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背後へと降り立った俺に、振り返って視線を向ける追跡者。
髪は長く、痩せぎすで細く、それでいて身長もそれなりにある為に、一見して性別を断定するのが難しいが、どうやら女性である様子。
顔立ちやらに特徴は見られないが、その顔に嵌り、爛々と光を放つ赤い瞳は、至極強い印象をこちらへと与えて来ていた。
「…………それで?
人様をわざわざ追い掛けてくれてたんだ。
理由位は説明して貰えるんだろうな?」
とは言え、別段一目惚れする様な目の覚める美人、と言う訳では無いし、あの時襲撃してきたラストの様に、暴力的なスタイルをしている訳でも無い。
また愛嬌があったり、可愛らしい外見をしている訳でも無い、普通で地味めな外見をした女性、と言うだけである。
組織やらからすれば、追跡等に於いて目立たない、と言う利点が在ったのだろうが、俺からすれば手を抜いてやる理由も特に無い相手である為に、わざと煽る様な口調にて、一応は問い掛けの形で言葉を投げ付けた。
「……………………」
が、その問い掛けに、追跡者の女は応え無い。
ただただ、俺へと向けて生気の無い、しかし眼光だけは爛々とした赤い瞳を光らせているだけで、うんともすんとも言わずに佇んでいる。
普通なら、この場で情報を引き出す為に、揺さぶりの類いを仕掛けるのが常道なのだろう。
ソレは、俺にも理解出来る。
が、ただ単に脅しを掛けたり、分かっているんだぞ、と揺さぶってやるだけ、と言うのは、俺が納得出来ない。
何せ、特に心当たりも無いままに追い回され、こんな薄汚い場所に足を運ぶ羽目にまでなったのだ。
いい加減、情報の1つも進んで吐いてくれないと、無事に五体満足なままでここから出してやる事が出来なくなる、と言うモノだ。
なので、と言う訳では無いが、俺は魔力で強化したままにしていた脚力を以て、追跡者の懐へと一足にて踏み込む。
向こうの世界にて無理矢理奪われた倫理観を、こちらの世界で取り戻した、と言う訳では無いので、正直に言ってしまえば俺は相手が女だろうが腹を全力で殴れるし、襲って来たのであれば相手が子供だろうが手加減せずに蹴り飛ばせる。
まぁ、ソコに何かしらの情状酌量の余地を生むだけの情報が加えられたのであれば話は別だが、そうでなければ相手が石女になろうが、首がもげようがソイツのせいなのだから知った事では無い、と言うのが正直な所だ。
故に、俺は踏み込んだ勢いのままに、追跡者である女の腹に目掛けて拳を突き出す。
腹部ならば致命傷になったとしても、暫くは生きていられるだろうし、その間に治療をチラつかせて情報を吐かせれば良い。
最悪、死んだとしてもその死体を調べれば何かしらの情報は得られるだろう。
まぁ、恨むのであれば、相手の力量を察する事が出来ず、素直に吐かなかった自分を恨むと良いよ。
そうして、俺の突き出した拳は、案の定追跡者の腹へと突き刺さる。
余程鋭敏な反射神経をしていなければ、そもそも防御すら不可能だ、と言うタイミングと距離から放った攻撃であり、無事に着弾するのは当然、と言うモノである。
…………が、ここで予想外のアクシデントが発生する。
なんと、俺の拳が追跡者に、本当に突き刺さったのだ。
何かしらの比喩、と言う訳では無く、文字通りの意味合いと現象にて、俺の拳は目の前の女の腹に突き刺さっていた。
コレには、流石の俺も驚愕した。
何故なら、本来ならばここまでするつもりも無かったし、こうなる程に力を込めて拳を繰り出した覚えも無かったから、だ。
確かに、俺は攻撃した。
だが、それでもある程度は手加減しているし、別段全力で身体強化している訳でも、拳にパイルシリーズを始めとした武装を装備している訳でも無い。
精々が、鳩尾に拳がめり込み、呼吸困難と嘔吐感に襲われる、と言う程度の苦しみを与える範囲に収まる予定であったのだ。
それが、いざ実行してみれば、めり込む通り越して突き刺さる、なんておかしな結果になったのだから、数秒程度の思考の空白は仕方無いモノだと思って貰いたいモノだ。
何せ、上記の理由から、俺の方の出力調整をミスって、と言う事は有り得ないのだから。
そこまで漂白された思考の中で、空転しながら導き出した俺は、とある観点に思い至る。
…………そうだ!確かに俺は手加減をしていたが、ソレはあくまで普通の人間に対してのモノだ。
なら、相手の防御力が、こちらの想定を下回る紙装甲だった場合、この様な事態も起きうるんじゃないか!?
相手をリンゴだと思っていたら、実際はプリンや豆腐でした、とか言われたら、そりゃ爆散もして当然、と言うモノだ。
そこに思い至れば、確かに不自然な点も幾つかあった。
人間、幾ら自らの反応が確実に間に合わない、となったとしても、それでも、とある程度は防御用の反応をするモノだ。
それに、実際に殴った時の感触も、何だか生きた人間を殴った、と言うよりも寧ろ、硬めの粘土や腐りかけの肉塊を殴った時の様な感触だった!?
そう考えが至った時、俺は慌てて突き刺さったままとなっていた拳を抜こうとする。
が、その腕は、まるで何か粘着質なモノに纏わり付かれているかの様に、僅かにしか動かす事が出来なかった。
アレ!?コレ逆に捕まったかの俺か!?
なんて思い至った時には既に、追跡者は両手を振り上げ、鋭く尖った爪先を俺へと目掛けて繰り出していた。
よもや、こんな形でカウンターを仕掛けられるとは思っても見なかった為に、僅かに防御が間に合わず、どうにか防げた左側は兎も角として、右頬に掠める形で何本か爪痕を残される事になる。
幸いにして、重要機関である眼を掠める事も無く、また賢者の石を起動する迄も無く、直ぐに治る程度の傷であった為に、即座に放置で良いな、と判断出来たのだが、問題はその後であった。
なんとその女、こちらが防御に使った左腕と、頬を掠めて突き出した事で必然的に近付いたこちらの右肩を掴むと、自身の方へと抱き寄せる様に近付けつつ、自らは大きく口を開いて見せたのだ。
…………コレが、絶世の美女、とかならば、まだキスのチャンスか!?と興奮する事も出来たかも知れない。
が、現状を鑑みるに、何処からどう見たとしても、確実にコイツ齧り付いてくる気が満々にしか見えないのだが!?
背筋に、思わず嫌な汗が伝う。
幾ら死の恐怖に慣れようとも、幾ら手足を喪い内臓を潰される激痛に耐えられようとも、本能的かつ生理的に捕食に対する忌避感はどうしても拭えない。
魔力によって強化した身体能力で無理矢理に振り解く、なんて選択肢が脳裏に浮かぶ事も無く、為す術も無いままに半ば無抵抗な状態で首筋に齧り付かれてしまう。
「…………っ、がぁああああっ!?!?!?」
無意識的に、俺の口から咆哮が迸る。
生理的な嫌悪感に加え、生身を噛み千切られる!と言う恐怖も加わり、どうにか動かせる様になった身体を駆使して、咄嗟に追跡者の身体を全力で蹴り飛ばす!
すると、何かが潰れ、砕ける様な湿っぽい音と共に、追跡者の女の身体が、俺から引き剥がされる。
が、当然の様に、掴まれていた左腕と右肩、そして絶賛齧られていた首筋は大きく肉を抉られる形となり、大量の鮮血が周囲へと零れ落ちる羽目になる。
反射的に、賢者の石を全力で稼働させ、強制的に身体を癒して行く。
が、流石に掠り傷や小さな切り傷と同様に、瞬時に跡形も後遺症も無しに、とは行かず、その場で膝を突いて荒い吐息を響かせる事になってしまった。
そうしていると、蹴り飛ばした追跡者が、ヌルリ、とした動作にて立ち上がる。
俺の身体を抉ってくれた、両手と口元を真っ赤に染めたソイツは、ここにきて初めての表情である、まるで口が裂けた様な『笑顔』を俺へと向けて浮かべて見せるのであった……。




