第一章:迷宮《ダンジョン》で発見された少年(1)
毎週土曜・日曜更新予定
祝日は追加更新あり
痛い。
だがそれは、肉が裂ける痛みでも、骨が砕ける痛みでもない。
形のない何かが、俺という存在の内側を引き裂いていくような、逃げ場のない圧迫。
輪郭を持たぬ刃が、魂の奥を削り取っていく感覚。
押し潰される。
削られる。
塗り替えられる。
やめろ。
それが俺の最初の意思だった。
これは俺だ。
俺の記憶だ。
俺の誇りだ。
俺が歩いてきた道だ。
仲間の笑い声も、剣を握った感触も、誓いも――すべて俺のものだ。
奪わせるものか。
だが、ぶつかってくる。
巨大で、冷たく、底の見えない何かが。
怒りでもない。
憎悪でもない。
ただ、圧倒的な“在り方”。
それは意志というより、法則に近い。
存在そのものが、こちらを上書きしようとしてくる。
俺の意識は浮かび上がる。
次の瞬間には、深い闇へと沈められる。
浮上。
沈下。
浮上。
沈下。
その繰り返しの中で、境界が曖昧になっていく。
ここはどこだ?
俺は誰だ?
その問いさえ、遠ざかる。
これは俺の思考か?
それとも、あれのものか?
拒絶しろ。
混ざるな。
抗え。
そう叫ぶ自分と――
静かに理解していく自分がいる。
冷たい視点。
俯瞰する意識。
人を、世界を、構造として捉える感覚。
生も死も、個も群も、ただ配置された要素に過ぎないとでも言うような思考。
違う。
俺はそんな風に物事を見ない。
だが、確かに知っている。
知ってしまっている。
まるで遠い昔から、それを当然としていたかのように。
時間の感覚はない。
永遠にも、一瞬にも思える。
どれほどの歳月が流れたのかは分からない。
だが――
気が遠くなるほどの時間が過ぎ去ったのだと、俺のどこかが知っている。
抗い続けた。
何度も、何度も。
沈みながら、浮かび上がりながら。
名を失いかけ、そのたびに掴み直した。
アベルマス。
それが俺の名だ。
だが、その名さえ、遠い。
拒み続けるほど、絡み合いは深くなる。
反発しながら、溶け合っていく。
相克。
同化。
侵食。
境界は薄れ、二つの鼓動が重なる。
俺は俺であり続けようとしながら、確実に何かを受け入れていた。
それは敗北ではない。
だが勝利でもない。
ただ、均衡。
そして――
その果てに、
遠く、かすかな光が見えた気がした――
・ ・ ・
再生暦九百九十七年。
人類の歴史は、この年号によって刻まれている。
だがそれ以前――旧暦と呼ばれる時代の記録は、ほとんど残っていない。 書物も、石碑も、壁画も、口承すらも断片的であり、体系だった歴史は失われている。
さらに奇妙なことに、再生暦が始まってからおよそ百年の間にも記録は存在しない。
歴史的文献、行政資料、個人の日記、絵画、遺物――そのいずれもが確認されていない時代。
後世の学者はそれを“大暗黒期”と呼んだ。
再生暦百年以降の記録が再び残り始めた時、世界には当然のように、すでに迷宮が存在していた。
それがいつから存在するのか。 なぜ存在するのか。
知っているものは誰一人として存在しない。
迷宮は世界各地に点在し、内部には“魔獣”と呼ばれる存在が絶えず発生する。
討伐された魔獣の肉体は根源魔素へと還元されるが、核や結晶といった素材を残す。
また迷宮内部では、外界では採取不可能な鉱石や薬草が生成されることも確認されている。
迷宮は階層構造を持ち、難易度に応じた等級が定められている。
最下級の第一等級迷宮から始まり、調査と攻略の困難さによって段階的に分類される。
現在、人類が確認しているのは第七等級迷宮まで。
第七等級迷宮は“攻略不可能”と判断され、封鎖・監視の対象となっている。
それ以上の存在については、確認例すらない。
迷宮の脅威と資源的価値。
その両面を管理するために生まれた職業が、迷宮探索者である。
彼らは迷宮での討伐、採集、調査、回収など、あらゆる迷宮での仕事を担っている。
迷宮の周囲には、いつしか街が生まれた。
魔獣から得られる素材を取引する商人、希少鉱石を求める鍛冶師、薬草を扱う錬金術師。
迷宮を調査する学者や、探索者に依頼を出す依頼人たち。
ギルドの建物、探索者たちの住居、傷を癒やす宿、情報が飛び交う酒場や食堂。
今や国家の経済と運営すら、迷宮を根幹として成り立っていると言っていい。
故に、大陸の諸国は優秀な探索者を切実に求めた。
その必要性に応じて生まれたのが、迷宮探索者専門育成学園。
その中でも最古にして最大の規模を誇るのが、グロリス学園である。
それが迷宮探索者育成のために設立された最初の学園であり、 現在もなお最高峰と評される教育機関である。
学園は中等部と高等部に分かれ、 入学は十五歳以上。
中等部には第二等級迷宮が、 高等部には第三等級迷宮が、それぞれ学園敷地内に存在する。
低等級とはいえ迷宮は迷宮であり、 在学中に実地経験を積ませることが教育方針の中核となっている。
中等部三年、高等部三年。 卒業時、年齢は二十歳ごろとなる。
その頃には一人前の迷宮探索者として、 国家直属の迷宮管理部隊へ進む者もいれば、民間ギルドに所属し前線攻略を担う者、 素材専門の回収業者として活動する者、迷宮調査官として各地を巡る者、 あるいは学術機関に残り迷宮研究に従事する者など、 進路は多岐にわたる。
子供たちは迷宮素材で作られた玩具を手に遊び、市場には迷宮産の鉱石や薬草が並ぶ。
迷宮は当たり前の存在として、 人類の歴史の中に組み込まれている。
――少なくとも、そう信じられている。
※面白いと感じていただけましたら、反応をいただけますと励みになります。




