父の仕事、父の言葉
ヒューマンドラマ。1915字です。
「当たり前を当たり前にするのがお父さんの仕事だ」
幼い頃、父がよく語っていたのを思い出した。
父は電線の整備をする仕事をしていた。
よく道路の片側を封鎖してクレーン車みたいなのに乗って作業している人だ。
幼い頃は学校に向かう道が狭くなって邪魔だなと思ったりもしたし、車を運転するようになってからは道路の片側を封鎖されていることで渋滞が発生してイライラしたこともある。
「当たり前がいつも当たり前にあると思うな。
当たり前を当たり前にしてくれている人がいるんだ」
そんな時は父のそんな言葉を思い出して、少しだけ自分が恥ずかしくなったりもした。
「お父さん!」
病室のドアを開ける。
そんな父が危篤だと連絡を受けたのだ。
車で病院に向かう道中、父の言葉ばかりが頭に浮かんだ。
父は寡黙であまり話す方ではなかったし、仕事一筋って感じの堅物だったけど、遊ぶ時は思いっきり一緒に遊んでくれた。
動物が好きで、よく動物園にも連れていってくれた。
「ここの動物たちは当たり前のように毎日エサをもらって、世話をしてもらっている。
それを当たり前にしているのは飼育員の人たちだ。
そして、その飼育員の生活を支えているのは来園している俺たち客だ。
お父さんは動物が好きだから、動物たちのためにも出来るだけたくさんここに来てやりたいと思ってる」
私は子供ながらに、いまそんなことを言わなくてもいいのに、なんて思いながら聞いてた。
子供にそんな現実を突きつけるようなことを言わなくてもいいのに、なんて今でも思い出しておかしくなることがある。
でも、なんでだか、大人になってから思い出すのは先生のありがたいお話とか、教科書に載ってる偉い人の言葉とかよりも、父のそんな現実的な言葉だった。
「……おお、来たのか」
病床の父は呼吸器をつけたまま、呻くようにそう言った。
以前のようながっしりとした体つきは見る影もなく、頬はこけ、骨に皮を張り付けたような姿になっていた。
「……仕事は、いいのか?」
父は私の顔を見るなりそんなことを言ってきた。
私自身、忙しかったのもあるけど、父が仕事を優先しろというので、父が入院してからもなかなか会いに来なかった。
「……うん。
ちゃんと必要な分は終わらせたし、出せるだけの指示は出してきた」
私も絞り出すように言葉を紡ぐ。
あまりに弱々しく変わり果ててしまった父の姿に、ともすれば泣いてしまいそうだから。
「……そう、か。
人に仕事を振れるぐらい、偉くなったのか」
父は嬉しそうに、満足そうに少しだけ頷いた。
「……花瓶のお水を換えてくるわね」
母はそう言って席を外した。
父と2人にしてあげようと気を利かせたのだろう。
「……いいか。
仕事は大事だ。
必ず誰かの役に立ってる。
誰かの当たり前を作るのはとても大変だ。
だから人は仕事をする。
自分の当たり前のために、誰かの当たり前を作る。
それが仕事だ」
父はぼんやりとした目でぼそぼそと話し出した。
「……うん」
もう何回も聞いた話だ。
でも、今は何回でも聞きたい話だ。
「俺はそれで、電気の作業員を選んだ。
1日頑張って働いて夜に家に帰って、スイッチをつけたら当たり前のように電気がつく。
あのホッとする感じ。
あれを、俺は守りたいと思った」
「うん」
知ってるよ。
「おまえが俺と同じ仕事を選んだ時、俺は正直、ものすごく嬉しかった。
とてもとても、嬉しかったんだ。
俺の教えたことは、話したことは、ちゃんとおまえに届いてたんだなと、とても嬉しく感じたことを覚えている」
「……うん」
知ってたよ。
気付いてなかったと思うけど、その話をしたあと、テレビを見ながら密かに鼻唄を歌ってたから。
「なんだか、俺が生きてきた、生まれてきた意味はここにあったんだなって、思ったよ」
「……大げさだよ」
涙がこぼれるのを我慢してるんだから、いまそんなこと言わないでよ。
「……おまえは俺の誇りだ。
これからも誰かの当たり前を、おまえの当たり前を作るために、頑張れ」
「……うん」
結局、私はうんうんと頷くことしか出来なかった。
「……そんなに泣くなよ」
「……うん」
私はもう、しゃべれないぐらいに泣いていたから。
父は、その日の夜に眠るように息を引き取った。
母と私に手を包まれた父は、最期はとても穏やかに微笑んでいた。
私はいま、父と同じ会社で働いている。
とはいえ、父のような現場作業員ではない。
もう少し上から、当たり前を作ってくれている人の当たり前を守る仕事をしてみたいと思ったのだ。
基本的にはパソコンと電話に向き合う日々。
その仕事の忙しさに、たまにその意義を忘れそうになる時もある。
そんな時は父の言葉を思い出すようにしている。
私は今日も、誰かの当たり前を作っている。
当たり前を当たり前にすること。
それが私の仕事だ。