第二話 5
しかし、僕は苛立っていた。海東達弘にああ言ったものの、迷路にはまり込んでいた。あの絵の女性が誰なのか、どうやって突き止めればいいのか全く見当も付かなかった。
苛立った僕は、苛立った時に決まって沢登小五郎の家を訪れる。小五郎の家を訪れると、豆柴の豆太郎が、僕に向かってワンワンと容赦なく吼えた。僕は豆太郎の気を惹こうと、視線を合わすためにしゃがみ込み、彼の頭を撫でようとしたが、豆太郎はますます機嫌を損ね、さらに大声で吼えた。小五郎は、そんな僕と豆太郎を呆れた目で見つつ「お前は犬にも嫌われてるんだな」とぼやき、豆太郎を抱えて隣の部屋に押し込んだ。豆太郎にしてみれば、小五郎のその行動は、「自分よりコイツを大事にしている」ということだろうし、ますます僕のことを嫌うじゃないかと少し気を揉んだが、次の瞬間、「ふん、ざまあみろ」と心の中で悪態を吐いていた。豆太郎にとっても僕にとっても、お互い天敵でしかなかった。
「また何かあったのか?」
「何かないとここに来ちゃいけないのか?」
「そういうわけじゃない」
「まあ、困ってるんだけどさ」
「フッ、そんなことだろうと思ったよ。ただし、俺はマツ婆ちゃんのようにはいかないからな」
「わかってるよ」
ふと、小五郎のアトリエを見回すと、以前よりも所狭しと出来上がった作品が置かれていることに気付いた。
「もしかして、もうすぐ展覧会があるのか?」
「うん、まぁね」
「ふーん、俺と違ってお前は安泰だな」
「そうかもな。まぁ、食うには困らない」
「あのさ、ちょっと訊くけど、画家がモデルにしたい女性ってどういう人?」
「そりゃあ、決まってるじゃないか」
「え? 誰?」
「恋人」
「そっか、やっぱり、そうだよな。お前もそうだしな」
「まぁな」
「画家も彫刻家も一緒だよな」
「ああ」
そんな会話をして、小五郎の家を出たが、海東光次の恋人が誰だったのか、そんなに簡単に分かるんだろうかと頭を抱えた。海東光次は一度も結婚をしておらず、生涯独身だった。生涯独身ということは、恋人や噂のあった女性は、もしかしたら数多いるかもしれないということじゃないか。僕は、途方に暮れていた。
次の日、海東達弘から海東光次が通っていたと思われるバーやレストラン、はたまたカフェまで教えて貰い、海東光次の女性関係はどうだったのか聞いて回ったが、見事に何も収穫がなかった。海東光次は、真面目で聖人君子のような尊敬に値する人物だったと誰もが口を揃えて言った。ただ、あるバーのホステスが、「先生は、真面目で少年のような純真なところもあったけど、面白味に欠けるから、男性としてはあまりモテなかったんじゃないの。堅物すぎるのも問題よね」と言ったおかげで、「堅物のどこが悪いんだ? お前のようなくだらない下衆女より余程立派な人間じゃないか!」と思わず口からついて出てしまい、そのせいで大トラブルになった。
「二度と来るんじゃねぇ! このクズ野郎! ただで情報を流してやったのにさ!」と罵倒されながらバケツで水を掛けられ、店を追い出される羽目になった。