猫と幼女
アリシアの屋敷は、穏やかだった。
変わったことといえば、幼いエクレアが一人で戻って来たことぐらい。その彼女を真っ先に出迎えたのは、黒猫のルシファーだ。
屋敷の外門から玄関に続く石畳、その道の真ん中に、くつろいだ姿で、堂々と寝そべる黒猫のルシファー。
昼寝の最中に、物音に気づき、耳をピクと動かす。
前足を伸ばし、横になったままの背伸び。
最後に、首を起こしエクレアを視認すると、仰々しいあくび……
それから、やっと、スクっと起き上がる。
彼の見せた猫科特有の音を立てない忍び足は、ファッションショーで舞台を歩くモデルのように華麗。
しかしながら、威風堂々とした姿は、華やかとは遠い空気感があった。
黒猫の尻尾をピンと立たせ、獲物の背後から襲うような緊張感をただよわす。
これは、出迎えではない。
彼は、待ち伏せをしていたのだ。
黒猫のルシファーは正面から堂々とエクレアに近づく。
「わあー! ねこちゃん!」
エクレアは、両手を前に突き出すよう広げ、満面の笑みで猫を迎えようとした。
その腕は、何も抱きしめはしない。
ルシファは、彼女の手前、手の届かないところでチョコンと座ったからだ。
前足を真っ直ぐに伸ばし、尻を地面に着けた姿勢は、気品と知性があった。
玄関をさえぎるに座る、その姿は、屋敷を守る門番のよう。
黒い尻尾がゆっくりと波打つように動く。それはまるで、半身を起こし、獲物を探すへびのよう。
エクレアは、首を傾げ、
「あれ? 猫ちゃん、おいで」
と可愛らしい仕草。
ルシファーは、あごを引き、上目のエクレアを見つめている。黒猫から、黒いオーラがにじみ出すかのよう雰囲気。
「いい加減、演技は、やめたらどうだい」
黒猫のルシファは、人の言葉を口にした。
エクレアは、ほほを緩め、あどけなく笑う。
ルシファは、小馬鹿に、または、蔑むように、
「その恥ずかしい演技は、やめてもらえないかな?」
と言った。
敵意が見え隠れする態度は、明からさまに、エクレアを挑発している。
エクレアは、人差し指は、口元辺りで止まった。
何かを考えた様子。
するとすぐに、閉じられた可愛らしいくちびるが、横に少し伸び口角を上がった。目尻は、ほんのわずかだけ下がる。
彼女は、薄笑いで、ルシファーの挑発を受け止めて見せた。
「あら、嫌味な猫ちゃんですわね」
「君こそ、猫かぶりは、やめた方がいい」
「猫ちゃんのお名前は、ルシファーだったかしら? 猫ちゃんだなんて、堕天使には、似つかわしくない姿でしてよ」
「俺の正体を知ってて、度胸があるな、エレクトラ」
「あらあら、あなたが知ってるだなんて、お母さまが、お喜びなりますわ!」
「お母さま?」
黒猫のルシファ、その尻尾の動きが止まる。
「そうですわ。わたくしの名前は、お姉ちゃんが与えてくれた、エクレアですもの」
黒猫の毛が、逆立つ。
喉奥からは、低い唸り声。
「わたくしは、お姉ちゃんの妹ですのよ。だから、手出しは、出来ないでしょ。きっと、妹の特権は、あなたにも通じますわ」
「それは、君の態度次第だ。彼女に、酷いことをするようなら……」
「猫ちゃんだって、お姉ちゃんの体が目当てなんでしょ」
「なっ!」
黒猫は、違う、違うと慌てる。
「何を勘違いますの? 受肉が目的って言った方が良かったかしら?」
「別に……俺は、ただ、見ていたいだけだ」
「何を?」
エクレアは、いつのまにか、黒猫のルシファとの距離を縮めている。
彼女は、ルシファーの直ぐ目の前で膝を曲げ、姿勢を低くした。
「別に、あなたの目的には、興味ないわ。わたくしは、お母さまの言いつけをどおり、お姉ちゃんを、見守りますわ」
エクレアは、ルシファーの頭を撫でてやることに成功した。
ルシファーの不覚。
「なっ! 気安く触るな!」
などと言っても、もう遅い。
黒猫の小さな頭をつかむように、そして、柔らかい手つきで、包み込むようにして、エクレアは、撫でた。
ルシファーが、目を閉じてしまっているのは、姿形を真似た者から来る本能が、させているようだ。
アリシアの使用人が、黒猫のルシファとエクレアの様子に気がつく。はたから見れば、猫を可愛がっている幼女にしか見えない光景。
エクレアの手が止まる。
ルシファーは、まぶたを開けた。
近い距離で、二人の視線が合う。
「あなた、お姉ちゃんの魔力を食べて、寝てばかりいると太るわよ」
彼女は、立ち上がり、屋敷の玄関へて向かった。
「なっ! 俺は、太ってない!」
ルシファーの叫びは、彼女には、もう届いていない。
それから、しばらくして、屋敷に大ニュースが駆け巡る。
屋敷の主、アリシアが、どこからか、見知らぬ男を連れて来たというニュース。
それは、アリシア史上、初の男がらみのゴシップニュースだった。




