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元勇者の迷宮探索者《ダンジョンシーカー》   作者: クロウィン
第二章:アベルマス・ウィドバーグ
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第二章:アベルマス・ウィドバーグ (1)

毎週土曜・日曜更新予定

祝日は追加更新あり

再構築を終えたはずの第二等級迷宮が、わずか一日で再び封鎖された――


その報せは、翌朝にはすでに中等部全体に渡り広がっていた。


中等部の寮の食堂では、朝食をとる生徒たちのざわめきがいつもより幾分大きかった。焼きたてのパンの匂いと湯気の立つスープの向こうで、噂話が飛び交っている。


「聞いたか?白の地下聖堂、また再構築の前兆が出たらしいぞ。」


「は? 昨日終わったばっかりだろ?一日でって、さすがに早すぎじゃないか?」


「あり得ないから騒ぎになってるんだよ。昨日探索に行ってた先生達が戻ってすぐに完全封鎖になったみたいだ。」


あちこちでトレイを運ぶ生徒たちの足取りも、心なしか落ち着かない。


迷宮の再構築自体は珍しいことではない。だがそれは、数週間から数か月の間隔を空けて起きるものだ。一日で再発するなど、前例を聞いたことがない。


とはいえ、それ以上に大きかったのは、再構築後の探索実習が流れてしまったことへの落胆だった。


「せっかく再構築終わったばかりだというのに……俺、今日の実習で最深部までの最短ルート狙うつもりだったんだぞ!」


「実習は半日だろ。その程度で最深部なんて無理無理。」


「分かってるよ。夢くらい語らせろよ!」


「それより、実習なくなったってことは、その時間また体力鍛錬?うげぇ、だーる。」


その一言で会話中の生徒たちの表情が一気に曇り始めた。


「やめろ!現実を突きつけるな!」


「あーあー、まじ憂鬱だわー」


「再封鎖とかマジでついてねぇ。」


「自由探索も当分なしだろ。俺たちのパーティ、今週末の自由探索も流れそうだし……どうすんの?」


「街に遊ぶに行くしかないな。他やることないし。」


食堂の一角では、女子生徒たちが身を寄せ合い、声を潜めて囁き合う。


「でもさ、昨日の夕方、先生たちが誰かを運んでるの見たって子がいるよ?」


「え、先生怪我したの?」


「ううん、運ばれたのは知らない子だったって。」


「うちの生徒?」


「さあ?でも、制服は着てなかったらしいよ。」


「へぇ。誰だろう?」


声色は半分興味本位、半分は作り話を楽しむような軽さだ。


噂は噂を呼ぶ。


運ばれたのは再構築の最中に取り残された中等部の生徒だ、とか。


上位等級の迷宮から流れ込んだ探索者だ、とか。


いや、実は迷宮が生み出した人型の魔獣だった、等々。


憶測は次々と形を変え、尾ひれを増やしていく。


一方、高等部の食堂は、外見上は普段とほとんど変わらぬ光景だった。


談笑する声、食器の触れ合う音。生徒たちはいつものように朝食をとっている。


ただ、見かける教師の足取りがやや早く、どこか慌ただしい――その程度の違和感があるだけだ。


「昨日、中等部の初期探索に行った先生方が戻ってきたのは知ってるよね?」


「ああ。また再構築の前兆が現れたとかで様子がおかしかったって話だろ。」


「それだけじゃないらしいよ。なんか、中等部の妹に聞いたけど、先生方が迷宮から出てくるとき誰か一人、背負って出てきたらしいよ。医務室に運ばれたとか。」


「ん?怪我人か?先生が第二等級の迷宮で背負われる程の怪我を?」


「いや……生徒っぽかったとか。」


「は? 生徒は投入してないだろ。」


「おかしいでしょう?何でも迷宮の中から“知らない生徒”を連れ出したって話。」


謎の生徒の噂には高等部の生徒たちも興味は示すが、あくまで興味程度の温度感しかなかった。


「まあ、すぐ分かるだろ。どうせ後で説明あるって。」


「それもそうだね。あ、そういえばさー」


話題はすぐに現実的な問題へと戻っていく。


次の訓練試験や昼食の献立といった内容へ。


グロリスはいつもよりわずかなざわめきを孕みながらも、大きく揺らぐことなく、平穏な一日を迎えようとしていた。








・ ・ ・








――目を開けたとき、最初に感じたのは光だった。


白い。


やけに白い天井。


どこかで嗅いだことのある薬品の匂い。


……ここは、どこだろう。


自分の声が、思ったよりも幼いことに気づく。


俺は――


喉がひりつく。


「聞こえますか。」


どこか温かい、優しい声が降ってくる。


「指は動きますか。こちらを見られますか。」


視界に影が差し、誰かが俺の瞳を覗き込む。


言われるまま、わずかに指を動かす。


「意識はあるみたいですね。こちらの声にちゃんと反応しています。」


朦朧としていた意識が段々と覚醒し始め、自分が置かれている状況を少しずつ把握していく。


どこかで、横たわっている。


「では……自分の名前は分かりますか。」


名前……


その言葉に、胸の奥がかすかに震えた。


「……アベル……マス……」


口は自然に動いた。だが、それ以外が出てこない。


何をしていたのか。どこにいたのか。どうしてここにいるのか。


記憶を辿ろうとすると、頭の奥が焼けるように軋む。霧がかかったように、何も掴めない。


名前だけが、やけに鮮明だった。


視界の端に人影がある。黒い衣を纏った見知らぬ大人たち。そして、その中央に立つ、白髪の男。


威圧感よりも、静かな落ち着きを感じさせる立ち姿だった。


「他は?」


静かな問い。


「……分かりません。」


それが事実だった。


自分が何者なのか。どこから来たのか。何一つ、思い出せない。


動揺よりも先に、空白があった。


ふと、左目に違和感を覚える。


熱い。 脈打つような感覚。


「……鏡を、見せていただけますか。」


自分でもなぜそう言ったのかわからない。


しばらくして、手鏡が差し出された。


映った少年は、黒髪で、年相応に整った顔立ちをしている。完全に見知らぬ顔というわけではなかったが、どこか違和感がある。


遠い昔に見た自分の面影を、かすかに残しているような、そんな懐かしさが胸をよぎる。


だが, 何よりも異質だったのは――左目だ。


そこだけが異様だった。


宝石のように透き通った、鮮烈な紅。


光を反射するたび、底の見えない深みが揺れる。 美しいのに、目を逸らしたくなる色。


――この色を、どこかで、見たことがある。


胸の奥がざわつく。


血の匂い。瓦礫。城。紅く燃える瞳。


――何かが、脳裏をよぎった。


けれど、掴めない。


ただ一つ、その色を俺は知っているという感覚だけが残った。


「君から見て、この少年はどうだ。」


白髪の男が低く問う。


老婦人が、俺の脈を取りながら答える。


「身体的には安定しております。魔素の流れも落ち着いております。」


「そうか。他には?」


白髪の老人の問いに、老婦人は肩をすくめる。


「記憶の方はまだ不安定のようですね。外傷は特にないから、すぐ元気になれますよ。」


沈黙。


「そうか。」


やがて、白髪の男が静かに頷いた。


「……ひとまずワシらは下がろう。」


大人たちが視線を交わし、部屋を後にする。


「後は任せた。」


「ええ、任されました。心配しなくても大丈夫ですよ。」


扉が閉まる。


残ったのは、俺と老婦人だけだった。


「無理に思い出そうとしなくてよろしいですよ。」


柔らかな声。


「時間が経てば、戻ることもありますから。」


記憶。


どれほど、失われたのだろう。


分からない。分からないけど。


ただ、胸の奥で何かが、静かに蠢いている気がした。


俺は鏡の中の紅い瞳を、もう一度見つめた。


見てはいけない物を見るような、それでいて目を逸らせない。


――この色を、俺は知っている。


だが、思い出せない。


「……俺は……」


何者だ?


鏡に映る少年へ問いかける。もちろん答えは返らない。


ただ、紅だけが、静かに揺れていた。


「さあ、もう一度目を閉じなさい。」


老婦人の手が、そっと額に触れる。


温かい。


不思議と、抗う気にはならなかった。


「今は眠ることが一番の薬です。大丈夫。私はここにおりますから。」


ゆるやかな声音が、波のように耳に届く。


瞼が、重い。


抗わなければならない何かが、遠くで微かにざわめく。


けれど、それすらも薄れていく。


紅い残像が、闇の中に溶ける。


意識が、静かに沈んでいく。


そして俺は、再び深い眠りへと落ちた。

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