最終話 7
南条久志と水瀬桜はいつものように、青空園で入所者用の食事を準備しながら、二人で話をしていた。
「佐川のお婆ちゃん、風邪が快復して良かったですね。もうすぐ楽しみにしていたお花見だし、冷や冷やしましたよ」
「ほんとですね、昨日は、咳もおさまっていたし、私もほっとしました」
「ところで水瀬さん、折り入って話したいことがあるんです」
「え、何ですか、急に……。南条さんがそんなことを言うなんて珍しいですね……」
「あの、前から、水瀬さんが言ってたじゃないですか? 昔のことを思い出したいって」
「……」
「僕は、水瀬さんと長年一緒に働いてきて、正直、水瀬さんのことを一番信頼のおける親友のような存在だと思ってます。だから、水瀬さんが、毎年、お花見の時期になると、涙を流されて酷く落ち込んでいるのが心配だったんです」
「心配してくださってありがとうございます……」
「もう一度聞きます、記憶を取り戻したいんですよね?」
「ええ」
「その気持ちに変わりはないですよね?」
「はい」
「先月、ここに、宮永さんが飼っていたワンちゃんを連れて、調査事務所の方が来られたことがあったでしょ? つい先日も来られてましたが……。その方が、お花見に一緒に参加することになっているんです。その方に、記憶を取り戻せるように話をされてみませんか? 宮永さんのワンちゃんも、必死になって捜してくださった方々だし、きっと良い方ですよ」
「そうですね……。私も思い出したくて、精神科の病院に何度も通ったのに記憶が戻らなかったんです。思い出した後に、どんなことが起ころうと、私は受け止めなきゃいけないと思っています。私は、どうしてだか、毎年咲き誇った桜を見ていると胸が苦しく、訳もなく泣いていました。今、私はすごく幸せです。でもだからこそ、過去の私に向き合わなきゃいけないと思うんです。きっと、桜の時期に、私は周囲の人を苦しませるようなことをしたのだと思います」
「周囲の人だけでなく、自分も苦しんだんでしょう? 水瀬さんを見ていると、故意に人を苦しませるような人じゃないと僕は思います。だって、ここにいるお爺ちゃん、お婆ちゃん、皆さんが水瀬さんのことを心から慕っているじゃないですか。だから、記憶が戻ったとしても、きっと僕は、水瀬さんにとっても良い結果になると信じています」
南条久志はそう言うと、水瀬桜の顔を見て、静かに笑った。