逃げるに如かず
――バタンッ!!
「オルフェード、いるー?」
「フェアリス様!?」
あれからまた1週間が経過した頃、私は再び魔導士団の一室にやってきた。オルフェードは基本的に客室へ戻らず、ずっとここで生活している。
突然訪ねてきた私を見て、オルフェードはぎょっと目を見開いた。
今は魔導書を読んでいたところで、一人きりなことは知っている。
「ごめんなさい、急用なの!意見を聞きたくて」
私は問答無用でテーブルの上に地図を広げる。彼は揺り椅子から立ち上がり、私の隣へ歩いてやってきた。
「これは七国の地図ですね。最新の」
「そうなの!ようやく完成したから、街道も裏道もばっちりよ」
この世界には正確な地図がなかった。
私は転生者チートで脳内にマップを思い描けるんだけれど、それを地図に起こしてもらうことから始め、最新版の第10改訂地図が今ようやく手に入ったのだ。
「ここを見て。海に面しているウェルディアから、ネスト、ルクレーアの三国には各国を隔てる大きな山がないの。街道を繋げて、塩や香辛料を簡単に運べるようにしたら内陸国のルクレーアはもっと発展すると思わない?」
「なるほど、ルクレーアには織物や宝石類がありますから、それと交換して貿易を活性化できれば」
「ええ、そう。ルクレーアは毎年飢饉が発生して食糧難に陥っているけれど、隣国との戦争がなくなった今、安定した食糧供給ができるはず」
取り込んだ6国のうち、最も貧しい国が内陸のルクレーアだ。
ここは私がオルフェードを見つけた国でもある。彼への罪滅ぼしとしてはもちろんのこと、取りこんだからにはルクレーアにも富と平穏をもたらしたいと私は思っていた。
「小さな山には、穴を空けて道を作って、商人たちから通行税を取ろうと思っているの。それでオルフェードに聞きたいのは」
「え、まさか……あの……穴を空けるのを魔法で……?」
戸惑う彼に、私はにやっと笑ってみせる。
「そう。穴を空けるのに必要な人員と期間、費用を計算してもらいたくて」
どういうわけか、この世界の概念にはトンネルというものがない。山は迂回するしか方法がないとされていた。日本にはトンネルなんてたくさんあったから、なんでないんだろうってずっと思っていたのよね。
私は手元の紙にトンネルのイメージ図を描いていく。
「こうやって、山に横から穴を空けて、どんどん向こう側まで掘りながら鉄の枠で土を抑えて……。魔法で穴の内側から土を固めて、金属のパネルで固定すれば雨が降っても大丈夫でしょう?」
「えーっと、理論的にはいけますが」
オルフェードは私が無茶なことを言っても、きちんと聞いてくれた。実験してみないと安全性がわからないと言いつつも、さっそく取り掛かってくれるという。
「ありがとう。あなたには助けられてばかりだわ~」
満面の笑みでそう言うと、オルフェードはふっと笑った。
「びっくりしましたよ。駆け込んでこられたので、てっきり結婚について何か進捗があったのかと」
「はっ!」
「……え?」
部屋に沈黙が流れる。
忘れていたわけではないけれど、国策について考えていたら「そうだトンネルを掘ろう」と思いついてしまって、後回しになったのだ。
「こ、これは今のうちに実績を積んで、今後も国政に携わろうという作戦よ」
「…………そうですか」
オルフェードはわかっていながら、あえて突っ込まずに飲み込んでくれた。
優しい。
「「…………」」
気まずい。
私は目を伏せて、えへへと曖昧に笑うことしかできなかった。
「まぁ、そこがフェアリス様のかわいらしいところですけれど」
「え?」
何か今、都合のいい幻聴が聞こえた気がする。
かわいい人からかわいいと言ってもらえた?
びっくりしてオルフェードの顔を凝視していると、ふっと柔らかく笑った彼が一歩距離を詰めた。
「あまり無理をなさらないよう」
その目に吸い込まれそうになってぼぉっとしてしまう。
すると彼はクスリと笑い私の右手を取ると、自分の両手でそれを包み込む。
「オルフェード!?」
驚きすぎて、全身が跳ねる。
願いを込めるように、彼は目を閉じる。そっと優しく触れた手は、温かくて心地いい。
茫然としていると、彼は少し屈んで頭を倒し、私の右手を自分の額に押し当てた。
「あの……」
何かの儀式に見えなくもない。
彼の柔らかな髪が、私の手の甲をくすぐる。
「っ!」
ゆっくりと顔を上げ、私を上目遣いに見るオルフェードはいつもの優しい彼でなかった。少し意地の悪い笑みを浮かべ、試すように私を見上げている。
その表情にドキッとして慌てて手を引っ込めたら、彼は何事もなかったかのように背筋を正して地図に視線を落とした。
「フェアリス様の仰せの通り、承らせていただきます。どうぞお任せください」
「……え、あ、はい」
私ったら疲労で夢を見たのかしら。
オルフェードはまたもや儚げな雰囲気に戻っていて、優しいオーラを放っている。
さっきのオルフェードは何だったの?
額に手をやり、思い悩む私。彼は地図をくるくると丸め、書き机の上へ置いた。よく見ると、その背は広くて頼もしい感じがする。
なんていうか、男の人なんだなって今さら思った。
「何か?」
振り返った彼は、かわいらしく尋ねる。
「な、何でもない!」
いやいや、かわいい小動物みたいなオルフェードに限って男の人だなんて。
男なんだけれど、オルフェードはそうじゃないっていうか、守ってあげたい系男子だから!
「それじゃあ、よろしくお願いしますね!」
こういうときは逃げるに限る。「兵法三十六計 逃げるに如かず」だ。
急激にドキドキしてきた心音をごまかすように、私はさっさと部屋を出た。





