残酷な暗殺者
アリシアは、使用人の顔を忘れたことは、一時だってない。
そう、それは、いついかなる時もだ。
絶対に忘れられない顔。
人によっては、恋人や、愛する家族。
友人や恩人などという人もいる。
そういった正の感情以外にも、顔に結びつく感情がある。
それは、恨みだ。
アリシアは、使用人たちの顔を忘れたことはない。
それは、彼らのために火刑に、処せられたからだ。
最初は、助けたいという気持ちが強かった。
だが、火刑とは、つらい刑。
残酷な仕打ちだ。
死に際は、誰だってつらいし、この世に未練を抱く。
どんな人でも、そうだし、恥ずべきことではない。
善意が悪意に転じても文句は言えまい。
実際、使用人たちにも、罪の意識が刻まれているのだから……
自己犠牲などという偽善では、誰も幸福を得ることなんて出来ない。
呼びに来た使用人の背を、アリシアは見つめていた。
道中、エクレアは、黒猫のルシファーを見つけ、彼の後を追った。
丁度いいと彼女は、思う。
誰のいない場所の方が、都合がいいけど……
なんで、いきなり襲わないのかしら?
などと、アリシアは考えている。
森の奥へ、奥へと進んでいく二人。
頭上を覆う、枝葉が陽の光をさえぎり、道は薄暗い。
踏みしめる土は、少し湿っていた。
先頭を行く、使用人は、迷いなく歩く。
彼は、アリシアが勘づいているとおり、彼女の使用人ではなかった。使用人に化けて、アリシアに近づいたのは、暗殺を生業とする者。大陸で名高い、暗殺の名門、イクシオンの実力者だ。
その暗殺者に、名前はない。
そもそも、イクシオンの者は、番号で区別される。
イクシオンの五番。
それが、アリシアが背中を見つめている者の呼称だ。
イクシオンの五番……幼い頃から、暗殺者として育てられた者たちは、人として、どこか壊れてしまっている。
だから、標的か死に際に見せる表情、それに、快楽を求める暗殺者は、多い。
そして、死に際の表情の好みは、個々それぞれ、それは、性癖といっていいこだわりを持っている。
イクシオンの五番。
彼の場合、絶望の表情に興奮を覚えていた。
相手が強者であれば、あるほど、実力の差を思い知らせてから、ゆっくりと時間をかけて命を奪う。
その時に見せる、標的の絶望した表情が、彼には、たまらない。
とくに、彼は、命乞いの言葉を聞くのが、たまらなく好きだ。それを無視し、標的の命を少しづつ削っていく。
だから、彼は、手足といった四肢を奪う、ゆっくりと時間をかけて……
イクシオンの五番は、目的地が目の前に近づき、高まる興奮を必死に抑えていた。
そこにいる生け贄は、彼が、アリシアに送るプレゼントのようなもの……
彼女が、絶望の入り口に立つためのプレゼントだ。
「アリシアさま、ご覧ください」
彼は、満面の笑みで、準備したプレゼントを紹介した。
アリシアには、その光景が理解出来なかった。
彼女は、その風景の前で、呆然と立ちつくす。
イクシオンの五番は、感情を抑えるのに必死だった。
破滅の魔女、アリシアの情報を、少し前、彼は、手に入れていた。
その情報は、驚くべきもの。
その情報の出どころは、魔の森、ニブルヘイムを監視している砦からだ。
聖騎士アリオンの敗走とその真相。
プレアデスの魔法少女たちも、興味津々の真相。
誰もが知りたがる真実だ。
聖騎士アリオンは、破滅の魔女、アリシアのスカートをめくって命びろいをしたという真実。
スカートをめくられて、隙だらけになる破滅の魔女。
それは、破滅の魔女の本性が、普通の女の子なのではないかという疑念を、イクシオンの五番に抱かせた。
どんな強者でも、弱点はある。
それは、どんな強者でもだ!
完璧な肉体、強大な魔力を持つ無敵の存在でも弱点はある。
彼の持つ、アキレス魔眼は、その位置を、赤い点や線で教えてくれる。
ニブルヘイムに潜入し、アリシアを一目見た時。
彼の全身は、歓喜で震えた。
アキレスの魔眼に写るアリシアは、弱点だらけだ。
どこもかしこも、赤い点や、線で埋め尽くされている。
そこを正確に、隠し持ったナイフで、彼がなぞれば……
出血に注意しながら、四肢を奪う。
気絶なんて興醒めを、彼は、許しはしない。
たっぷりと、そうたっぷりとだ……
さらに、破滅の魔女の首を持ち帰れば……
イクシオンの五番は、自らが、世界の英雄になる姿を思い描く。
聖騎士でも成し得なかった偉業。
誰もが、彼を讃えるに違いなかった。
そして、誰も、彼の趣味、なぶり殺しを咎めるものも、いなくなるだろうと、彼は想像した。
最高の世界。
イクシオンの五番が準備した光景に、アリシアは、動けないでいる。彼には、そう見えていた。
そこは、木々がなく開けている。
たっぷりと降り注ぐ陽光に植物が生い茂っていた。
茎の長さは、アリシアの膝ぐらい。
花が咲いているものもある。
小さな花、呑気に飛んでいた蝶は、人の気配で逃げ出した。
血の匂いを、アリシアは嗅いだ。
彼女の嫌いな匂い。
魔物の手足らしき残骸が散らばっている。
それらは、鳥類独特の形状。
そして、小鳥などではなく、大型の魔物の物だった。
些細なことより、もっと目立つ存在が、ここには生きていた。
そう、生きているのだ。
翼がない翼竜。
両腕もなく、両脚もない。
四肢欠損、その上、翼もない。
唯一、残されたクチバシで、小さな何かを加えている。
肉塊に見える何か……
クチバシのある肉塊……
おそらく翼竜のひなであろう肉塊……
空を自由に飛ぶ翼竜は強い。
魔物の中でも最強の部類に入る。
ウロコで覆われた全身は、刃物を通さない。
魔法耐性も高い、厄介な魔物。
だからこそ、ひなをおとりに、翼竜を誘う。
人に有利な場所で、何百という強者たちが、大勢の犠牲を出しながら退治する魔物だ。
だからこそ、おとり戦術は、誰もが知るところ。
人が、翼竜を退治するため、苦肉の策として、翼竜が、子に注ぐ愛情を利用した戦術だ、
平穏を守るために、人が編み出した残酷な戦術。
ただ、その戦術があるので、人里に近いところで、子育てをする翼竜もいなくなった。
人と翼竜が、共存するための戦術だ。
だが、ここに広がる光景の意味をアリシアには、理解出来ない。人里から離れた、魔の森、ニブルヘイム。真っ当に生きている人間がいない森。その上、なぜ、翼竜の四肢を、翼を、自由を! それらを奪い生かしておく意味を、アリシアには、理解出来ない……
翼竜は、今もなお、ひなの死骸をくわえ、必死に逃れようと……
人と魔物は、きっと心が通じ合うことはない。
ただ、人であれば、この翼竜の姿に、親が子に注ぐ愛情を感じるに違いなかった。
もし、これが無意味なのであれば、アリシアの火刑より、酷い所業……
イクシオンの五番は、快感で悦に入り、我を忘れそうになる。彼は、この後のメインディッシュを思い出し、自我を現実に引きとどめた。
そして、彼は、誇らしげに言う。
「アリシアさま、これは、わたし、一人でやりました」
何百という強者たちが、多大な犠牲を払い退治する魔物を、彼は一人でここまで追いやったと自慢をした。
その最高の自慢は、きっとアリシアを絶望の入り口に立たせると彼は確信をしていた。
弱点だらけの、魔法が強いだけの魔法使い。
スカートをめくられただけで隙を見せる普通の女の子。
泣き叫ぶ姿を想像し、彼は、ゾクゾクとする。
次の言葉が決め手だ。
「実は、わたしは使用人ではありません。世界最強の暗殺者です」
イクシオンの五番は、アリシアが、どんな反応を見せても、興奮できる自信があった。
その中でも、アリシアが、強がってみせる。
それが、彼にとっての最高のご褒美。
アリシアは、
「知ってたわ」
と言った。
イクシオンの五番は、「キターーーー!」と心の中で歓喜の叫び! 恐怖をこらえる女の子の強がりは、彼にとって、最高のご褒美。
次に、アリシアは、
「これの意味を教えて頂戴」
と言う。
ああ、イクシオンの五番は、ゾクゾクという背中を走る得体の知れない強い電気のような感覚で、失神しそうになる。
すべて彼の想像の範疇。最高の快感。
「意味なんて、ありません。こういうのが、最高なんですよ!」
興奮を抑えきれず、語尾に力を入れてしまったことを、彼は後悔した。
狂気は淡々と語るからこそ、他人を絶望に導く。
改めて、彼は、自らの心に刻む。
「そうなの、残念だわ」
アリシアは、淡々と語る。
イクシオンの五番は、それを一種の強がりと理解した。
アキレスの魔眼は、彼に、アリシアの弱点を見せている。
いつでも、アリシアを窮地に追いやれる。
彼の自信に揺るぎはない。
そのアキレス魔眼、その視界から、アリシアが消えた。
耳をつんざく爆発音。
イクシオンの五番を襲う衝撃波!
彼の想像を超えたアリシアの行動。
アリシアの声。
その方向を、彼は見た。
「ねぇ、あなたって、もしかしてバカなの?」
真顔で言う、アリシアに感情は、見えない。
アリシアは、翼竜を粉微塵にして、とどめを刺した。
イクシオンの五番が、想像していない出来事。
超越した力の欠片を、彼の本能に訴えてくる出来事。
恐怖。
アキレスの魔眼は、彼に、アリシアの弱点を見せている。
彼にとって、勝利が約束されているはずだった。
それでも、彼は、
「バカではない」
と応じるのが精一杯。
アリシア失望していた。
それは、今までで、一番だ。
「そう、つまらないわ」
彼女は、ただ一言、そう言った。




