第三章:元勇者の学園初日(5)
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視線を向ける。
そこに立っていたのは、腰のあたりまで伸びた青い髪の少女だった。
毛先はわずかに波打ち、陽光を受けて柔らかく揺れている。
茶色の瞳。整った顔立ちはどこか冷ややかで、近寄りがたい印象を与える。
そして何より目を引くのは、頭部に生えた猫科の獣のような耳と、背後で静かに揺れるしなやかな尾。
獣人族の少女だった。
そんな彼女の、俺に向けられたその視線は、はっきりとした感情を帯びていた。
――敵意。
「男子の勝者があなたなら、女子の勝者はこの私よ。」
澄んだ声が、演習場の空気を切る。
「なら最後は当然――勝者同士で決めるべきじゃないかしら?」
周囲がざわめく。そこに困惑はない。あるのは期待と興奮だけだ。
まるで、まだ終わらぬ祭りを望んでいるかのように。
ゲオルト教官も彼女を制止しない。つまり、無言の了承ということだ。
とはいえ、目的だった迷宮の自由探索権はすでに手にしている。
これ以上模擬戦を続ける理由は、少なくとも俺にはない。
正直に言えば、気は進まなかった。
だが。
まっすぐ射抜くような視線に、言葉が喉で止まる。
試されているのか、突き放されているのか。
その眼差しを、どうしても無視できない自分がいた。
気づけば口が動いていた。
「……わかった。」
あちこちから小さく息を呑む音が漏れ、次の瞬間には歓声が弾ける。
「やってやれ!」「ソニアちゃん――頑張って!」「男の意地を見せろ!」「どっちも頑張れ!」「アベルくん!ソニアちゃん!頑張って―――!!!」「いけぇぇぇ!アベル!親友の俺が見守っているぞぉぉぉ!!!」
外野が一斉に騒ぎ出す。
その中で、ひときわ大きな二つの声があった気がする。……あえて触れはしない。
少女――ソニアと呼ばれた彼女が、一歩前に出る。
「ソニア・レグラタ。」
短く名乗る。
俺も改めて告げた。
「アベルマス・ウィドバーグ。」
その瞬間、彼女の眼光がさらに鋭さを増す。
反応したのは、アベルマスではない。
ウィドバーグ――その苗字に対してだ。
「……言っておくけど。」
冷えた声音。しかし瞳の奥には、強い熱が宿っている。
「あなたみたいなのが、ウィドバーグの苗字を名乗るのは認めない。」
場の空気が一段、冷えた。
「その苗字に相応しくないってことを――ここで証明してあげる。」
冷ややかに、そして不敵に微笑みながら、彼女は双剣を構える。
俺が言葉を探すより早く――
「始め!」
ゲオルト教官の号令が落ちる。
空気が張り詰めた。
――模擬戦、最終戦。
開始の声と同時に、ソニアの姿が消えた。
いや、消えたように見えただけだ。
地を蹴る音が一瞬遅れて耳に届く。
速い。
先ほどの男子たちとは、明らかに次元が違う。
右手にロングソード、左手に短剣。 ――双剣使い。
獣人特有の脚力を最大限に活かした踏み込み。
一直線ではない。 弧を描くように、俺の死角へ滑り込んでくる。
ロングソードが振り下ろされる。
重い。
速度だけではない。体重移動と腰の回転がしっかり乗っている。
受け流す。
だがその瞬間。
左の短剣が肋を狙って走る。
――二段構えか。
半歩退き、刃を弾く。
ソニアの尾がしなる。
着地と同時に再加速。
地面を蹴る音が、二度、三度と続く。
獣のように低く、鋭い。
純粋な身体能力。そこに鍛錬で磨かれた剣筋が重なっている。
……なるほど。
女子の勝者というのは伊達ではないらしい。
ロングソードが斜めに走る。 受ければ、そのまま短剣が喉を狙うだろう。
俺は踏み込んだ。
――間合いを潰す。
「っ――!」
一瞬、ソニアの瞳が揺れる。
速度特化型の前衛にとって、至近距離は必ずしも有利ではない。
ロングソードの軌道を殺し、柄を押さえ込む。
だが彼女はすぐに身を翻し、尾を支点に回転。短剣が下段から跳ね上がる。
鋭い。
刃を合わせず、体を傾けて躱す。
空気が裂ける。
「逃げてばかり……!」
低く唸る声。
怒りというより、焦燥。
その奥にあるのは意地だ。
ウィドバーグの名に対する執着。
事情はまだわからないが、面倒な縁に絡んでいるらしい。
その後も、ソニアは執拗に死角を狙ってくる。
右へ流れたかと思えば、次の瞬間には低い姿勢から左後方へ。
視界の端から、ふっと消える。
振り向いたときには、すでに刃が迫っている。
一度。 二度。 三度目も。
徹底して正面を避け、死角を取る動き。
――ならば、その徹底さを利用するまでだ。
俺はあえて、わずかな隙を作る。
右肩を落とし、体重を前に残す。
背後が空いたように見せる。
案の定。
地を蹴る音が、真後ろで弾けた。
「もらったわ!」
ソニアの気配が完全に視界から消える。
その瞬間。
俺は静かに剣を背へと回した。
無影一刀流――
【第三式・朧返。】
背に担ぐように構えた刃を軸に、踏み替えと同時に身体を反転させる。
歩法の重心移動と回転を利用し、死角だったはずの位置へ刃を走らせる。
斬撃は霞のように揺らめく。
死角を取ったはずの相手から見れば、俺の姿が一瞬掻き消えたように映っただろう。
「――っ!?」
木剣同士がぶつかる音が響く。
ロングソードが弾かれ、空中で回転する。
ソニアは辛うじて反応したが、衝撃を殺しきれず長剣を手放した。
地面に転がる音が乾いた余韻を残す。
彼女の手には短剣だけが残った。
それでも瞳の炎は消えていない。
歯を食いしばり、再び踏み込もうとする。
ルール上、武器を落とせば敗北だが、双剣の場合は両方を失って初めて完全な敗北となる。
とはいえ、片方を失えば動きは大きく制限される。
俺も木剣を握り直し、構えを整える。
――その時。
ぱち、ぱち、と乾いた拍手が響いた。
場の空気がわずかに変わる。
振り向くまでもなく分かる。
柔らかく、それでいて確かな存在感。
「見事だ。」
穏やかな声。
学園長、ハウゼン・ウィドバーグさんだった。
ソニアの動きが一瞬で止まる。
燃えていた闘志が、別の色へと変わる。
「あ……」
耳がぴくりと震え、尾が固まる。
頬がわずかに赤く染まった。
敵意でも怒りでもない。
だからといって、恋する乙女というのも少し違う。
強いて言えば、憧憬に近い感情だろうか。
突然、尊敬している人の前に立たされた子供のような反応だった。
……そういえば、昔、勇者に憧れていた村の子供たちの目も、どこか似ていた気がする。
そんな記憶が、ふと胸をよぎる。
となると、このソニアという子は……
「お、お疲れ様です! 学園長!」
その場にいた誰よりも早く反応したのはソニアだった。短剣は握ったままだが、胸の前で両手に添えるその姿からは、もはや緊張しか感じられない。
それに続いてクラスの面々も、
「学園長! お疲れ様です!」 「こんにちは!」
と口々に挨拶を交わす。
学園の生徒たちに相当慕われているらしい。
俺は軽く会釈する。
すると、ソニアがじろりと睨んできた。
……何が気に入らないんだ。
「お疲れ様です、学園長。申し訳ありません。自分の判断でこのような騒ぎを起こしてしまいました。」
ゲオルト教官が頭を下げる。
「よいよい。気にするでないぞ、ゲオルト君。おかげで面白いものを見せてもらったわい。」
ほっほっほ、と人の良い老人のように笑いながら、ハウゼンさんは温厚な眼差しでソニアを見つめる。
「さて、ソニア嬢。君から見て、アベルマスくんの実力はどう感じたかの?」
視線が一斉にソニアへ集まる。
彼女は一瞬だけ逡巡し、唇をきゅっと結んだ。
尾が落ち着かず、左右に揺れる。
「……別に。」
ぶっきらぼうに言いかけて、言葉を飲み込む。
しばしの沈黙。
やがて、観念したように小さく息を吐いた。
「……確かに、彼の剣の腕はすごいと思います。」
どこか無理やり搾り出すような声音。
「少なくとも……私より上。いえ、少なくとも一年の中に敵はいないでしょう。」
言い切った直後、悔しさを噛み締めるように視線を逸らす。
かと思いきや、またこちらを睨んできた。
――勘違いしないで。 認めたわけじゃないんだから。
そんな言葉が、今にも口から飛び出しそうな顔をしている。
自分の口で評価しておきながら、不満が隠しきれていない。
思わず、俺は苦笑した。
別に俺は何も言っていないのだがな。
ハウゼンさんは満足げに頷く。
「うむ。率直でよろしい。」
それから、ゆっくりと俺へ視線を向けた。
「では、アベルマスくん。学園初日を終えての感想を聞かせてくれるかの。それと――この学園での生活が、君の目的に資すると思うか?」
目的。
その言葉に、わずかに胸が重くなる。
俺は少し考え、正直に答えることにした。
「……まだ、よく分かりません。」
正直な本音だ。
だが。
言葉を続ける前に、自然と視線が動いた。
ニナ。
無邪気にこちらを見つめている。
イチ。
親指を立て、満面の笑みを向けてくる。
ラミアール。
腕を組みながら、どこか悔しそうにこちらを見る。
ソニア。
まだ少し頬を赤らめながらも、負けじと真っ直ぐ視線を合わせた。
そして、ざわざわとしたクラスメイトたち。
活気と期待と、まだ知らない未来への高揚。
眩しい、と思った。
「でも。」
俺は小さく笑う。
「ここは――悪くない場所だと思います。」
ハウゼンさんの目が、細められる。
「そうか。それは何よりじゃ。」
その一言で、模擬戦は正式に終了となった。
歓声とざわめきが戻り、演習場の空気が一気に緩む。
こうして、俺の学園初日は幕を下ろした。
・ ・ ・
夜。
与えられた寮の部屋。
本来は二人部屋だが、今は俺ひとりで使っている。編入したことや俺の事情もあって、個室扱いへ移されたらしい。
部屋は余っているから特に問題はないそうだ。
俺としては、こうして一人になれる空間があるというだけで少しだけ気持ちが落ち着くから助かる。
すでに夕食は終え、簡単にシャワーも済ませている。
最初は、シャワーという器具にも驚かされた。
蛇口を捻れば温かい湯が当然のように出てくるなど、あの時代には考えられない。
だが、慣れてしまえばこの上なく快適だ。
これもまた、魔素革命以後の技術発展の恩恵なのだろう。
人の暮らしをここまで変えてしまうとは――技術というものは、つくづく底が知れない。この時代に完全に馴染むには、まだ時間がかかりそうだ。
ベッドに横たわって、天井を見上げる。
……濃い一日だった。
自然と今日一日の出来事が脳裏をよぎる。
朝。
ニナとイチに声をかけられたところから、すべてが始まった気がする。
あの距離の近さ。遠慮のなさ。
続く質問攻め。
名前、出身、剣の腕、目の色――
答えようとするたびに次の問いが飛んできて、まともに呼吸する暇もなかった。
昼になれば、今度は食堂の喧騒。
初めて囲んだ長机。
温かい料理の匂い。
香草で焼き上げた肉と、炊きたての穀物。
あれほど賑やかな食事は、いつ以来だったか。
午後は走り込み。
そして模擬戦。
イチの真っ直ぐな踏み込みや、ラミアールの魔法と剣の同時運用。
そして、最後に対峙したソニアの速さに特化した獣人の戦い方。
戦闘だけではない。
ニナの素直な善意や人懐っこい性格、イチの無駄に大きい声や単純な性格、だけどどこか憎めない態度。
ラミアールのどこか板についた尊大な佇まい、ソニアの敵意を隠そうともしない視線や物言い。
……思い返すと、自然と口元が緩む。
やれやれ、と小さく息を吐いた。
精神的には、正直かなり疲れている。
だが。
不思議と悪い疲れではない。
胸の奥に、わずかな充足感が残っている。
――こういう一日も、悪くない。
窓の外では、夜風が静かに木々を揺らしている。
今週末には、自由探索の機会がある。
迷宮。
まだ一度も足を踏み入れたことのない場所。
この時代の迷宮に、俺が求めるもの――失われた時代の痕跡や、その原因に繋がる手がかりが残っているとは限らない。
むしろ、何もない可能性の方が高いだろう。
それでも。
自分の目で確かめることには意味がある。
未知の空間に対する、わずかな期待と、ほんの少しの緊張。
胸の奥に静かに灯る感覚を抱いたまま、思考はゆっくりと沈んでいく。
まぶたが重い。
今日一日の喧騒が、遠くなる。
静寂の中で、俺はゆっくりと目を閉じた。
――学園生活、初日。
騒がしかった一日が、ようやく静かに終わっていく。
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