この世界に卑怯という文字はない
オルフェードはそれから何食わぬ顔で私を抱きかかえ、部屋まで連れて帰ってくれた。
キスをされたこともそうだが、色々なことが衝撃的すぎて腰が抜けてしまったのだ。
『逃げられないって、覚悟してくださいね』
しかも去り際にそんな言葉を残し、私の頬にキスをして去っていくなんて……
違う。
こんなの国盗りゲーじゃない。どこかで乙女ゲーにスイッチしている。
本当なら寝室に篭ってふて寝したいところだが、残念ながら私は戦姫と呼ばれる王女様。
今夜の戦勝祝いに顔を出さないわけにはいかない。
まだ陽が高いうちから私はオイルマッサージを受け、浴室でも磨き上げられた。
魔法のミストに謎の液体のパック、すっかりツヤツヤになった私はのんびりと浴槽に浸かって寛いでいた。
するとそこへ、衝い立て越しにジョーくんから声がかかる。
「フェアリス様、ご報告に参りました」
「早かったのね」
私が部屋に戻ってきてすぐ、ジョーくんには諜報部が全員無事かどうか確かめに行ってもらった。
アクアニードが、こちらが秘匿していた情報を持っていたからだ。
ジョーくんは表情こそ見えないけれど、悔しそうに報告を上げる。
「部下が一人、魅了にやられていました。おそらくそこから、ルクレーアの王族と政略結婚しようとしていたことが漏れたのかと」
「そう」
やはりこちらの部下がやられていた。
魅了は解ければ特に問題はない。後遺症も残らない。
「命があってよかったわ」
ホッとした私は、温かな湯の中で脱力する。
「私の不手際です。申し訳ありません。殴る蹴る、煮る焼くなどどうぞ積極的にお願いします」
ジョーくんが頭を深々と下げながら、変態性を出してきた。
私はそのままスルーして、話を進める。
「それをいうなら私のミスでもあるわ。まさか錬金術でスキルを練成できるなんて、盲点だった」
ジョーくんにアクアニードが魅了持ちであったことを説明すると、急ぎで魅了を防ぐ魔法道具を作らせますと対策を練る。
「まぁ、大丈夫よ。さすがに今夜の戦勝祝いの場では私を襲って来ないでしょう」
「それなのですが、さきほどアクアニードが何者かに襲われて重傷を負って発見されました」
「え?」
「何かに押し潰されたような形跡があり、全身の骨を72箇所骨折していたそうです。回復魔法ですでに完治しましたが、数日は起き上がれないと報告が」
オルフェードだ。
あのとき私を助けるために……にしてもやりすぎてない!?
ジョーくんに事の顛末を打ち明けると、あっさりと「息の根を止めなかっただけ優しいですね」と言い放った。
「数日動けないんだったら、しばらくはおとなしくするでしょう」
「だといいのですが。念のため、アクアニードの近くに部下をつけます」
「お願いね。でも無理はしないでいいって言っておいて」
どうせこのことは父には報告するんだ。
アクアニードが国政にかかわれる道は閉ざされたと言っていいだろう。
そろそろ着替えないといけない時間だ。
私は浴室から出て、ガウンを着た姿で衣装室へ向かう。
いい感じに疲れがほぐれて眠気に襲われている私を見て、ジョーくんが苦笑した。
「戦勝祝いの宴なのに、乗り気ではなさそうですね」
「まぁね」
侍女たちが、やる気に満ちた顔つきでスタンバイしている。
飾り立てるのを楽しみにしているのだ。
私も苦笑いをすると、ジョーくんが悲しげな目で見つめて言った。
「できるなら、このままあなたを連れ去ってしまいたい」
切ない声でそんなことを言うもんだから、侍女たちが「はぅ……」ってうっとりした声を漏らす。
私はまぁ、この先のことがわかるから。
死んだ目でジョーくんを見る。
「一応聞いてあげるけれど、どこへ連れ去ってくれるのかしら?」
「執務室です」
やっぱりね!
わかってるわ、書類が溜まってるんでしょう!?
そんなことだと思ってた!!
「あとでやりまーす」
振り向きもせず手をひらひらと振る私。
「暖炉の火を入れておきまーす」
くっ……!ジョーくんが私を働かせる気満々だ!
足音はせず、パタンと扉が閉まる音だけがする。
それから一時間。
私は深蒼色のドレスを纏い、煌びやかな宝石を身に着け、銀髪は丁寧に一つに編み込まれてティアラをつける。鏡で姿を確認すると、どこからどう見ても神秘的な美女ができあがっていた。
おおっ、課金アイテムっぽい豪華な衣装だ。
「お美しいですわ」
「どんな宝石もかすむようでございます」
侍女たちが口々に褒めたたえてくれて、私の気分は少しだけ浮上した。
「いってくるわ」
重いドレスの裾を蹴り、颯爽と歩き出す。
廊下で待っていたのは、白髪短髪のフラヴィオ将軍。右目に十字傷のある厳ついイケおじだ。
「待たせたわね」
「いいえ、今来たばかりです」
気安い態度は、いつものこと。
騎士の正装を纏ったフラヴィオ将軍は、ニカッと豪快に笑った。
「聞きましたよ。とうとうオルフェードが本性を見せたらしいですね」
この口ぶりだと、彼はすでに知っていたらしい。
「本性っていうか、別人じゃないの」
差し出された武骨な手を取り、エスコートを受ける。
歩きながらオルフェードのことを話すと、フラヴィオ将軍はおもしろそうに笑った。
「まぁ、騙してたっていやぁそうかもしれませんがね。あいつがフェアリス様に惚れてるのは間違いない。昔っから皆知ってましたよ」
「え!?なんでよ!なんで誰も教えてくれなかったの!?」
思わず批難めいた口調になってしまう。
フラヴィオ将軍は私に問いかけに、スッと遠い目をして答えた。
「いや、そんなこと暴露して消されたくないんで」
「……あなたたち、呪術師が怖いの?」
「はい、当然」
半信半疑な私を見て、フラヴィオ将軍は苦笑いになる。
「あいつがフェアリス様の敵なら何としてでも止めますが、味方に引き入れているうちは頼もしい限りですからね。そもそも、あいつが必死になってレベルを上げて呪術師にまでなったのは、フェアリス様のためですから」
「私のため?」
強制労働による不可避なレベルアップではなかったのか。
驚く私を見て、フラヴィオ将軍は逆に驚いていた。
「普通は逃げますって、あんな修業させられたら」
「……」
そんなにひどかっただろうか。
戦に負けて、国が滅んで自分も死ぬよりは、修業の方がましだと思っていたんだけれど。
「フェアリス様は恋とか愛とかそういう器官がぶっ壊れているから、気長にがんばるしかないって皆は微笑ましく見ていたんですよ」
「ちょっと人を欠陥品みたいに言わないでくれる!?」
部下にひどい言われようである。
「だいたい、見た目だけは可憐な姫様が何の危険もなくこれまで戦場でいられたのはオルフェードのおかげでもあるんですよ。身分っていうものがあっても、戦場では理性が吹き飛ぶ輩もいますからねぇ」
フラヴィオ将軍によると、私によからぬことをしようと企てる者は容赦なくオルフェードが片付けていっていたらしい。
全然気が付かなかった……。
「あいつだって、まさか自分がフェアリス様の婚約者候補に選ばれるとは思っていなかったんです。あなたのために、陰ながら支えるつもりでしたよ。それがどういうわけか手に入れる機会を得ちまったもので、箍が外れたんでしょう。色恋に疎いフェアリス様が動揺するのはわかりますが、同じ戦場で生き抜いた私どもからすれば、オルフェードを選んでやってほしいって思っています」
「ううっ……、そこで連帯感を出してくるのは卑怯よ」
「そうですか?でも卑怯も作戦のうちってどこかで聞いた気がしますが」
言った。
それ、私がよく言っていた言葉だ。
卑怯も作戦の一つに過ぎない。目的のためなら手段は選ぶなって、全力で敵を落とせって。
フラヴィオ将軍は、それはそれはいい笑顔で言った。
「大丈夫です!オルフェードはイカれたやつですが、そこそこいいやつですよ」
「イカれているのよね!?」
「でもいいやつです」
「あなた売り込みがヘタね」
不安しかない。
ただでさえ、オルフェードから急に告白されて、しかもキスまでされて困惑しているのに。
イヤではなかったけれどね……。
あああ、政略結婚を希望していたのに!
恋とか愛とかめんどくさいから、合理的な計算づくの政略結婚を希望していたのに!
煌びやかなシャンデリアが眩しいパーティー会場は、すでに多くの騎士や魔導士たちで溢れかえっている。
私はフラヴィオ将軍と共に最後に入場し、皆に笑顔を振りまいて進む。
途中、魔導士団の正装を纏ったオルフェードがいるのに気づいた。
くっ……!目が合うと、何事もなかったかのようにふわりと優しい笑みを向けてくる。
思わず目を逸らせば、フラヴィオ将軍に「あ~あ」と嘆かれた。
一体私はどうすればいいんだろう。
もしも、もしも本気でオルフェードが私を好きなら、政略結婚の相手に選ぶのは失礼な気がする。
私は今のところ、かわいいという感情しか持っていない。
そして、悪フェードになってしまったらそれこそかわいいが消滅してしまう。
うまくやっていけるんだろうか?
考えている間に、国王陛下からの労いの言葉は終わった。
賑やかな音楽が流れ、私はフラヴィオ将軍と踊ろうとホールの中央へと向かう。
ところが将軍と向かい合ったとき、横からスッと白い手袋をつけた手が割って入ってきた。
「将軍の代理を務めさせていただきます」
「オルフェード!?」
私がぎょっと目を見開くと、彼はあははと爽やかに笑った。
将軍はというと、踊りたくないので気配を消して下がろうとしている。
「ちょっと!」
「すみません、ダンスだけは本当に苦手なんで」
200センチのイケおじは、小さくなっていた。どうやら本当にダンスが苦手らしい。
しかもここで私がオルフェードの手を取らなければ、恥をかかせることになる。
「卑怯者~」
ため息交じりに彼の手を取ると、オルフェード悪びれなく私の腰に手を回した。
「卑怯も作戦のうちですよね」
「それ、さっき聞いたわ!」
優雅なバイオリンの演奏。
私は諦めてステップを踏むのだった。
 





