~黒井剛士の日常②~
まだまだ第三者目線で続きます。
第7章━5
「遅い~、何しょったん?」
隣の女性が気軽に話しかけている相手こそ、僕がこの店に通う本当の目的の人物。
お目当ての黒井さんが──今日初めて彼の名前を知ったが──まさかこの女性の知り合いだったとは!
「迎えに行ったがすでに人だかりが出来ていてな…」
「兄貴は悪くないって」
「俺達がファンに見つかったからな」
く、黒井さんの存在に気が動転して気づくのが遅れたけど、一緒にいる2人はまさかのアーティストRyoと俳優の横山龍斗!?
なぜ?なぜ??何でぇ━━━っ???
「ところでコイツは?」
黒井さんが女性に僕のことを聞いている。
彼の視界に僕が入っている事実を認識した途端、緊張が止まらない。
「あっ、そういえば名前聞いてなかったゎ、私」
「え、英介です。矢野英介って言います…」
「黒井さんのファンだそうです」
マスターがそう告げた途端、
「マジか?お前、見る目あるな!」
なぜか有名人の横山龍斗が僕に笑いかけながら肩を組んできた。黒井さんは無言でマスターのいるカウンターの向こう側に移動し、ビールを注いでいる。今の僕は右に女性、左に横山龍斗、その隣にはRyoという人生で最も注目を浴びた状態だった。
「兄貴のファンって?」
「昔、助けてもらったようですよ。黒井さんに…」
「あっ、は、はい。命の恩人です」
緊張しながら答える僕を取り囲むようにして座っている3人が嬉しそうに話しかけてくる。
「そっかぁ~、ここにも兄貴に助けられた奴がいたのかぁ~。じゃあ仲間だな俺達」
「ゴーシュはいつも誰かを助けてるんやって」
「また命の恩人…」
「俺は覚えてないが…」
ここに通いだして3年半。
やっと彼と会話をするチャンスが巡ってきた。
僕は意を決して憧れの相手に話しかけてみた。
「3年半前の冬、隣の居酒屋で先輩に飲まされて酔い潰れていた僕を助けてくれたのが貴方なんです」
「…あぁ、そういえばあったな…」
彼は隣のイケメン2人にビールを渡すと自分もグラスに手をやりゴクッと飲んだ。
「翌日、病院に行って診てもらったんですが、僕は体質的にアルコールが弱いみたいで。医者からは危なかったと言われました。急性アルコール中毒で命を落とす一歩手前だったそうです」
「ヤバかったんやな、英介」
何気に隣の女性は僕を呼び捨てにしている。
「あの時、貴方が止めに入ってくれなかったら僕は死んでいたかもしれなかったんです」
「そりゃ、兄貴がおかげだな」
「確かに命の恩人って言えるな」
「やろ~。さっすがゴーシュ」
「・・・」
彼は無言でビールを飲んでいる。
「きちんとお礼が言いたくてもどこの誰かも分からず、隣の居酒屋の店員に尋ねたところ、このバーによくいるって聞いて…」
「それでこの店に来るようになったんですね?」
マスターが微笑みながら僕の話を補足してくれた。
「で、でも恥ずかしさと申し訳なさと緊張で、貴方に中々お礼を言うことが出来ず、気づけば3年半もたってました…」
「…気にするな……」
「いえ…」
そこで僕は立ち上がって頭を下げた。
「本当にありがとうございました!」
周りの3人がはやし立てる。
「よく言った英介!」
「お前、その一言の為に3年半も店に通ったのかよ?」
「すげぇな…」
「憧れの人には簡単に話しかけられませんよね」
マスターまで…。
「ゴーシュも何か言ってあげなよ?」
隣の女性が彼にホレホレと返事を促す。
「ハァ…リコには敵わないな…」
そう言いながら彼は僕に向かって一言。
「今日は飲み過ぎるなよ」
そう言ってくれた。
「は、はいっ!」
嬉しかった。
とにかく嬉しかった。
大学に合格した時よりも、初めて彼女が出来た時よりも。
「あっ、コイツ泣いてんぞ」
「そういうこと言うなよ、龍」
「そんだけ嬉しかったんよねぇ~英介?」
「はいっ!黒井さんは僕のヒーローですから!」
「「「!!!」」」
その一言に周りの3人は大笑いして僕の背中をバンバンと叩く。
僕は滲み出る涙を手の甲で拭きながら満面の笑みを浮かべた。
今日は僕が生きてきた人生の中で最高の日だと感じた。
「で、英介は何してる人?学生?」
隣の女性──典子さんというらしい──が聞いてきた。
「はい、この春から社会人です。どうしても入りたかった会社に来月から行くことが決まりまして…」
「おめでと~」
「俺と年変わんねぇじゃん」
「龍とは全然違うけどな…」
「んだとぉ~」
隣の超絶イケメン2人がじゃれあっている。
「いや、Ryoさんの言う通りです。僕は昔からオタク気質というかインドア派で…。友達も少なくここにもいつも1人で来てましたし…」
「じゃあ、もしここで会ったら俺と一緒に飲もうぜ」
「ッ!いや、そんな僕なんかと…」
芸能人に疎い僕でも知ってる、それも今をときめく横山龍斗からのまさかの誘いに恐縮するしかなかった……が。
「兄貴の話で盛り上がろうぜ!」
「!」
「いいだろ、なっ?」
「それならいくらでもお付き合いしますよ」
「よしっ!じゃあ今日は就職祝いってことで俺の奢りだ」
「だから英介は私と同じで弱いんやってば」
「龍斗のペースで飲ませんなよ」
「フッ……」
あっ、黒井さんが微かに笑った。
初めて見る表情に僕はレアカードを引いた時と同じような気分になった。
「では次はウーロン茶にしましょうか?」
マスターが気を利かせて空のグラスをウーロン茶と交換してくれた。
学生時代には考えられなかった、住む世界が違うカースト最上位の人達との悪意のない純粋な会話が嬉しかった。
彼のファンだというだけで、夢のような一時を過ごしている。
あの横山龍斗ですら憧れる人物。
やはり彼は、黒井さんは僕のヒーローで憧れの人だ。
気づけば背中に痛いくらいの視線を感じながらカウンターいる。
僕はこのままここに居てもいいのだろうか?
今まで生きてきた短い人生の中で、僕は安定の脇役、エキストラ、モブキャラだった。
それが今やアカデミー俳優並みのスポットライトを浴びて店内の客の視線をビームのように受けている。
数年来の目的は果たせたことだし、そろそろ帰った方がいいかもしれない。
そう思っていた僕に龍斗さんが話を振った。
「英介は兄貴目当てに通ってたんだろ?なら他に知ってる兄貴の話とか教えてくれよ」
「黒井さんのことでですか?」
「うん、何か他にねぇ?」
「ふふっ、龍斗さんは黒井さんが大好きなんですね?」
「当ったり前だろ~」
「私も聞きたい!」
そう言って会話に入って来た典子さんを見て思い出したことがあった。
「それなら今、典子さんで思い出したんですが…」
「私?」
人差し指で自分を指しながら不思議そうにする彼女を見つつ、僕は思い出話を始めた。
「あれは2年くらい前だったと思うんですが…」
そう2年ほど前、この店にキャバ嬢の一行がやって来た。
この界隈でNo.1と言われるキャバ嬢を筆頭に近所のホストも含め10数人の大所帯で。
きらびやかな一行に店内の客は気を遣って席をあけ、キャバ嬢達もそれを当然とばかりに受け入れていた。
すでに出来上がっていたのか、大声で騒ぐ一行に困ったマスターは他の客に頭を下げていた。
「その時ですよ!『うるさい』と、一言でそいつらを黙らせた人が…」
「兄貴だなっ!?」
「その通り!」
龍斗さんの目がキラキラしている。
男の僕でも見とれるくらいなんだから、女の子がこの目で見つめられたらイチコロなんだろうなぁ…。やっぱ芸能人って凄い。
でも、その龍斗さんが兄貴と呼ぶ黒井さんはもっと凄い!
あっ、今はそれじゃなかった。
「で、店に入って来た黒井さんをキャバ嬢達がからかい出して…」
「どこのバカ女だよっ!」
「私がひっぱたいてやるわっ!」
「はぁ~、昔の話だろ?大人しく聞けよ…」
ため息をつきながら興奮する2人をなだめるRyoさん。
Ryoさんは見た目通りクールで落ち着いてるなぁ。
僕はそんなことを考えながら話を進めた。
「周りを無視してカウンターに入り、ビールを飲みだした黒井さんに、キャバ嬢の何人かが『カッコつけて』とか『Sキャラで気を引いてんの?』とか絡んでたんですよ」
「アホやな、その女達…」
「そう。黒井さんが一言『黙れっ』と、言い放ったらもう誰も口を開くことが出来なくなって…」
「だろうな…」
「寒気がするほどシーンッとなって、まるで店内の温度が一気に下がった気がしましたよ」
「うん、たぶん下がっとるわ、それ」
ん?どういうことだ?
まぁ、いいか。話の続きだ…。
「酔いが覚めた様子のホストが急いで店を出ようとキャバ嬢らを引っ張ってたんですが、No.1キャバ嬢はプライドが許さなかったんでしょうね。『あんた何様よ?』とか『客に対する態度?』とか『私に命令しないで』とか黒井さんに詰め寄ったんですよ」
「ほいで、ほいで?」
「カッコ良かったですよ~。痺れましたね僕は!」
「だから兄貴は何て言ったんだよ!」
当時を思い出して感慨にふける僕を龍斗さんが現実に戻す。
「黒井さんは『俺もこの店の客だ。客に上も下もない。ただ……この店のルールは俺だ!』ってね」
「「カッコいい━━━ッ!」」
「普通あんな美人に詰め寄られたら平常心ではいられませんよ?なのに、黒井さんは無表情で『帰れ』の一言……」
「カァ━━━ッ、分かる!」
「惚れる!そりゃ男でも惚れるわ。お前も惚れ直しただろ?」
「もちろん!」
「だよなぁ~」
龍斗さんは僕と同じようにホントに黒井さんのことを崇拝しているようだ。萌えポイントが手に取るように分かる、透けて見える、分かり過ぎる。
「で、まだ話には続きがあって……」
「え、何々?早教えてよ」
典子さんも押しが強い、グイグイくるなぁ。
「その場はホスト連中が強引にキャバ嬢達を連れ帰ったんですが、翌日そのホストとキャバ嬢、両方の店のオーナーと黒服が揃ってお詫びに来たんですよ、黒井さんに!」
「「「マジで!?」」」
これにはクールなRyoさんも驚いていた。
「問題を起こした当人達も連れて来ていて、全員で平謝りでしたよ」
「すげぇな兄貴……」
「さすがゴーシュ……」
「何でそこまで?」
「そりゃ、そうですよ」
ここでまさかのマスターがカットイン。
そこからは僕も知らなかった事実が語られた。




