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諸悪の根源

 知恵あるものは、えてして、本能に従わない。

 理性が、それを、不快に感じさせるからだ。


 本能は、言葉で語りかけてこない。

 感情で、伝えてくる。


 それは、ずっと、ずっと深い場所から。

 とても複雑で見えにくい感情で……教えてくる。


 本能は、死にいたる危険に、とても敏感だということを、理性が忘れさせてしまう。


 イクシオンの五番、彼の手足がガタガタと震えている。

 とても不快な気分。


 はらわたが煮えくりかえり、全身の筋肉を硬直させている。


 そして、それは、思い通りにならない、アリシアに対する怒りのせい。彼は、そう信じている。


 アリシアは無表情のまま。

 足元には、ちょっとしたクレーターが出来ている。


 人の枠を超えた身体能力。

 ドラゴンズ・ミート、竜の肉質が為す、化け物の所業だ。


 なぜ、この女は動けないでいる?


 そして、憐憫れんびんの情も見せず、憐れな翼竜を粉微塵に吹き飛ばした?


 なぜ、残酷な所業に恐怖しない!!


 生きながらに、四肢をもがれ、死にゆく、狼を思い出す。

 彼が。たった一人の家族を失った瞬間の光景……


 初めて絶望を知り、暗殺者として完成された瞬間。

 そのひと時の光景……


 イクシオンの一族は、血統を重んじない。

 よくいえば実力主義。悪くいえば、情がない。


 産まれた子は、目も開かぬうちから親から引き離される。

 一族にとっては、当たり前の日常。


 自我が芽生える前の乳飲み子をさらっては、育てることも多い。


 親兄弟などという概念は、イクシオンには存在しない。

 情は諸悪の根源であり、血統は、それを産む元凶……


 イクシオンの子どもたちは、三歳になると、それぞれ、狼の子を育てる義務が与えられる。狼をしつけ育てる。それは、共に訓練する相棒であり、運命を共にする一心同体の存在であった。


 イクシオンの五番にも、幼い頃、友達がいた。


 それは、人間の友達だ。

 一族に、子どもたちが遊ぶことを咎める大人もなく、彼は、大いに、友達と遊んだ。


 暗殺の名門、イクシオン。

 徹底した実力主義。


 情を奪い。

 情を殺すこもに執着する一族……


 彼は、一番の親友を八歳の時に失った。

 それは、訓練中の事故ではない。


 親友の育てていた狼が、病気で死んだ……

 それが、処刑の理由……


 イクシオンは、その事実を淡々と子らに伝えた。

 もちろん、反抗する子らもいた。

 それらは皆、その場で即座に殺された。


 躊躇ちゅうちょなく、淡々と作業のように、大人たちは、命を奪う。


 そして、彼が十三になった時……


 目の前で、その儀式は繰り広げられた。

 この時まで、秘匿されてきた儀式。


 狼を共にした大人が、誰一人としていない事実。

 胸に秘めた疑問。あってはならない恐怖。


 ずっと可愛がってきた仲間。

 一心同体の家族。


 その愛してきた家族が、淡々と冷静に……

 とても残酷な方法で……


 その一部始終を無理矢理……、見届けることを強制される。


 まぶたを閉じることすら許さず。

 泣き叫んでも、粛々と儀式は進む。


 生きながらに、四肢をもがれ、死にゆく、狼を思い出す。

 彼が。たった一人の家族を失った瞬間の光景……


 それは、彼にとっての恐怖の根源。


 人であることを捨て、イクシオンの五番になった瞬間だ。


 四肢をもがれても、子を思う、憐れな翼竜。

 彼にとっての最高の残酷。


 恐怖の入り口。


「ちっ、憐れみも知らない、化け物め!」

 イクシオンの五番は、実力行使に出た。


 予備動作もない、素早い挙動。

 まばたきよりも早く、一瞬で、アリシアとの距離をつめる。


 無駄のない洗練された動き。


 隠し持ったナイフは、すでに、彼の右手に握られている。

 アキレスの魔眼は、アリシアの弱点を見せる。


 どこを狙う?

 彼は、すでに決めている。


 あの時のような残酷を……

 無理矢理ではなく、自分の力で……


 延々と、その再現を、イクシオンの五番は望んでいる。


 だから、アリシアの足を狙う。


 逃げられたら、つまらないだろ?


 右手に握ったナイフは、アキレスの魔眼が見せた、アリシアの太もも弱点に、寸分の狂いもなく、正確無比に、当てて見せた。


 それは、刺さるでもなく。

 斬るでもなく。

 当たり前のように、アリシアの太ももから、その先に伸びる足を切り落とす……


 はずだった。


 ナイフから伝わる衝撃。

 イクシオンの五番、彼のナイフを握った右腕は、アリシアの太ももに弾き返された。


 痺れが右腕の感覚を奪う。


 とっさに、イクシオンの五番は、左手にナイフを持ち替えた。


 アリシアは、太ももに激痛を感じた。

 ドラゴンズ・ミート、竜の肉質、強靭な肉体、秘められた強大な魔力。


 だからといって痛覚が麻痺している。などということはない。


 肉質は竜であって、通っている神経は人間のもの。

 痛い時は、痛い。


 いつだって痛い。

 聖騎士アリシアと相対したときも。

 今、この一撃を太ももに受けたときは、もっと痛い。


 アキレスの魔眼、それが見せた弱点、そこに正確に入った一撃。


 それよりも、もっと、もっと、痛い場所が、アリシアにはあった。


 それは、ずっと前から……

 ここに来た時。

 最近のこと……


 四肢のない翼竜。

 その光景を見た時、早く楽にしてあげたい。


 ただ、その一心。


 痛い……


 アリシアが、その意味を聞いた時。

 使用人のふりをした男は、「こういうのが最高」と言ってのけた。


 とても、痛い……

 ずっと、ずっと奥の方、どこからか響いてくる痛み!


 強烈な痛み!

 激痛!


 それに、アリシアは、耐えていた。

 ジッとこらえて我慢をしていた。


 最後に、男が、「憐れみを知らない化け物」と言った時、アリシアは、一つのことを決めた。


 必死で向かってくる男を見ていると躊躇ちゅうちよをしてしまう。


 イクシオンの五番、彼の二撃目が、アリシアの肩に入った。


 結果は一撃目と同様。

 これで、イクシオンの五番、彼の両腕は、しばらく痺れて、まともに動けない。


 アリシアは、悲鳴を上げない。

 彼女は、痛みをこらえた。


 そして、決心を実行に移す時が来た。


 その為に、アリシアは、

「あたしはアリシアよ。あなたの名前は?」

 と聞いた。


「名前はない。イクシオンの五番、それが呼称だ」


「そう、名前は無いのね。残念だわ……でも、ごめんなさい、あなたを殺すことに決めたわ」

 とアリシアは、言った。


 とても静かに、淡々と彼女は言う。


 魔の森、ニブルヘイム。

 その森の奥で、誰にも語られることはない戦いが、静かに繰り広げられていた。


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