みのりの秋
秋のすずしい風にうっとりしつつ、茉耶は金網になかば身をあずけて幸雅を待っていると、すぐさきの片側二車線は夕闇のなかいくつものヘッドライトをきらめかせて、渋滞のあおりをうけながら、昼間よりもずっと渋く色づいた車両がゆっくり所狭しと並んで行く。
遠くのほうで頭が二つも三つも抜け出した路線バスが見えて、茉耶は思わず金網から背をはなしたものの、すぐにまだやって来ない幸雅のことを思い出すと、肩にかけていた紺の学生鞄を手にもちかえてぶらぶらした。
のろのろしたバスがこちらへ到着するのを待つこともなく、茉耶はひらりと向きを変えて金網の下をひろく見おろすと、細い道路をはさんだ閑静な住宅街はしんとしていたものの、ふいに自転車が一台、細い十字路からあらわれたと思うと、こちらへ向かって軽やかにこぐ男子の後ろに女子がちょこんと乗っていて、薄闇に髪をなびかせ足をひらひらさせながら、片手を彼の胴へまわして茉耶の立つ細いトンネルへとはいってゆく。
あれはとなりのクラスの子だと心づいて、じゃあ男子は誰だろう? 知らない顔。先輩かなあ。はあ、羨ましい、とつぶやいたその心に浮かんだのは、もちろん幸雅のことで、最近はずっと彼のことばかり。
中学のころから仲が良く、一緒にいると落ち着くし、いっときは周りから噂されたほどだった。しかしそれをやんわり否定したのちに彼を一層意識しはじめると、傷つきたくないし、照れくさいし、自分ではほどけない意地のようなものにとらわれもして、いよいよ告白できずにいるうち、一緒の高校に入学し、何の進展もないままに夏休みがあけ、ようやく秋の気配がただよい始めた折から、幸雅の噂をきいた。
それを茉耶がひと月近くも知らなかったのは、今でも学校で時々喋るとはいえ、クラスも別々だし、中学のころと違ってそれほど気軽に話しかけづらくもなったからだけれども、今日の昼休みにおなじクラスの、ただし普段はそれほどしゃべるわけでもない三人組のうちの二人がちょこちょことそばへやって来て、そのうちのおでこをだしてつぶらな目の小柄な女の子が、
「ねえねえ、茉耶ちゃんって、三組の藤沢くんと付き合ってないの?」
と出し抜けに訊ねながらこちらの返答は待たずに、
「てっきり、茉耶ちゃんの彼氏だと思っていたんだけれど」
そう言って茉耶をその大きな瞳でさぐるように見つめた。
茉耶は最初の問いをきいた刹那、どきりとすると共に秘めやかな喜びに満たされたものの、すぐにそれを否定するような言葉がつづいてすっと我に返り、何とも答えぬまま一二秒ぼんやりしていると、
「ちょっと茉耶、どうしたの? えっと、違う、違うよ。この子と藤沢くんは付き合ってないよ。ねえ、そうでしょ茉耶」と一緒にお昼を食べていた絵美里があわてて答えつつ茉耶に催促すると、
「うん、わたしは幸雅とは付き合ってないよ」と静かに答えた。
「……そうなんだ、じゃあやっぱりあの子が彼女なんだね」
と寂しそうにまた悔しそうにつぶやいて、二人が一緒に帰るのを見たこと、カフェにはいってゆくのを見たことを話し、その子の名前とクラスまで教えてくれた末に、
「茉耶ちゃん、頑張ってね、あたし応援してるから!」と天使のように言い放つと、すたすた二人仲良くもう一人のもとへと去って行った。
「えっと、何か勘違いされちゃってるね、茉耶。でも、いいの?」
と絵美里はじろりと問いかけて、困り顔の茉耶の耳もとへすばやく口を寄せ、
「好きじゃん。藤沢くんのこと」
そう言われると幸雅のことについてはとうに白状してしまっているので、首を振るわけにもいかずぽっと顔を赤くしたまま、しばし箸と箸をこすり合わせていたものの、じわじわと怖いもの知りたさが沸き立って来て、ぱっと絵美里へ顔をむけると、その白い顔に優しくもいたずらっぽい笑みをたたえて、
「一緒に見に行こ」と言うなりハッと心づいたように、
「顔知らないじゃん」といい捨てて、
「ちょっと」
と手をのばした茉耶をおいて三人組のもとへ駆けてゆき、先程の子を連れ帰ると、その子を先頭に新たな三人組をつくって昼休みの四組へ急ぎ足におもむいた。
「あの子だよ」
とつぶらな瞳の子がそっと奥を指さしながら小声で言うのに、二人は思わずくっつきながら教室をのぞくと、ひと足先に顔をもどした絵美里が、
「うん、可愛い。可愛いけれど、茉耶のほうがずっと可愛い」
「あたしもそう思います。茉耶ちゃん顔ちいさすぎるし」
茉耶は首を横にふりながら、
「でもあの子可愛いよね。好きそう、幸雅」
と半ば本心半ば嫉妬の心でつぶやいて、それでも最前の二人の言葉が嬉しいのを隠しきれぬままに、廊下の窓へと向き直り、透明な硝子窓に自分の顔と肩にかかる髪の毛がやわらかく反射するのを見つめるうち、再びひらりと振り返りかけて、
「茉耶、何してるの?」
そう問われたさきを向けば幸雅が立っている。
「あ、幸雅」
と憐れな声が漏れると共に、茉耶はさあっと血の気がひいてゆくのを覚えて、そっと隣を見遣ると、二人はいつしか仲良くくっついて腕を組み合ったまま、幸雅と茉耶をさぐるようにきょろきょろと交互に目を遣りながら動静を窺っている。
「おれに何か用だった?」
三組の幸雅はいいように勘違いしてくれたらしく、茉耶はほっとしながら、しかしそれも受け流して、
「──えっと、ううん、たまたまここを通りかかっただけで」
と答えながら絵美里のそばへ近寄り、空いているほうの腕をとらえて、
「もう行こう。幸雅じゃあまたね」
そう言うなり彼に背をむけて歩き出すと、今度は茉耶のあいたほうの手がとられて、
「あとで連絡する」とこちらの目を見つめながら言った。
「うん」
とうなずいてそのままトイレへ寄ったのち教室へ帰ると、昼休み明けの授業がはじまって間もなくメッセージが来て、今日出来れば一緒に帰れないかとのこと。
茉耶はその言葉をみると共に、誠実な彼のことだから、こんな文章をくれるということは彼女なんていないと確信したものの、
『でも幸雅、彼女いるんじゃないの?』
と送りかけて茉耶はすぐさま、これじゃあ彼女がいないなら一緒に帰ってもいい、と言っているようなものだ、と思いなしてたちまち、いやそうだよ、彼女がいないなら一緒に帰ってもいいじゃん、今までだって何度かあるんだし、と気を取り直すと、文面を何度も読み返したのちメッセージを送った。
すると五分もしないうちにスマホがふるえ、彼女なんていないよ、という返事が来ると、茉耶はやっとのことで安堵の吐息をつくと共に、ぎゅっと胸を鷲掴みにされたまま、両手で機器をにぎりしめてそっと胸へ押し当てた。
放課後、事情を知った絵美里に冷やかされ、つぶらな瞳の子に応援され、文化部の彼の部活が終わるのを待つため図書室へ行き、しばし時間をつぶしたのち、一度校内へもどって人気のない静かな廊下をふわふわ歩みながら、時折教室をのぞき、端から端まで歩き、階段をのぼり、階段をおり、再び図書室へもどってそれから三十分ほど時間がながれるのを待って席を立った。
トンネルを通り抜けるカップルの声に耳をすましながら、くるりと向き直ると、ちょうど歩道橋をこちらへ男子が渡って来るところで、茉耶は秋のすずしい風をうけながら、きっと幸雅だろうと見当をつけ、待っているとやっぱりそうなのでバス停に寄り、宵闇がせまるなかゆっくり歩いて来た彼が、
「すこし歩こう」と言うのに、
「うん」と答えると並びあって歩き出した。
「ねえ、昼に来たのってさ」
「……」
「見に来たのかなって」
「ちがうって言ったよ」
「えっとね──そうじゃなくて。女子を」
いきなり核心をつかれて茉耶はうつむきながら歩きつづける。
「でも違うんだよ。誘われて断れなかっただけで」
「そう」
「ねえ、茉耶」と言うなり立ち止まり、茉耶がそちらへ振り返ったかと思うと、
「また一緒に帰りたいな。こうしていつも一緒に帰れるような二人になりたい」
「──それって」
「茉耶のことが好き」
と言われて茉耶は小さい顔のなかの形のよい瞳でじっと彼を見つめるうち、そっとうつむいて、それから近寄る幸雅の足もとに気づいて顔をあげると、手首までをおおう彼のシャツの袖口へ手をのばした。
読んでいただきありがとうございました。