10 出発前から大騒ぎだよ
今度の旅がどれくらいの期間になるのかわからないので、実家とアパートの管理人さんには簡単に事情を説明しておくことにした。田舎の両親は、おれの身の安全より、就職活動に差し障りがあるのではないかと、そればかり気にしていた。むしろ、管理人さんの方が人情味があり、おれに御守りをくれた。もっとも、よく見ると、安全祈願ではなく、安産祈願となっていたが。
出発の日、着替えや洗面道具などをバッグに詰め込んだ。今では、金属製品も気にせず持って行けるから、本当に助かる。技術革新バンザイだ。
今回は覆面パトカーではないので、電車とモノレールを乗り継いで宙港へ移動した。プライデーZは出発前のメンテナンス中、チャッピーとドラードの悪ガキたちは念のため動物病院で検査があり、それぞれ別行動である。
って言うか、おれだけ放ったらかしかよ!
宙港内の黒田星商専用発着場に行くと、例によって、典型的な海賊船が空に浮かび、そこから伸びた鎖が地上の大きな繋船柱に繋留されていた。海賊船の横っ腹にはデカデカと、『耳カキから宇宙船まで、黒田星商なら何でも揃います』と書いてある。
「うーん、今さらだけど、なんだかなあ」
「あら、ご不満?」
真後ろから声がしたので、驚いて振り向くと、黒レザーの上下を着た髪の長い女が立っていた。もちろん、スターポールの元子だ。
「ビックリするだろ! 光学迷彩で他人の背後から近づくなよ!」
元子は苦笑した。
「言葉遣いを変えないって言ってたけど、本当に忖度なしね」
「だって、そういう約束だろ」
「坊やのそういうところ、嫌いじゃないわ」
「そういう言い方はやめろ!」
おれが少し顔を赤らめているのを、元子は面白そうに見ている。
「だって、おあいこでしょ。そちらが言葉遣いを変えないように、わたしも坊やと呼ぶわよ」
「ふん、勝手にしろ」
元子はワザとらしく両手を上に向けて肩を竦めて見せたが、すぐに表情を改めた。
「おふざけはここまで。改めてあなたに任務を伝えるわ。ラー星系のバステト星へ行き、キャットリーヌ姫の誘拐事件を無事に解決すること。その際、対立関係にある双子星のアヌビス星の動向にも充分注意すること。以上よ」
「あのさ」
「何?」
「結局、ネコみたいな住民のいるバステト星に行くことは、最初から決まってたんだよな?」
「そうよ」
「だったら、どうして、おれがイヌ派かネコ派か訊いた?」
「個人的な興味よ」
「はあ?」
「坊やはどう見てもイヌ好きに見えるわ。すぐに感情をむき出しにして吠えるし、やたらと仲間を大事にするし、ちょっと抜けたところがあるし」
「なんだよ、それ。悪口かよ」
元子は笑った。
「違うわ。性格分析よ。でも、そんな坊やでも、実はネコ好きかもしれないじゃない。もし、そうだったら、ちょっと見直したかも」
「やっぱり悪口じゃないか」
そんなやり取りをしているところへ、山ほどの荷物を抱えた荒川氏がやって来た。
「すまんすまん。チャッピーちゃんやカインとアベルに必要なものを揃えようとしたら、この有様じゃ」
おれは、荒川氏の荷物の運び込みを手伝った。
元子は、例によって言いたいことだけ言うと、忙しいからと、サッサと帰って行った。
そこへ、でっかい黒塗りの外車が乗り付けて来た。先日の元子の覆面パトカーより、ずっと高価そうだ。運転席にいるのは黒田氏であった。大企業の会長が自ら運転しているとなると、後ろに乗っているのはシャロンに決まっている。
だが、おれの予想に反して、後部座席から降りて来たのは、ロン毛に口髭の芸術家風の中年男性と、スラリと背の高い美貌の外国人女性だった。その女性は、おれを見るなり駆け寄って来て、いきなりギューッとハグすると、頬っぺたにキスをした。
「オオ、シンヤ、アイタカタ、デース。ワタシ、ナオミヨ」
「ちょ、ちょっと待ってください。あなたは、つまり」
ナオミという外国人女性の後ろから歩いて来た中年男性が、おれのセリフを引き取った。
「シャロンの母親だよ。そして、ぼくが父親の黒田章太郎だ」
章太郎氏が差し出した右手を反射的に握り返したが、咄嗟に「ども」としか言葉が出なかった。
さらに両親の後ろから、思い切り頬を膨らませたシャロンが降りて来た。
「もう! ついて来ないでって、言ったのに!」
すると、章太郎氏は目を細め、「だって、二人の門出じゃないか」と笑った。
「パパ、変な言い方しないでよ! これは仕事よ。スターポールの捜査活動なのよ」
一方、ナオミという母親は、ニコニコ笑っておればかり見ている。
「ワタシ、シンヤ、キニイタ。フタリ、オエン、スルヨ」
おれは居たたまれない気持ちになり、一刻も早く乗船しようと歩き始めたが、パタパタと羽ばたく音と共に、ドサリと何かが頭に乗って来た。ガリッと鉤爪が頭皮に喰い込む。
「痛ててっ。降りろ、カイン!」
おれが叫ぶと、「そっちはアベルじゃよ」と、いつの間にか自分もドラード人の子供を頭に乗せた荒川氏が教えてくれた。ということは、こちらがカインだろう。って、どっちでも同じだよ!
アベルはおれの頭の上で「フーッ!」と威嚇音を発し、荒川氏の頭の上のカインと睨み合っている。おれは振り落とそうと首を振ったが、敵もさるもの、一層力を込めて鉤爪を立ててきた。
「た、助けてくれーっ!」
おれの悲鳴を聞きつけ、向こうから走って来たチャッピーが網状の糸を飛ばした。その瞬間、アベルは飛び立ち、糸はおれの全身に絡みついた。
「何とかしてくれーっ!」
上空を飛ぶジェット音が近づいて来た。プライデーZだ。ロケットパンチを発射しようと、おれに向けて構えている。
「殺す気かーっ!」
バシュッという音と共に飛んで来たパンチは、おれにぶつかる直前、空中でピタリと止まった。息を吞むおれの目の前で、そのままパンチの握り拳が開き、指先で器用にチャッピーの糸を外してくれた。
「ボス、どうです、スゴイでしょう! 新しいロケットパンチは、敵のヘソのゴマだって取れますよ!」
おれはすでに脱力し、「ああ、そう」と応えることしかできなかった。宇宙に飛び出す前に、早くもおれの気力と体力が尽きそうである。