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第四章:静かな亀裂 (1)

毎週土曜・日曜更新予定

祝日は追加更新あり

蒼月第四巡、十日の土曜日。


記念すべき、初の迷宮(ダンジョン)自由探索の日――


……のはずだったんだが。


「はあ……」


思わずため息が漏れる。気のせいか少し頭痛もする。


そう思いながら、原因のほうへ視線を向けた。


視線の先にいるのは、これから一緒に迷宮という未知の領域へ足を踏み入れることになる、頼もしいはずの探索者の卵たち。


……頼もしい、はずの。


「ソニアちゃーん、いい匂いする~……ふにゃふにゃ……体あったかくて柔らかい~気持ちいい~」


正面からソニアに抱きつき、頬を擦り寄せ、まるで大型犬のように甘えているニナ。


抱きつかれている当のソニアは、猫科の耳をぴくぴくと震わせながら顔を真っ赤にしている。


「ちょ、ちょっと……ニナさん、離れて……! ここは迷宮前だよ!?」


「ええー? まだ中に入ってないんだから平気でしょ?」


どこか不満げに頬を膨らませながらも、ニナはまったく離れる気配がない。


「そういう問題では……っ」


言い返そうとしたその瞬間。


「きゃあんっ!」


……今、妙に色っぽい悲鳴が聞こえた気がする。


ソニアは手で口の周りを塞いで、困った顔で犯人を見つめる。


ニナの手がひょいと背後へ伸び、しなやかに揺れていたソニアの尾を何の躊躇もなく掴んでいた。


「ちょっ……!?」


そのまま、ふわりと持ち上げるようにして指先で撫でた。


「わぁ……やっぱりふわふわだ。尻尾、すっごく柔らかい……あれー?ソニアちゃん、ここが気持ちいいのかなー?」


普段の無邪気な姿からは想像もできない、悪戯っ子の表情。まるで新しいおもちゃを見つけた子どものようだ。


そして、やられているソニアというと。


「ひゃっ……!?や、やめ……っ、そこは……っ!」


普段の冷ややかな表情はどこへやら。


顔を耳の先まで真っ赤に染め、細い悲鳴を上げる。何かを必死にこらえるように、両手で口元を押さえて震えている。


段々色っぽい感じに仕上がっている気がするが。


「し、尻尾は……弱いの……! だから、やめて……!」


ほとんど懇願に近い声音。その目はうっすらと涙を浮かべている。


そしてそれが、ニナのいたずら心に火をつけたらしい。


ニナの目が、きらりと光る。


「我慢しなくてもいいんだよー?ここ?それとも、ここかな?大丈夫!優しくするから……大丈夫だよ……」


「優しくの問題じゃない!!ちょっと、ニナさん?!目が、目が怖いって!」


必死に尾を取り戻そうとするソニア。


だが、既に暴走気味のニナは止まらず、さらに興奮を増しているようだ。


なぜか二人の背景に白い花びらが舞っているように見えた気がするが、きっと目の錯覚だろ。


……よし。見なかったことにしよう。


視線を逸らす直前に、ソニアがこちらを睨みながら何かを訴えるような表情をしていることが見えた。


何とかして!と、言いたげだ。


もちろん無視する。


一方、その横では。


「おっしゃー! 行くぞぉぉぉ!」


到着するなり迷宮入口へ突撃しようとするイチを、ラミアールが首根っこを掴んで引き止めた。


「待て、イチ。一人で突っ走るな!」


「ええー? だって、早い者勝ちだろ?」


「何がだ! いいか、ちょうどいい機会だ。君に説いてやろう。そもそも君は、名門グロリス学園の生徒としての自覚がまるで足りていない!」


ラミアールの説教が始まる。イチの性格からして、真面目に聞き入るとは到底思えないが。


「ははは! 面白いこと言うな! で、もう行っていいか?」


案の定、話の内容以前に聞く姿勢すらないらしい。


「いいわけないだろう! 人の話を聞け!」


「いや、だってさ。ラミアールの話、長いし、何言ってるのか分かんないし、眠くなるんだよ。」


「き、貴様ぁ……!」


ラミアールは激怒した。


「イチ・ベルガ! いいか、よく聞け! 誇り高きクルーマン家の嫡子、このラミアール・フォン・クルーマンがわざわざ貴様のために時間を割いているのだぞ! そもそも君は日頃から物事を考えなさすぎる! グロリスの生徒として、そしてこの僕と同じパーティを組んだ以上、振る舞いには相応の品格が必要で――」


早口で、息継ぎもせずにまくし立てるラミアール。


だが当のイチは「うげー」とでも言いたげな顔で、露骨に聞く耳を持たない姿勢を取っている。


あそこまで噛み合わないと、さすがに語り続けるラミアールのほうが少し不憫に思えてくる。


「つまりだ、君に足りないものは山ほどあるが――」


「長いってー! いいから一番乗りさせろよ!」


「駄目だと言っているだろう! そうやって考えなしに突っ走れば、君だけでなくパーティ全体が危険に晒される可能性が――」


「だーかーらー! 長いっての!!」


あちらはあちらで長くなりそうな気がする。


迷宮の入り口に立っている衛兵たちが生暖かい目を向けている。


その視線の中にはもちろん俺も含まれているだろ。非常に不本意だ。


一連の騒動を、少し離れた位置から穏やかに眺めている人物がいる。


「ほっほっほ。若いのう。」


顎髭を撫でながら、どこか祖父のような微笑みを浮かべている学園長、ハウゼンさんだ。


今回の自由探索における監視兼保護者。


実力的に問題はないが、1年生だけでしかも初回の自由探索ということになっているため、特別に同行することになった。


――というのは建前だ。


実際のところは、二等級迷宮で出現した俺という存在が、再び迷宮へ足を踏み入れたとき、どのような変化が起こるのかを確認するためらしい。


俺の素性を知っているのは、ハウゼンさんとベアトリーチェさんだけだ。


ハウゼンさん曰く、「自分がグロリスへ引き入れた以上、最後まで責任を持つのは当然だ」とのこと。


それに加え、迷宮という概念すら持たなかった千年前の人間――そんな俺が、現代の迷宮にどう反応するのか、純粋に興味があるとも聞かされた。


もっとも、その裏事情は当然ながら他の面々には伏せられている。


同行はするが、命に関わる事態でない限りは一切介入しない。


助言も同様だ。こちらから尋ねても、よほどのことがない限り返答はない。


迷宮で何が起ころうと、基本は見守るのみ――そう事前に釘を刺されている。


まあ、そのこと自体は問題ない。


問題はそこではなく、別の場所にある。


俺は、迷宮について何もわからない。


目の前の入り口が第二等級迷宮(レベル2)という、迷宮の中でも低い等級のものだとしても、知識がない俺一人では危険がある。


だからこそ、それを補えるパーティを組んだのだ。 ……まあ、最初はそういう意識はなかったが。


……始める前からこんな調子となるとは流石に思っていなかった。


あいつらとこれから未知の迷宮へ踏み入るのかと思うと、心底不安しかない。


「……はあ……」


本当にこんな調子で大丈夫だろうか。


いまだ騒ぎ続けるパーティメンバー達を眺め、俺はまたしても小さくため息を吐く。


どうして、こうなったのか。


それは、模擬戦の翌日の朝の話から始める必要がある。


そう。まだ朝靄の残る登校道で、ニナが真っ先に声を上げたのが始まりだった――

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