第一話 7
大学生になり、少しだけ変化が起きた。祖父に言われるがまま、中学高校と剣道部に所属していたが、僕は体育会系以外のサークルに入ることにしていた。興味のあった天文学を学びたいと思っていた。大学生のサークル活動なんて、学ぶというより半分お遊びだということくらい、いくらなんでも分かっている。いつも祖父の命令に従って来た自分の人生に、少なからず疑問を感じていたし、とにかく自分の自由意思でサークルを選びたかった。自分で選んだ選択は、何故だか僕をときめかせた。
しかし、初めて部室に足を踏み入れた瞬間、ときめきがぶっ飛んだ。帝都大は、男子が八割、女子は二割しかいないから、天文同好会みたいな地味なサークルに女子はほとんどいないだろうと思っていたのに甘かった。狭い部室にいる五十人くらいの人間のうち、半分以上が女子だった。その光景が目に入った瞬間、踵を返して帰ろうとしたが、先輩と思われる男子学生が、「今日は、入会説明会に来てくれてありがとう」と笑顔で言いながら、僕の左腕を掴んで席へ促すものだから、流石の自分も先輩には従わざるを得ず、そのまま部費を払って入会する羽目になった。しかもその先輩に気に入られたのか、彼のプラネタリュウムの制作の助手を務めることになり、毎週部室に来ることになってしまった。嫌なら嫌で断れば良い話で、断らなかったのだから、自分でも興味がある話だったのだろうと思う。
そんなこんなで、大学に入学してから一ヶ月が経った。一ヶ月が経った頃、いつものように、部室へ顔を出すと見かけない女子の顔があった。彼女は、迷っていたけれど今日入会したい、と言う。高校の先輩がサークルにいるのか、彼女は二年の女子と笑顔で話していた。彼女達は、双子座流星群の話をしているらしい。話の内容は、「みっちゃんより私のほうが多かったわよ」「えー、あの時、先輩、五個しか見なかったって言ってたじゃないですか!」「五個じゃないわよ、七個よ!」とか、訳の分からない話を楽しそうにしていた。何故だか分からないが、その新入会員の女子の笑顔が、妙に瞼の裏に焼きついて離れなくなった。
「それさ、きっとさ、唐吉も普通の人間だったってことじゃないのかな」
久しぶりに、顔を合わせた小五郎が僕に言った。
「えー、どういう意味?」
「さっきから、聞いてりゃ、女子のくせにプラネタリュウムの知識が半端ないとか、女子のくせに全然男に媚びてないとか、それって、彼女のことを貶してるんじゃなくて褒めてんじゃん」
「えーっ、そうか?」
「名前は何て言うの?」
「みっちゃん」
「み、みっちゃん!? 苗字は?」
「知らないよ。みんなそう呼んでるし」
「あーあ、そんなことだろうと思ったよ。付き合いたいのなら、彼女に名前くらい訊くことだね。それから、自己紹介も。まず、そこからだろ」
「付き合いたい? 俺があんなブスと?」
「またまたぁ。冗談は顔だけにしろよな」
そう言って小五郎は笑った。
しかし、そう言われた僕はパニックに陥っていた。
僕が彼女と付き合いたい?
これが世間でいう人を好きになるということなのか?
四六時中、寝ても覚めても講義を受けている最中でも飯を食っている最中でも排便中でも入浴中でも祖父に叱責されている最中でもみっちゃんのことが気になって仕方がないのは、頭の病気にかかっているからなのではないかと思っていたし、近々病院に行かねばと本気で考えていたところだった。
付き合いたいか?と訊かれれば、勿論答えはYESだった。ということは、恋に落ちたということなのか? しかし、僕が初めて恋に落ちたのは一体いつだ?
そこまで考えていて、急に思考が止まった。いつだったのか全然思い出せない。こんな熱病にほだされるのが恋だというのなら、未だかつて一度も経験したことがない。僕は、十九歳になって生まれて初めて恋に落ちたことに気付いた。僕の人生が始まって以来の大事件だった。
「小五郎、俺、ヤバいかもしれない」
「はぁ、何が?」
「俺は恋に落ちたんだ」
「そうだろうね」
「彼女に結婚を申し込まねばならん」
「はあっ!?」
「これだけ彼女のことが気になって仕方ないのなら、結婚するしかないだろう!」
「マジで!?」
「大真面目に決まってるじゃないか!」
「そ、そうだろうね。でも、付き合ってからでも遅くないんじゃないか?」
「自分の気持ちは、最初に誠実に相手に伝えたほうがいいと思うんだ」
「それは、そうだね……」
「健闘を祈ってくれ」
唖然とする小五郎を後目に、僕は意気揚々と小五郎の家を出た。