第一話 5
その日の夜、僕は初めて家出した。祖父に言われたことがショックだった。真夜中の河川敷をトボトボと一人で歩いていた。何がショックだったのか考えていた。たった一人の身内である祖父を落胆させたこと? 自分の能力のなさ? いや違う。記憶の彼方にある大好きな父に似ず、毛嫌いしている母に似ていると言われたからだった。
河川敷を当てもなく歩いていて、突然、何かに躓いて転んだ。
「痛ったぁ!」
「痛いのはこっちよ。ちゃんと下を見て歩きなさいよ」
躓いたのは、真夜中に河川敷で寝転んでいた人間だった。
「わーっ! に、人間だったのか……」
「なんでこんな時間にこんなところをうろついてるの?」
「君こそなんだよ! こんな真っ暗なところで、人が寝転んでるなんて誰も思わないよ!」
「天体観測してるの。星を見てるとパワーが貰えるから」
「……」
「季節によっては見えない星もあるけど、北極星っていつも見えてるでしょ。落ち込んだり、考え事をしたい時に、私はこうやってここに寝転んで北極星を見てるの。いつ来ても、あそこに変わらずある北極星を見てると心が落ちつくの。あなたも落ち込んでるんでしょ。寝転んで星を見てみたら? 自分がちっぽけな存在に思えるから」
「ちっぽけな存在? どういう意味?」
「この世には、自分ではどうしようも出来ないことがあって、それはそれでまあいいじゃんってことよ。だからって、全部諦めろという意味じゃないけど。頑張って自分の目標を達成することは、素敵なことだから」
僕は、謎の人間のその言葉聞いて妙に納得し、「そうだね」と言いながら隣に寝転んだ。
謎の人間は雄弁だった。冬の双子座流星群はすごいとか、星だと思っていたら国際宇宙ステーションだったとか、色んな話をしてくれていた。しかも、「自分には、今日、あなたがここに来ることが分かっていた、だから寝転んで待っていた」と奇妙なことを言った。
「はぁ? 変なことを言うね? 僕が来るのが分かってただなんて」
「そう、私には何でも分かるの。だから、困ることもいっぱいあるんだけど……」
「ふーん」
「悩んでるからここに来たんでしょ。あなたの悩みは大したことなの?」
「自分にとってはそうだけど、他の人にとってはそうでもないかもしれない」
「だったら、大した悩みじゃないんだよ。忘れちゃえ、忘れちゃえ!」
「そうだね」
「いつまでたっても跳び箱が跳べないから、落ち込んでるだなんて、大したことじゃないよ。他のことは凄いじゃない。あなたみたいにみんな万能じゃないよ」
僕はその言葉を聞いて、嫌な予感がした。謎の人間に、跳び箱が跳べないなどと一言も話していなかった。もしかしたら、謎の人間はクラスメイトなのかもしれない!
僕は真っ暗闇の中、目を凝らして謎の人間の横顔を見た。何度見ても、その顔は件の山本道代だった。
「き、君、もしかして、山本道代!?」
「そうだけど? もしかして今頃気付いたの? とっくに気付いているんだと思ってた」
僕としたことが、迂闊にも、クラス一ブスな女の山本道代と、こんな時間にこんなところで寝転び、しかも二人っきりで話し込んでいたのだった。あり得ない現実に愕然とした。
「帰る!」
気付けば、そう叫んでいた。
「もう帰るの?」
「お前みたいなブスで男たらしな女と話してられるか!」
「ええっ! ブスで男たらし!?」
「女だからだよ! しかもお前のせいで、俺は毎日女番長に付け狙われてるんだ! 一昨日きやがれ!」
僕は、そう捨て台詞を吐くと、そそくさとその場を後にした。しかし、小五郎以外の人間とこんなにも打ち解けて話せていたことに、びっくりすると同時に安堵と温かなものを感じて、思い出すたびに自然と顔がにやけてくるのだった。
家に着いたら、どうしてだか玄関前に涙目の執事の森山がいて、玄関を入ったすぐそこに、心配そうな顔をした祖父が立っていた。