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背後で蠢く粘液を置き去りにし、一足飛びに懐へと入り込む俺。
真っ赤なコイツの動体視力がどうなっているのかは定かでは無いが、恐らくは俺の姿が急に消えた、もしくはいきなり目の前に現れた、とか言った具合に見えていたハズだ。
…………これが、以前交戦したラストであれば、また違ったのかも知れない。
彼女は、力によって自らの肉体を変化・操作する事を可能としていたが、その戦闘能力の真髄は自らの圧倒的な魔力とフィジカルに対する精密な制御と把握にあった。
腕力が強い者も、魔力が強い者も、総じてあの世界では大雑把になる傾向が強かった。
ましてや、七魔極ともなれば、大概は拳を固めて殴り付けるか、もしくは雑に魔力を放つだけでも大概はどうにかなってしまい、結果的に工夫する、と言う思考は喪われてしまう事が大半だ。
だが、彼女は違った。
自らよりも強大な相手を目標として立て、ソレに勝る為に長く強く鍛錬に勤しんで来た、との事だ。
その道程を、俺は詳しくは知らない。
が、あそこまで練り上げられた体術に魔力運用、並びに身体強化は類を見ない程に見事なモノとなっており、あの時勝利出来たのはほぼほぼ偶然だ、と自信を以て言える程だ。
つまり、下手をしなくても、あの時負けていたのは俺だった可能性が在る、と言う訳だ。
だが、翻ってコイツはどうだ?
確かに、厄介な能力を持っている、と言えるだろう。
何せ、一撃でも貰えば、そこから感染・洗脳の流れ待った無しなのだから、最悪の類いのモノだと言える。
おまけに、自らの損傷を苦にせず、気にせずに一撃を入れに来れる、と言うのは、甚だ仕掛けられる側からすれば迷惑以外の何物でも無い。
が、それだけだ。
厄介だし迷惑ではあるが、それだけなのだ。
こちらが回避しようが、問答無用で命中させて来る不思議能力を持っている訳では無い。
こちらが万全に固めた装甲の上から、ソレをぶち抜いてまで当てて来る威力が在る訳でも無い。
こちらが気付かない、気付けない程の遠距離から一方的に攻撃出来る手段が在る訳でも無い。
在るのはただ、七魔極並みの重圧を放つ存在感と、ソレに伴ったナニカのみ。
彼らの様に、対策か、もしくは運好く手にした何かしらが無いと一方的に詰まされる様な、理不尽な力は今の処持ち合わせてはいないと見受けられる。
なれば、後は殺すだけだ。
取り敢えず、司令塔としてほぼ確定しているコイツを潰せば、事態に動きが出るハズだ。
それで収まるのならば、良し。
それでも収まらないのであれば、また別の司令塔が居るか、もしくはより本格的な本体が何処かに居る、と言う事になる。
なれば、ソレを探してぶち抜けば良い話だ。
殺して死ぬのなら、それほど楽で分かり易い話は無い。
正体を探ったり、原因を突き止めたりするのは、ソイツの死骸を改めてからでも遅くは無い。
だから、と言う訳では無いが、懐まで飛び込んだ俺は、特に躊躇する事無く、籠手で固められた拳を握り込む。
そして、本来女性相手であれば、紳士であったのならば死んでもやってはならない禁じ手である腹部への殴打、通称『腹パン』を敢行する。
全身に掛けられた身体強化に加え、心理的体勢的な加減を一切せずに行われた腹パン。
ものの見事にクリーンヒットしたソレは、ソイツの身体をくの字に圧し折り、ほぼほぼ前屈に等しい態勢へと変化させる。
平時であれば、上腕に当たる胸の感触だとかを楽しんだのであろうが、戦時に於ける今はそんなモノ気にする事も無く、即座に『金剛』を起動。
僅かな時間差を置いて、破滅的な破壊力を秘めた4本の杭が解き放たれ、ソイツの身体に殺到し、その勢いを持って文字通り吹き飛ばした。
轟音と共に俺の拳から射出され、壁へと着弾。
その先でも、またしても轟音と共に粉塵を発生させる。
流石に、閑静を通り越して辺鄙とすら言えるであろう廃墟群であったとしても、ここまでの騒音を奏でていては、そう遠く無い内に通報される可能性は低くない。
寧ろ、前時代ならば兎も角として、現在は侵略組織と言う半ば死の象徴と化している存在が、人目を憚って活動しているのだから、そうした可能性を考慮した場合、通報する際の心理的ハードルは著しく低下する傾向が強い。
要するに、かなり簡単に通報される、と言う訳だ。
まぁ、放置していたらヤバい可能性が高いのだし、最近の情勢的にも『通報される様な事をしていたバカが悪い』と言われるご時世でもある為、致し方無いと言えるだろう。
とは言え、そんな事情は取り敢えず横に置いておくとして。
俺は視線を、『金剛』をまともに喰らって吹き飛んだアイツへと向ける。
流石に、上半身と下半身に千切れて泣き別れ、なんてオチにはなっていないが、それでもダメージは甚大、だと思われる。
何せ、物理的に数メートルを吹き飛ばされ、その上で無駄に頑丈に作られている元倉庫の廃墟の壁へと叩きつけられたのだ。
流石に、それで追加ダメージは皆無でした!なんて事は有り得ないし、あったとしたら最早悪夢以外の何物でも無いと言える。
さて、じゃあそろそろ追撃を、と考えたタイミングで、視線の先にてガラガラと何かが崩れる音がする。
吹き飛ばした際に発生していた煙幕により、結果がどうなったのかが不明となっていたのだが、どうやらまだ活動可能な程度の損傷しか与えられていなかった様子。
…………一応、傑作、と銘打っても構わない位の自信作なのだが、最近ちょいと不発が過ぎる気がするんだよなぁ、なんて思っていると、漸く煙幕が切れて吹き飛んだアイツがその姿を露わにした。
端的に言えば、そこにいたのはゾンビかアンデッドの類い。
腹に大穴を開き、そこから腸を地面へと垂らした状態のまま、こちらへと鋭く視線を向けているが、当然の様に傷口からは出血は見られていない。
尤も、流石にその状態では自由に行動する事は難しいらしく、何処からか現れた見覚えのある輩に支えられて、どうにか立っている、と言った様子。
とは言え、回している腕は関節が明後日の方向に向いているし、足に関しても折れた骨が飛び出している状態だから、常人ならば推定即死。
そうでなかったとしても、まぁ普通なら致命傷とカウント出来たであろう負傷を負っていた。
なら、このまま追撃を仕掛けて撃破してしまうべき。
そう判断を下した俺が、再び前へと飛び出そうとしたが、ソレを寸での所で妨げられる事態が発生する。
────そう、それまで関与して来なかった、他の個体達による参戦、だ。
直前まで、例の照明の脇に佇むのみで、動く事の無かった連中。
てっきり、参加させるつもりが無いのか、それともソチラまでは操作出来ないのか、と参戦してくる可能性を考慮の外に置いていたのだが、どうやらそうでも無かったらしく、俺とアイツとの間に人の壁を作る形で布陣して来たのだ。
まぁ、中には、高所からの飛び降り、と言う事もあり、足を痛めたのか腕で這って来ていた者も居るが、問題はそこでは無い。
こいつらをどうするべきか、が問題なのだ。
現段階では、何も分かってはいない。
故に、アイツによって感染させられる、操り人形にされた人々が、まだ『助かる』のか『助からない』のかの答えが出ていないのだ。
俺個人としては、そうなった時点で助ける義理は無い為に、さっさと介錯してやる事こそが慈悲だと思ってすらいる。
が、世はそうは解釈せず、助けられるのならば助ける事こそが人道であり、ソレに背くのは人としての意義を持たない怪物である!との難癖を容易に付けて来る。
…………元怪物たる父を持つ身で、今更その様なバッシングを気にする程に、柔いメンタルをしてはいないつもりではある。
ソレに、その程度の誹謗中傷でどうにかなる程度であれば、疾うの昔にあの世界で朽ち果てているだろう。
だが、それはそれとして、どうしたものか、とは思う。
…………思うのだが、まぁ、叩くだけ叩いて、その後生きていたら実験材料……もとい治験に参加要請する、と言う名目で回収すれば良いか!と割り切った俺は、そのまま一度は止めた足を再び前へと踏み出して行くのであった……。




