第二話 7
そうこうしているうちに、今度は右斜め向かいの加賀美佐助の事務所が騒がしくなった。前は老若男女が大量に入り乱れていたのに、最近では男性より女性の客のほうが多くなったようで、中には杖をついてやってくる女性の客もいた。新宅正司は、またもや加賀美の事務所に偵察に行き、窓に張り付いて中の様子を窺っている。僕もついには我慢できなくなって、新宅の横に並んで加賀美の事務所の中を覗いていた。
加賀美の事務所の中は、まるで老人会の集会所のような有様になっていた。老婆が十五人くらいで、仲良くお茶会をしているようだった。その中で会長と思われる上品な老婦人が、加賀美佐助に向かって口を開いた。
「加賀美先生、本当に助かりました。会員の中には、ご主人に先立たれて一人暮らしの方が多いの。それに、子供も離れて暮らしているし、オレオレ詐欺に何度も引っかかって、泣いてる人もたくさんいますの。加賀美さんは元裁判官だし、我々小川町老人会の相談役になってくださるなんて、こんなに心強いことはありませんわ。それに、便利屋さんがしてくださるようなこともしていただけるんでしょ? もう本当に感謝しかありません」
新宅正司は驚き、「あの高等裁判所裁判官を経験した敏腕裁判官が便利屋をやるんですかね? 電球替えたり、病院に付き添ったり、お買い物代行したりするんですかね?」とそっと僕に耳打ちしたので、僕は思わず、「わっはっはっは!」と声を上げて笑ってしまった。ところが、その声に気付いた加賀美佐助が、怒り狂った表情で事務所を飛び出してきて、「お前はここで何をしているんだ!」と声を荒げた。
「いや、別に。通りがかっただけだよ」
「勝手に人の会社の話を盗み聞きするなんて、それが元検察官のやることか!」
「安心しろ。ただの立ち聞きは、刑法電波法第五十九条にも住居侵入法第百三十条にも抵触しない。しかも俺が、お前の会社の機密情報を知ったところで、何の訳にも立たない。真似しようがないからな」
「馬鹿にしてるのか!」
「そうかもな」
「お前は本当に愚かな奴だな。会社が火の車だというのに、女性客の依頼を断わるなんて愚の骨頂だ! 世の中の経済はな、女が回してるんだよ。金を落とすのはほとんどが女。男も金を使うのは女のため。そんなことも理解していないお前は、泥船に乗っているも同然だ。新宅君、君はこんな会社にいつまでいるつもりだ? うちは人手不足なんだよ。愚かな経営者のおかげで、転職したくなったら連絡してくれたまえ。うちはいつでも大歓迎だ」
加賀美佐助はそう言い放つと事務所のドアをバンッと締め、窓のブラインドを降ろして、僕達をシャットアウトした。僕も新宅正司も、すごすごとその場を後にするしかなかった。