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元勇者の迷宮探索者《ダンジョンシーカー》   作者: クロウィン
第三章:元勇者の学園初日
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第三章:元勇者の学園初日(1)

毎週土曜・日曜更新予定

祝日は追加更新あり

編入の日の朝。


まだ薄く霧の残る校舎前で、俺は一人、所在なさげに立っていた。


胸の奥にあるのは高揚ではなく、妙に落ち着かない緊張だ。戦場へ向かう前のそれと、どこか似ている。


「待たせてしまったかしら。」


振り向くと、長い金髪を後ろでゆるく束ねたエルフの女性が歩み寄ってくる。


細く尖った耳。澄んだ翠色の瞳。今日は教職用の落ち着いた装いで、武装の類は身につけていない。


レイラ・アハト。


一年二組の担任であり、あの再構築迷宮の初期探索にも同行していた探索者だ。


何度か顔を合わせたことはある。だが、どうにも落ち着かない。


……やはり、似ている。


長い耳。整いすぎた顔立ち。


かつて刃を交え続けた存在――魔族、その者たちと。


もちろん目は赤くないし、魔族特有の禍々しい魔素も感じない。


頭では理解している。今の時代, 尖った耳は”隣人”の証だと。


だが、 魂に刻み込まれた戦慄までは, 時代の変化に従ってはくれなかった。


それでも、身体はわずかに身構えてしまう。


千年前の戦いの記憶は、理屈よりも先に反応するらしい。


「……少し、顔色が優れないように見えるけれど。大丈夫かしら?」


穏やかな声に、わずかに肩の力が抜ける。


「いえ、大丈夫です。」


彼女はそれ以上深くは踏み込まず、柔らかく頷いた。


「それじゃあ、教室へ案内するわね。」


教務室で簡単な確認を済ませ、二人で廊下を歩く。朝の校舎はすでに活気に満ちていた。


一年二組の前で、レイラ先生が扉を開ける。


「おはよう、みんな。」


ざわめきがすっと止む。


「今日から編入してくる生徒を紹介するわ。」


一歩、前へ出る。


「アベルマス・ウィドバーグくんよ。仲良くしてあげてちょうだい。」


……ずいぶん簡潔だな。


「……アベルマス・」


ほんのわずかに言葉が止まる。


舌の上で転がすには、まだ新しい音だ。


「……ウィドバーグです。よろしくお願いします。」


視線が一斉に集まる。


警戒というより、落ち着かないきらきらとした視線だった。


理由は分からない。


ただ、教室中がこちらに興味を向けていることだけははっきり伝わってくる。


そのほとんどに悪意はない。一部では敵意のような視線もあるように感じたが、今はそれを気にする余裕はない。


逃げ場のない光の中に立たされているようで、妙に喉が渇いた。


平静を装いながらも、どう振る舞えばいいのか分からず、わずかに指先へ力が入る。


「ウィドバーグくん、あちらの窓際の席よ。」


その声に、はっと我に返る。


教室の後方、窓際に空いた席が一つ。


「……はい。」


短く答え、ゆっくり歩き出す。


視線はまだ追ってくる。背中に当たるそれを意識しないよう努めながら、一歩一歩足を運ぶ。


机と机の間を通り抜けるだけなのに、その距離がやけに長く感じられた。


席に腰を下ろした瞬間、どっと疲労が押し寄せる。


何もしていないはずなのに、妙に気力が削られていた。


戦場で剣を振るうより、ただ立っているだけのほうが消耗するとは思わなかった。


……おかしい。


特段何かをしたわけでも、されたわけでもないのに、じわりと疲労が広がっている。


小さく息を吐いた、そのとき。


「ねえねえ。」


横から弾むような声。


振り向くと、桃色がかった髪を首元で二つに束ねた少女が、こちらを覗き込むように身を乗り出していた。髪先がふわりと揺れ、光を受けて柔らかくきらめく。大きな青い瞳は好奇心でいっぱいだ。


警戒心の欠片もない、まっすぐな距離感。


「わたし、ニナ・ルーチェ。よろしくね!」


ぱあっと花が咲くような笑顔。 その無邪気さに、さっきまで張りつめていたかのような感覚が少しだけ緩む。


「アベルマス……アベルマス……」


彼女は何度か名前を転がし、ぱっと顔を輝かせた。


「じゃあ、アベルくんだね!」


――アベルくん。


胸の奥がひやりとする。


焚き火を間に、腕を組んでいた俺の姿がよみがえる。


『お前な。なんで人の名前を勝手に縮めるんだよ。』


向こう側で笑っていた少女。


『だって、そのほうが可愛いじゃないですか、アベルさん!』


揺れる炎の向こう、屈託のない笑顔。


「……どうして、そう呼ぶんだ?」


気づけば問いかけていた。


ニナはきょとんと瞬き、すぐににぱっと笑う。


「え? だって、そのほうが可愛いから!」


あまりにも同じ答え。


一瞬、時間が重なる。


「……そうか。」


それ以上は言えなかった。


「よぉ、編入生!」


今度は前の席から明るい声が飛んでくる。


黒と赤のツートンカラーの髪をした少年が、勢いよく椅子ごと振り向いた。前髪の赤がぴょこんと跳ねる。


瞳はまっすぐで、どこか子どもっぽい。


「俺はイチ・ベルガ! よろしくな!」


胸を張ったあと、なぜか得意げにうなずく。


「……アベルマス・ウィドバーグだ。」


「アベルマス・ウィド……ウィドバー……ええい、噛む!」


盛大に言い淀み、顔を上げる。


「長い!よし、アベルでいいよな!」


勝手に結論を出して力強くうなずいた。


……二人目か。


「迷宮実習、一緒になることもあるだろ? なんか困ったことがあったら、俺に任せとけよ!」


親指で自分を指し、にかっと笑う。


「力仕事でも前衛でも、なんでもやるぜ!」


大げさだが、悪気はまるでない。まっすぐで、少しだけ空回りしている。だが嫌いになれない。


周囲もつられてざわめき始める。


「ウィドバーグってさ……」 「学園長が後見人なんだって?」 「迷宮から誰か運び出されたって噂、あったよな……?」


ひそひそ声が連鎖する。


若い声が幾重にも重なり、収まりきらない熱を帯びていく。


「はいはい、そこまでよ。」


軽く手を打つ音。


レイラ先生が一歩前に出るだけで、教室の空気がすっと整う。


この年頃の連中はもっと勝手なものだと思っていたが、そうでもないのか。それとも、先生という存在がそれだけ大きいのか。


「質問は休み時間にしなさい。今は授業を始めます。」


ざわめきはゆっくりと収まり、教室は落ち着きを取り戻した。


俺は小さく息を吐き、ようやく始まった授業の声に意識を向けた。


――こうして、千年前の勇者としてではなく、一人の編入生としての朝が始まった。




・ ・ ・




一限目の終わりを告げる鐘が鳴った瞬間、教室の空気が一斉に弾けた。


さっきまで整然と並んでいた机と椅子の間に、ばらばらと人の動きが生まれる。 その中心にいるのが自分だという事実に気づいたときには、もう遅かった。


「なあなあ、ウィドバーグってさ、本当に学園長と同じウィドバーグなのか?」 「親戚とか? それとも養子?」 「前はどこの街にいたんだ?」 「急に編入って、何か特別な事情?」 「その目、すげえな。どうなってるんだ?」 「探索者の家の出か?」 「実戦経験、あるのか?」 「どの武器が得意なんだ?」


ほとんど同時に飛んでくる声。 右からも左からも、前からも後ろからも。


一つ答えようと口を開けば、その上から別の質問が重なる。


……いや、待て。どれからだ。


後見人の話か?それともどこから来た、のほうか?いや、目のことは後回しに――


頭の中で整理しようとするが、情報が洪水のように押し寄せてくる。


戦場で包囲されたことは何度もある。だがあれは、敵の位置も数も分かっていた。


これは違う。


全方向から善意が飛んでくる。


しかも止まらない。


「ちょ、ちょっと待ってよ、みんな!」


その混線を断ち切ったのは、ニナだった。


机に身を乗り出し、両手をぱたぱた振る。


「順番!一人ずつ!アベルくん困ってるでしょ!」


「おうおう、詰めすぎだっての!」


イチも椅子を引いて立ち上がり、前に出る。


「質問は一個ずつだ!戦略ってやつだろ!」


……いや、それを戦略と呼ぶのは、いささか違う気もするが。


思わず突っ込みそうになったが、ぐっとこらえた。


まあ、二人のおかげで、周囲の勢いがわずかに緩んだのは事実だ。


「……悪い。助かった。」


小さく息を吐き、肩の力を抜く。


「えっと……じゃあ、順番に答えるから、少しだけ待ってくれると助かる。」


なるべく柔らかい言い方を選んだつもりだ。 自分では平静を装っているつもりでも、きっとどこかぎこちない。


それでも、今はそれでいい。


なんとか視線を受け止める。


「学園長――ウィドバーグさんは、父と母の知人だ。二人は探索者で、迷宮で事故に遭った。……そのあと、身寄りのなかった俺を引き取ってくれたんだ。」


ざわ、と空気が少しだけ変わる。


「編入になったのは、そういう事情があるだけだ。」


事実と嘘を織り交ぜる。 編入前にハウゼンさんがあらかじめ準備していた俺の“背景”を、淡々と述べる。


今の自分には、それが最善だ。


「へえ……探索者の家系か。」 「事故か……ごめんね? 辛いこと言わせたみたいで。」


俺の答えに、教室の空気が少し沈んだ気がした。 申し訳なさそうな、ばつの悪そうな顔。


ハウゼンさんから聞いた話では、この学園にいる連中の多くは、身内に探索者がいるらしい。


迷宮で命を落とした者や、知り合いがそうなった者もいる。 だからこそ、両親が死んだという俺の話は、より重く響いたのかもしれない。


自分の素性を明かせない以上、必要な嘘だったとはいえ、年若い彼らに偽りの自分を語っているのが、少しだけ胸に引っかかった。


できるだけ気にしていない風を装って答える。


「いや、気にしないでくれ。両親のことは、もう記憶もろくに残っていない子どもだった頃の話だし、今はハウゼンさん……学園長のおかげで何とかやっている。」


「そっか。うん、分かった。ウィドバーグくんがそう言うなら。」


俺の言葉で沈んだ空気は、幾分か和らいだようだった。


嘘の話でいつまでも顔を曇らせていては、さすがに自分の良心がもたない。


これでいい、と自分に言い聞かせる。


だが、教室の中には、そんなやり取りを特に気にしていない連中もいた。


少し距離を取り、静かにこちらを観察している視線。


それは敵意というより、値踏みに近い鋭さだった。


――ただ、一つだけ。


その中に、歓迎しないとでも言いたげな視線が混じっていることにも、気づいていた。


「じゃあさ、目は? 右と左、色が違うよね?」


やっぱりそこか。


教室の視線が、自然とこちらの瞳へ集まる。 逃げ場はない。


「……俺も、正直よく分からないんだ。」


少しだけ肩をすくめる。


「気づいたときには、もうこうだった。生まれつき、らしい。」


嘘ではない。 だが、本当のことも言っていない。


この左目がなぜ魔族と同じ色をしているのか―― それは、むしろ俺が知りたいくらいだ。


けれど教室の空気は、思っていたよりも軽かった。


「へえ、すごく綺麗な色だよね。」 「なんか強そう! かっこいいじゃん。」


疑いでも恐れでもない。 ただの感想。


「そうでしょう! アベルくんの目、すっごく綺麗なんだよ!」


ニナが胸を張る。


「ああ、悔しいが目立つな!さすがアベルだ!」


イチまでうなずいている。


……おかしいな。なんでこの二人はこうも誇らしげなんだ。


思わず小さく笑いそうになる。


さっきまで感じていた重さが、少しだけ和らいでいた。


騒がしくて、遠慮がなくて、それでもどこか温かい空気。


ふと、焚き火を囲んで馬鹿騒ぎしていたあの頃の夜を思い出す。 少しだけ懐かしい気持ちになった。


「席に付けー、授業始めるぞー」


ほどなくして二限目担当の教師が教室へ入り、気だるそうに放った一言で、俺の周囲を囲んでいた連中はそれぞれの席へ散っていった。


俺は小さく安堵のため息をつきながら、始まった授業の声に耳を傾けた。

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