第二話 4
その日の午後、海東達弘は、依頼の打ち合わせをするために事務所を訪れた。この絵を最後に見たのは、まだ叔父が亡くなる前で、今から半年前だったと語った。
「叔父は心不全で亡くなったんです。本当に何の予兆もなく突然だったので驚きました。亡くなる三日前には、弟子たちとアトリエで飲み明かしていたんですから」
「そうだったんですか」
「僕も同席していたんですが、その時に確かにアトリエにあの絵があったんです。弟子達に、『ずっと気になっていたんですけど、この絵のモデルの女性は、一体誰なんですか?』と詰問されてましたから。でも、叔父は『内緒だよ』と笑って、絶対に明かしませんでした。私も過去に何度か訊ねたことがあったんですが、やはり教えてくれませんでした」
「でも、タイトルが『遠蕾』だから、きっと海東先生にとって、悪いイメージの人じゃないですよね。女性の表情もすごく穏やかですし……。意味は、遠くにある蕾? 『手の届かない純真無垢な人』とでもいうような意味なんでしょうか?」
「そうかもしれませんね。叔父にとって、憧れの人だったんでしょうか。最後に残ったあの絵を叔父は大切にしていました。とにかく、私は、絶対に捜し出したいんです。あの絵は、叔父自身にとっても重要な絵だったに違いないんです」
海東達弘から、海東光次の周辺人物のリストを貰い、僕と新宅正司は手分けして、リストの人物に片っ端から聞き込みを始めた。弟子や知人、画商やコレクターに至るまで、ありとあらゆる人物にあの絵の行方を知らないかと訊ねてまわった。そんなことを毎日毎日繰り返したが、一週間経っても二週間経っても、依然としてあの絵の行方は知れなかった。困った僕は、もう一度海東達弘に話を聞くために、事務所で会うことにした。
「そうですか……。やっぱり、見つからないんですね……」
「ええ。正直言って困惑しています。少しくらい手掛かりがあってもいいと思うのに、みなさん、全く分からないとおっしゃるんです。ただ、気になったことがありまして……」
「というと?」
「遠蕾の別の絵を持っていたコレクターの方がおっしゃってたんです。海東先生が、絵を返して欲しい、倍の値段でもいいから買い戻させてくれと言ってたそうですが、その方は一旦は断っているんです。自分は、この絵を気に入っているから手放したくないと突っぱねたそうです。ですが、海東先生は、『いや、どうしても駄目だ。あの絵の代わりにあなたの要求通りの絵を描くから、代わりに返して貰いたい』と言われ、それで泣く泣く返したそうです。海東先生の表情は、もうそれは本当に鬼気迫るような真剣そのものだったそうで、どうしても手放したくなかったのに、根負けして返してしまったそうです。他のコレクターの方も同じことをおっしゃってました」
「どうしてそこまでして、遠蕾を処分してしまいたかったのか、全く不可解です」
「あの絵の女性が誰なのか誰も知らないんですよね?」
「そうですね……」
「やはり、あの女性が誰なのか突き止めるべきですよ!」
僕は、気付けば、海東光次の目を見ながら真剣にそう叫んでいた。