11 透明人間
謹慎を命じられてからも、ジョゼのモニタリングは傑勲に課せられた仕事の一つだった。あんなペラペラのプラスチックナイフ一つで、人の頸動脈を断ち切ることのできる物騒な子供のことを誰も引き受けたがらないだけだ。ブリッジにいる元軍人たちの中ではそれなりにやれているようだが、そもそもこの船のオーナー達はブリッジのクルーを人として認めていない。獣のなかに獣の子を戻しただけという認識に過ぎない。戦後人の社会に戻れず、役に立たなくなった獣である元軍人を、人である自分たちが知性でコントロールして有効活用していると本気で思っている。
かくいう傑勲もこのプロジェクトの出資者の一人ではあるが、ずっと軍立病院に所属していたためか、元軍人たちよりは少しましだと思われているような気がする。もっとも昔から人に侮られる質だったので、実は所属は評価にあまり関係ないのかもしれない。
ジョゼのことは、傑勲自身もとても気になっていたので月1回のモニタリングすることなど、特に問題なかった。
ただジョゼから話を聞くことくらい難しいことはなかった。彼は近況を報告せよと命じられているから、淡々とひと月の仕事の報告をしてくれるのだった。生活状況を教えてほしいと伝えても、起床時間や就寝時間、食事内容を一通り報告して、一方的に回線を切ってしまおうとする。こちらの相槌など聞いてすらいないから、彼が何を考えているのか、クルーたちとどう過ごしているのか少しでも聞き出そうと腐心するも「何もない。いつも通りだ」で終わってしまうのだった。
今回こそ、ベタ打ちされた報告書のような日課以外のことを聞き出そうと、口を挟むタイミングだけを計っていた。そして回線を切ってしまうすんでのところで引き留めることに成功した。
マリアの名を出したのが功を奏したようだ。
「マリア。マリアは元気だ」
なぜマリアのことを聞くのか怪訝に思ったのか、そう答えたきり押し黙ってしまった。
「最近マリアから何か相談されなかったか。ほら、例えばインさんのこととか」
「相談はされていない。殷亮のことは…」
殷亮、それがインのもう一つの名前であることはすぐにわかった。それよりも、ジョゼが珍しく言い淀んだこと、年上のインを敬称なしで呼んでいることに驚いた。
「ジョゼ、インさんは年上の人だろ。普段、殷亮と呼んでいるの」
「うん。ユーリがそう呼べって言った」
その「ユーリ」という人物には思いあたらなかった。傑勲がブリッジにいた二週間の記憶にその名はない。もっとも、ジョゼとインが親しくなったのは自分がブリッジを去ってからのことで、状況から察するにインの身近にいる人で、恐らく自分とは面識のない人だろうと結論付けた。
時間は確実に流れていて、ジョゼはブリッジでの立ち位置を着々と築きつつあるようだ。傑勲が聞いても分からない人間関係がそこに存在している。少し寂しい思いと、短い間にすっかりたくましくなった姿への感動が入りまじる。
「先生、どうして笑うの」
きっと、以前のジョゼならそんな質問はしなかっただろう。
「嬉しいんだよ。君のブリッジでの生活が楽しそうで」
「先生は俺が楽しいかどうかわかるのか」
「楽しくないのかい」
ジョゼは小首をかしげて考えていた。
「楽しいかどうかは俺にはわからない。毎日覚えることがたくさんあって、学校より退屈じゃないけど」
「それを「楽しい」っていうんだよ」
ふぅんといったきり黙った。ジョゼなりに思う所があるのかもしれない。そんなことを思っていると、唐突に回線を切られてしまうので、慌てて話を元に戻した。
「ところで、マリアはインさんのことをなんて言ってるの」
「あいつ」
ジョゼと話すにはコツがいる。呼称を聞いたのではないと訂正しなければならない。
「マリアはインさんのことを好きなんだろう」
「うん」
「ジョゼ、この「好き」の意味がわかるかい」
「殷亮に聞いた。マリアには殷亮が特別だってことだって。でも、殷亮はそうじゃないって言ってた。大切だけど、特別じゃないって。
先生、この意味わかる」
尋ねられたから、尋ね返す。ジョゼはこうして会話を学んでいる。だが、この質問にはどう答えるべきか迷った。インが説明した言葉と少しでも違えば、ジョゼは混乱してしまうかもしれない。
「大体、わかるかな」
曖昧な言葉が理解できないとわかっていながら、やはり曖昧に答えていた。そういう自分に傑勲は歯噛みしてしまう。
受け手側のジョゼは、ただこくりと頷いた。それは反射的な相槌だった。「大体」という言葉の尺度が自分には理解できないのだと、経験則として知っているのだ。
「マリアは作ったジャムを殷亮に渡してくれって俺に言った。俺は嫌な気分になった。それは俺にとってマリアが特別だから、嫌な気分になるんだって殷亮が言った」
やや苛々しているのか、青い瞳が落ち着きなくさまよう。
「その意味は理解できたかい」
「仕組みはわかった」
独特の言い回しに思わず苦笑した。
今のジョゼはとても饒舌だった。このことが彼の心に大きな影響を与えており、これを興味深いと捉えていることがよくわかる。ジョゼは普段興味のないことには全く関心を示さない。特に自身に対する関心が低い傾向にあった。小さい頃から虐待を受けており、自分に対する評価が極端に低いのだ。そのジョゼが、こんなにも自分の心の動きに関心を抱くようになったのは、ブリッジでの生活が彼にとってとても良い影響を与えている証拠だった。
子供たちはみんなそうだが、自分を愛してくれる誰かがいて、成長していくのだと改めて思うのだった。ジョゼにとってはインがそういう存在なのだ。
「嫌な気分になるのが嫌なんだ。マリアと話している時の殷亮が嫌いになる。いつもの殷亮は好きなのに、マリアと話している時は嫌いなんだ。
それが嫌だって言ったら、殷亮はそれでいいっていうんだ。それは俺がマリアをとても大切に思っている証拠だからだって。嫌な気分が嫌だって思うのは、俺が殷亮のことも大切に思っているからだって。
だから、それでいいって」
完全に消化不良を起こしている。それでも、自分の心の動きの理由を教えられて、一つ納得しているのは確かな様子だった。
「すごく難しい」
「そうだね、難しいことだ」
眉間にしわを寄せたまま、小さく頷く。
「ジョゼは、本当にインさんのことが好きなんだね」
「うん。毎日おかずを一つくれる。唐揚げはみんなから一つずつとってくれるし」
これもジョゼ独特の表現なのだろう。勿論、餌付けは傑勲も使った手段だった。食べ物をくれる人は、みんな「いい人」だからだ。
すると、急に思い出したように顔を上げたジョゼはこう言った。
「俺、先生のことが好きだ」
なぜここで急にそんなことを言いだしたのか訝ったが、悪い気はしなかった。
「そうか、ありがとう」
答えを聞いて、少しはにかんだように不器用に笑い、気分が高揚しているからか弾むように体を上下させる。これで話が一通り終わったと思ったのだろう、ジョゼは短く「じゃあ」と言って、回線を切ってしまった。
ここではっと気がついた。これはきっとインの差し金だ。もしインのことを好きかと聞かれたら、そう言い添えるように指示されていたに違いない。勿論、ジョゼが心にもないことを言う訳はないので、それは彼の本心でもあるに違いない。だが、それを口にするタイミングまで計れるとは思えない。
すでにブラックアウトしているモニター。もはや問いただすことはできなかった。だからといって、もう一度ジョゼを呼び出して事実確認をするほどのことでもない。ただ、心の奥がざわざわするだけのことだ。本当にざわざわする。
先日、インがここにやって来た時、なぜか地球に残してきた兄のことを思い出した。そう、インは少し兄に似ている。如才なく、涼しい顔をして一歩前を行くあの兄に。
「嫌な気持ちになるのが嫌、か。僕も同じかもしれないな」
傑勲はひとりごち、モニタールームを後にした。




