六話:曽根 隼人
魔の大氾濫と呼ばれた悪夢から数日後。
未だ自然災害の爪痕の残る世界に、異変が起きていた。
「なにアレ?」
幻想の生物、異形の怪物、いわゆる魔物が現れ始めたのだ。
「ちょ!?」
「うわわわっ!」
「ギシャアア!!」
それは人の出入りの少ない山道であったり、廃村の近く、放棄された工場地帯など、比較的に人が少ない場所が大半だった。
しかし今魔物が現れたのは、土曜日のショッピングモール街。
身長一メートルほどの緑色の子供。 腰に布を巻くだけの半裸で、醜悪な顔を狂気に歪ませ手にはナイフ、いや短剣を持ち振り回している。 危険に疎い現代人。 逃げると戦うの選択肢は消え、その場で立ち止まりスマホを構える。
「――こっちにも!?」
群衆は複数の魔物にパニックを起こした。
混みあう店の中で人々は押し合い雪崩が起き、結局の魔物の被害よりもこちらでの負傷死傷者の方が多い結果となる。
現れた緑の魔物5体は、駆けつけた警備員を見てすぐに撤退をした。 一人の女性、戦利品を抱えて。 どこかへと消えて行く。 そんな光景は動画にとられネットへと流れていく。
この現象は世界各地で起きている。
予言の一ヵ月を前にウォーミングアップでもしているのか、はたまた前夜祭か魔王の誕生を祝う生誕祭か。
世界各地で魔物が現れ始めた。
三之森町の唯一のショッピングモール前。
「どうなってんだ?」
「知らないし~」
「てかさぁ……はぁぁぁ。 買い物できないじゃん!」
世界で何百万人が犠牲になろうとも、翌週には笑ってショッピングデートにいける学生たち。 身近な者でもない限りは他人事だ。 いやしかし、すぐ目の前でも怪我人や死傷者が出ても、ショッピングの心配とはいやはや。 さすがに周りの目が気になったのか、女二人を連れていた男は場所を移動した。
「行こうぜ」
「待ってよ、隼人~~」
背が高く、体格もいい。 顔は少し目つきが鋭いものの、ホリが深くイケメンといってよいだろう。 特に少し悪ぶっている者がモテる高校時代など楽しいに違いない。 社会に出てから苦労すればいい。
「マッキよってもう隼人んちいこ~~?」
大きなMの看板が目印の若者に人気のファーストフード店。 体に悪そうな物ばかりだが、なにより安くて美味しい。 安くて美味しいは正義である。 体のことなど三十歳を超えてから考えれば良い。
「えへへ、今日は三人でしヨ?」
若いうちは下半身で考えれば良いのだ。 違うか?
「……おう」
男は何かを忘れるように、目を背けるように、今を無駄に過ごす。
今は一人になりたくない。 一人になると、あの日の臭いと光景が、そして手に残る感触が――――。
「隼人?」
「ナニ頼むしー?」
彼の背に冷たい汗は流れ手は汗ばんで顔色は青い。
「……ポテト」
「あはっ、ほんと隼人はマッキのポテト好きだし~~」
若者ばかりの店を後にして、彼らは歩く。
男の家に近づけば車の通りは少なく人もあまりいない。 手に持つ荷物がカサリと鳴る音。 それとはまた違った小さな音が後ろからした。
「あっ」
悪鬼。
「なんで、私を置いてくのよ……?」
まるで悪鬼のような形相をした少女が一人、佇んでいた。
「ごめーんチカ。 誘うの忘れちゃったぁ~~♪」
「ん、今日は用事があるんじゃなかったのか?」
悪鬼の表情は怒鬼へと変わる。
まるでヤカンのように湯気を立てる幻影が見えた。
そして陸上で鍛えられたしなやかな筋肉は彼我の距離を一瞬で詰める。
褐色系元気娘が突撃してきた。
「美咲ぃいいいい!!」
「うひゃぁ!?」
「……まったく」
千佳と美咲のいつもの調子に、隼人は小さく笑った。
「やっと笑ったね、隼人」
「綾香……」
「最近の隼人、変だったよ」
最近とは魔の大氾濫以降のことだろう。 彼にも自覚はあったようだが、どうすることもできない。 心の問題は容易くいやせない。
「今日は三人で……慰めてあげるね?」
たとえ、黒髪ロングの物静かなJKがそういってきても、十人に聞けば十人が美少女だと答えるような、実はドMな彼女がそうはいっても……。
ゴクリと喉をならした彼は、ゆっくりと彼女の手を取った。
「あぁっ! なんでそこぉ、手を繋いでるしーー!!」
「ちょっと綾香ぁあああああーー!」
ちらりと彼の肩から後ろの負け犬を見る彼女の瞳は、今日の一番は譲らないと、強い意志が籠められていた。
「――――ッ!?」
「隼人?」
もう少しで彼の家。
女三人が楽しくおしゃべりをしている様子を後ろから眺めながら、隼人は気づいた。
異形の怪物。
彼らの進む先、夕日を背負う小さな魔物の姿を。
「サイ、トウ……?」
小さな呟きは、彼女たちには聞こえなかった。 しかし彼の視線の先に目を向けると、驚きを露にした。
「うわっ!」
「えっ、あれってモンスター?」
「……二人とも、下がって!」
最近近辺で出没情報が絶えない魔物。 醜悪な顔をした小柄な緑の亜人。 手には短剣。 腰蓑一枚の貧相な服装。 しかし顔に張り付く狂気は禍々しいほどに人類を憎み殺意を放つ。
「――ゴブリン!!」
頭を振り、叫ぶ隼人。
すると怪物は応えた。
「ギヒ、ギ、ギャ――ギャアアアアッ!!」
なぜだろう。 噂に聞くこの緑の魔物は、小さな子供や女を狙い。 数に不利があれば襲ってこない。 まして体格の良い男がいればなおさら。
ネットにはそんな噂であったが、やはり噂かと隼人は構えた。
明確な殺意。
一直線に向かってくる。
足も遅い。
隼人は周りを確認し他に魔物がいないかを確認する。
そして、一蹴。
「セァアアアアアアア!!」
錆びついた短剣ごと蹴り砕くような、豪快な回し蹴りが緑の怪物の頭に決まる。 昔取った杵柄は伊達ではない。 格闘技経験者であれば、一対一ならばゴブリンに引けはとらないだろう。
「――ギァッ!?」
吹き飛ぶゴブリン。
隼人は構えたまま、ゴブリンが起き上がってくるのを待つが程なく紫の煙を上げて消えた。
「さっすが隼人ぉ!!」
「凄いよ!!」
「隼人、大丈夫?」
怪我はない。 しかし隼人の心臓はバクバクと脈動し今にも張り裂けそうなほど激しく鼓動していた。 魔物とはいえ人型を倒したのだ、初めてではないといえ、殺人はいつでも人の心を乱し高揚させアドレナリンを爆発させる。
「あぁ! 俺は大丈夫だ!!」
≪レベルが上がりました≫
頭に響いた謎の声を無視して、彼は彼女たちを連れて家に帰る。
「凄ぃ、しゅごいよぉ、隼人ぉおおおんーー♡」
その日の夜。
興奮の収まらない彼は、三人を相手に大立ち回りを演じたのだった。
三之森町にゴブリンの狂気と、人々の不安と、若い男女の嬌声が響く。
そして。
未だ世界と繋がらない異次元から、白いゴブリンの歯ぎしりの音が聞こえた気がした。