第三話 3
翌朝、僕は、早速青森に向かって出発した。交通費もかかるということで、新宅正司には留守番をさせた。東京駅から始発のはやぶさ一号に乗り、八戸で乗り換えて大湊へ向かい、大湊から大間に向かった。大間に着いたのは、午後三時だった。この時間に、漁港に行ったところで誰もいない。だったら、船が帰ってくる夕方まで、先に大間町役場に行って、坂巻峰雄の情報を得ようと思った。
大間町役場は建て替えられたばかりなのか、洒落た現代的な建物で、なんだか調子が狂った。自分が想像していたものと全然違っていただけの話ではあるが……。大間町役場の産業振興課に問い合わせたら、いかに大間のマグロが美味いか親切丁寧に教えて貰ったが、「人を捜している」と言ったら、「個人情報をお教えすることは出来かねます」とぴしゃりと断られた。公務員がそんなことをするわけない、そりゃそうだと思い、今度は大間漁業協同組合に出向いた。大間の漁協は港から近いし、最初からここに来れば良かったと後悔した。ここでも、人を捜していると言ったら、多少は警戒された。しかし、自分は調査事務所の調査員をしており、依頼主が親切にして貰った青年を捜していて、その青年の情報を知っているだろう人が大間で漁師をやっていると聞いたので捜している、是非協力して貰いたいと言ったら、案外すんなり坂巻峰雄のことを教えてくれた。
しばらくして、日の入りと共に、マグロ漁船が次々港に戻って来た。漁協の事務員さんから、坂巻峰雄の船の名前が「青峰丸」だと教えて貰っていたので、すぐに坂巻峰雄は見つかった。父親と一緒に漁に出ていたらしい。年を取ってはいるが、坂巻峰雄によく似た日に焼けた色黒の逞しい男性と一緒に船を下りてきた。
僕は喜び勇んで坂巻峰雄に「坂巻さんですか?」と声を掛けたが、「誰だ、おめえ? 見かけねぇヤツだべな。邪魔だからあっち行ってろ!」と追い払われた。何度も「訊ねたいことがあるんです!」と言ったのに、「邪魔! よそ者に用はねぇ! あっち行け!」と、取り付く島もないほど拒絶された。見かねた漁協の事務員さんが、「あのぉ、今日はマグロが釣れなかったみたいだから、またにしたほうがいいんじゃないかな。坂巻の息子さん、まだ見習いだし、一ヶ月間、一匹もマグロが釣れてないからイライラしてるんだよ」と助言してくれた。事務員さんによると、そういうことはよくあることだそうである。そうかそれなら仕方ない、と思ってはみたものの、マグロが釣れるまで待っていたら、一体いつ話が聞けるか分からない。僕は、次第にイライラし始めた。イライラしたが、しようがないので、今日のところは諦めて商工会で紹介して貰った民宿に泊まった。
しかし、次の日もその次の日もそのまた次の日も坂巻峰雄に無碍に扱われ、とうとう堪忍袋の緒が切れた僕は、「海の男が困っている人間の話も聞けないなんて男らしくないじゃないかっ!」と吼えたら、「だったら、明日、船に乗せてやるから日の出前に港に来い」と言われて、「やった!」とばかりに喜んだ。しかし、次の日、早朝に美味いマグロをたらふく食べて船に乗ったことを酷く後悔することになる。
船に乗り慣れていない僕は、船に乗った途端船酔いし、恥ずかしげもなく海に向かって、ゲーゲー吐いていた。三十分は吐いていただろうか、お終いには吐くものがなくなって、胃液を吐く始末。坂巻峰雄は、そんな僕を見て、「ざまあみろ! 漁業はそんなに甘いものじゃない!」とばかりに、ゲラゲラ笑っていた。
しかし、しばらく経って、驚くべきことが起こった。マグロの大群が、船の後ろをついてくるのである。船上の逞しい男二人は、興奮し色めき立った。「おらぁあああ、竿を垂らせえええっ!」「先頭のボスを絶対に仕留めるべえええっ!」と叫んでいる。僕は朦朧としながら、船の中にへたり込んでその様子をぼんやりと眺めていた。すると、しばらく経って、ボスは竿の疑似餌に食らいついた! 坂巻峰雄は竿を手繰り寄せ、暴れまわるボスを電気ショックにかけた。そして、動きが鈍くなったところで、モリで急所を突いてとどめを刺した。坂巻峰雄は、いとも簡単に巨大なボスを仕留めて、ウィンチで船上に上げていた。船上に上げてみて分かったが、ボスは三百キロは優に超えるかと思われる超大物だった!
一体そのマグロにいくらの値が付いたのか分からないが、とにかくとんでもない値が付いたのは間違いない。坂巻峰雄の父親は「おめえが、ゲロゲロ吐いたおかげだべ」と言ってニコニコしている。坂巻峰雄も「なんでも訊きたいことを訊いていいべ」と笑った。まったくゲンキンなヤツだなと思った。
「ヤンキー風の体格の良いヤツ? そんな男、店に居たっけ?」
「見かけは恐そうだけど、優しい性格だったみたいです」
「あー、アイツかな。アイツの名前、何だったかな? 良いヤツだったけど、すぐに辞めたし、どこに住んでるかまで知らねぇ。でも、あの子と付き合ってたんじゃねぇべか。あの子は店が潰れるまでいたから、あの子に聞けばいいべ」
「あの子って?」
「緑のオカッパの子」
「名前は?」
「速水愛」
「どこに住んでるんですか?」
「そんなことまで覚えてねぇべ。緑のオカッパで目立つから、ちょっと調べりゃすぐにわかるべ」
「……」
聞けることは聞いたと思った僕は、すぐに大間を後にして東京に舞い戻り、早速緑のオカッパ作戦を開始した。
新宅正司と緑のオカッパ探しを始めたが、一番最初に入った某コンビニ店の店員が、「緑のオカッパの子ならウチで働いていますけど、今日は休みです。明日出勤します」と言い、名前を確認するとやはり速水愛だということが分かり、うちの事務所が始まって以来の最速で事が片付いてしまった。しかし、緑のオカッパは、どう考えても女であることは間違いないので、僕は、大いに困っていた。