで何も考える余裕はなかった。


だが徐々に、身体が記憶に追いつき始めた。


今では型の最中でも思考が入り込む。


その結果が、今の体たらくだ。


師匠が見ていたら、何をやっていると叱り飛ばされていただろう。


俺の剣の師――“剣聖”と称され、人類の英雄の一人と謳われた男。


だが、その人の痕跡すら、この世界には残っていない。


小さく息を吐き、近くの岩に置いていた上衣を手に取る。


これ以上続けても、頭が静まる気はしない。


ひとまず戻って汗を流すとしよう。


空地を後にして、今俺が世話になっている管理人用の小屋へ向かいながら改めて自分の身体を観察した。


明らかに縮んだ身長。弾力を取り戻した肌。どれだけ動いても体内の力が尽きる気配すら感じさせないほどの活力。


俺の身体は、確実に若返っている。


だが、単に肉体が若返った――と片づけるには、どうにも違和感が残る。


この年頃だった頃を思い返せば、師匠の苛烈な修練のせいで全身は傷だらけだった。


昼夜を問わず剣を振るい続けた手は、大人と比べても遜色ないほど荒れていたはずだ。


成人してからも、絶え間ない魔族との戦い、そして魔王との死闘の末に、俺の身体は回復不能と言っていいほど損なわれていた。


――それが今の俺の身体には、傷一つ存在しない。


それどころか、全盛期に匹敵する体力。いや、それ以上に精錬された魔素が体内を巡り、感覚も一層鋭くなっている。


単に若くなったのではない。以前よりも優れた肉体を与えられたと言っても過言ではないだろう。


悪い話ではない……とは思う。このまま鍛錬を続ければ、いずれ成人していた頃の俺――勇者であった頃の俺をも超えられるはずだ。


だが、この身体になってから気にかかる変化が一つ……いや、二つある。


一つ目は、先ほど剣術の型稽古で醜態を晒す原因となった、赤く変じた俺の左目。


そして二つ目は、神託によって勇者に選ばれた際に授かった「女神の加護」が、跡形もなく消えていることだ。


人間と魔族は、幾度となく戦争を繰り返してきた。


だからこそ人類は、自らを鍛え、限界まで追い込み、己の身を守ろうとした。その果てに武や魔法の極致へ到達し、“英雄”と称される者も現れた。


それでも、種として見れば人類は魔族より劣っていた。


鍛錬で差を埋めることはできても、明確な限界があった。


上位魔族と呼ばれる者たちと比べれば、英雄であっても勝利を約束できるわけではない。


まして魔王を相手にするなど、常識では考えられなかった。


その状況の中で、女神は自らの力の一部を「勇者」と呼ばれる者に託すことで、人類を救おうとした。


その加護は魂に刻まれ、命尽きて女神のもとへ還るまで消えぬと伝えられていた。


その加護があったからこそ、人類は魔族に滅ぼされずに抗い続けられたのだ。


――それが、今はまったく感じられない。 まるで最初から存在しなかったかのように。


勇者となって以降、常に傍らに女神の気配を感じていたからだろうか。


加護のない今の俺では、魔王どころか上位魔族にも及ばない。


そんなことを考え込んでいるうちに、無意識のうちに足を止めていたらしい。


まだ太陽が高く昇る前で、森の空気は冷たい。上衣を脱いでいた上半身に、ひやりとした感覚が走る。


……冷静に考えれば, 朝霧の中で半裸になって自分の筋肉に見入る少年など, 不審者以外の何物でもない。通報される前に退散すべきだろう。


「さっさと戻ろ……」


妙に気恥ずかしくなり、俺の足取りが自然と速まった。

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