02
一週間後。
真里とみその、そしてアリサは、都内のデパートにいた。
平日の午後なので、休日ほどには混雑していない。彼女たちは学校が終わった後、ここで待ち合わせた。
「あたし、新しいトートバッグが欲しいなぁ~。みそのちゃんは?」
「あたしは帽子新調しようかな。レザーっぽい感じのショーパンもいいな」
「アリサはねぇ、えぇっとねぇ、何にしようかなぁ」
少女たちは口々に、勝手な買い物計画を立てている。
その横で、ジキルはコホンと咳払いをした。
「あんなぁ、お嬢さま方」
「へィ?」
「はーァ?」
「なぁに?」
「いや、アリサはええねんけど。なんで、お前らも一緒におるんや?」
真里とみそのは心外だという顔をした。
「何よーう。四人で来なかっただけ有り難く思いなさいっての」
「そうだよ。まあ、雅香ちゃんと紗菜ちゃんに、おみやげは買ってもらうけどさ」
「いや、せやから、なんでお前らの分までワシが……」
するとアリサが、ジキルのTシャツの裾を引っ張った。
「アリサがさそったの。だって、うまく跳べたの真里ちゃんたちのおかげだもん」
「んうう……ア、アリサがそう言うなら……しゃーないなぁ」
「さすが店長っ! 気前がいーねっ」
真里が手を叩きながらその場でジャンプした。
みそのも腕を組み、当然だという表情で深くうなずいている。
二人は大きなつばのリボンキャスケットを目深に被り、一応は変装していた。
真里は薄い緑色のフレンチスリーブのタンクトップ。襟と袖の淵に黒い線が入っている。ボトムはいつものデニムミニだが、裾の部分に銀色の鋲がちりばめられていて、ややパンキッシュなイメージだ。
みそのは大きなフレームの眼鏡をかけている。もちろん、度は入っていない。服はピンクのむら染めTシャツと、飾りファスナーが縫い付けられた、インディゴブルーのコットンショートパンツである。
確かに一見、どこにでもいる小学生のように見える。しかし、アイドルの華やかな雰囲気は、なかなか隠せるものではなかった。
そういうわけであるから、
「……で、どうして俺までがここに来なくちゃいけないんだ?」
という槍介の問いの答えは、考えるまでもなく、わかり切ったことなのである。ここにいる二人がスターだからに他ならない。
雅香と紗菜の二人は、今日もユニット『MasakaSana』の仕事で別行動である。先日と同様、そちらにはマネージャーの直子が付いている。
「本当は、マネージャーもこっちに来たがってたんだけどね」
みそのが言った。
「どーして?」
真里が尋ねる。するとみそのは、
「人相の悪いおじさん二人で小学生を連れ回してると、通報されるかもしれないからだってさ」
と、淡々と答えた。直後、
「悪かったな!」
男二人の声がハモッた。
そういった類いの周囲の視線にもめげず、成人男性二人は三人の美少女を連れ、デパートのエスカレーターを上に昇った。
途中、子供服売場で時間を費やす。
真里とみそのは目を輝かせて、商品をいろいろと漁った。
「このバッグ、ダンスのレッスン行く時にいいなあ! いっぱい入りそう!」
「この帽子可愛い! 見て見て真里ちゃん、ここが猫耳みたいになってるの」
「うわぁ、かわいいね~っ! ねえ、この髪飾り紗菜ちゃんに似合うんじゃないかな」
「このリボンタイ、雅香ちゃん向きだよ。とってもお嬢さまっぽいもの!」
きゃあきゃあと騒ぎながら、片っ端から商品を抱えて行く二人であった。
「そっちのお嬢ちゃんは、洋服は買わないのか?」
槍介がアリサに尋ねる。アリサは売場の商品にあまり興味を示さず、ジキルの手にぶら下がったままだった。
「うん。だってアリサは、ジキルの作るお洋服がいいんだもん」
そう、アリサは槍介に向かって言い放った。
今日の彼女の服も、ジキルの手によるオートクチュールである。首から胸にかけて黒いレースがふんだんにあしらわれ、その下から赤いタータンチェックの生地が覗いている。ウエストの左右には編み上げリボンが施されて、キュッと絞り込めるようになっている。裾はミディ丈で、四段のティアードスカート。その切り替え部分にも、赤いタータンチェックをギャザーフリル状に加工したものが使われていた。
「アリサは、文房具やオモチャの方がええもんな。あれ何やったっけ、サンリオのでか垂れ耳の白い犬」
「シナモンロールだよ、じきる!」
「ああ、それそれ」
「シナモンロール? 何だそれ、パンか?」
「アホか。おっさん丸出しやな」
ジキルの蔑んだ視線が槍介に刺さる。養女とは言え小学生の娘を持つジキルの方が、キッズの流行には詳しいのである。
槍介は苦虫を噛み潰したような顔をして、やり過ごした。
その時、
「店長ーっ! これだけ買うー!」
「あたしも、これだけ!」
真里とみそのが、会計カウンターに商品を置いた状態でジキルを呼んだ。
店員の姿が見えないほど高く積み上げられた商品を見て、彼は卒倒した。
「お前らなぁ~~~」
と、言いながらも、アリサの手前、渋々と黒色のクレジットカードを出すジキルであった。
その後、一行はファンシー文具売場、玩具売場を回る。
アリサもニコニコと笑いながらショッピングを楽しんでいた。
そして当然、荷物を持つのはすべて槍介である。
「これも俺の仕事のうちだってのか。くそ」
海外で要人警護などを行っていた探偵は、パステルカラーの紙袋を大量に持たされ、疲れた様子でうなだれた。
*
「ねえ、みその、オシッコしたくなっちゃった」
玩具売場で会計を終えた後、みそのが訴えた。
「女子トイレは下の階だぞ」
槍介が言う。
「やだぁエッチ! どーしておじさんそんなの知ってんの?」
「さっき、エスカレーターのところで見取り図を見たからだっ!」
「みそのちゃん、行っておいでよ。あたしたち、待ってるから」
憤慨する槍介を無視して、真里が話を進めた。
「うん、じゃあ行ってくる」
みそのは一人で下りエスカレーターに飛び乗った。
「おいおい、ちょっと待て!」
すぐに槍介が後を追う。彼の本来の仕事はボディガードであるから、みそのを一人にするわけには行かないのだ。
「何か、恥ずかしいなぁ」
「恥ずかしいのは俺の方だ」
「女の子のお尻追っかけてるみたいで、カッコ悪ーい」
「放っとけ。こっちだって仕事なんだ」
言い合いをしている間に、下の階に着く。二人は売場を横切って、階段の近くまで歩いた。
「外で待っててよ。遅くなっても覗いたりしないでね。髪の毛とかしたり、リップクリーム塗ったりするんだから!」
「誰が覗くか! ……ま、でも少し安心したよ」
「ん? 何が?」
「こんな混雑した場所で、お前さんが一人で行動しようとしたことがさ」
「え……?」
「いや、どうでもいいことだったな。早く行って来い。漏れるぞ」
「も、漏れないよ! バカッ」
みそのはベーッと舌を出して、化粧室へと走って行った。
(あたしが……あんな危険な目にあったから?)
そう言えばあの事件の後、確かにみそのは一人ではどこへも行かれなかった。
ようやく心の傷も癒えたということだろうか。
(そのこと、心配してくれてたの……?)
ちょっと心臓がドキドキする。赤くなった顔を見られなくてよかった……そう、みそのは思った。
一方ジキルは、みそのたちを待ちながら、真里に話しかけた。
「合流したら、荷物、車に運んで、どっかで茶ァでもしばくか」
「しばくって何?」
「おぉ、すまんすまん。茶ァ飲むか、いうことや」
「大阪弁ではそう言うの? 面白~い、今度使おうっと!」
新しい言葉を覚えて、真里は大喜びだ。
「アリサ。何がええ? 喫茶店でケーキか? それともマクドとかにするか?」
「うわ。マックって言わないんだ……それも大阪限定?」
「アリサ?」
「ん……? アリサぁ……?」
二人はキョロキョロと周りを見回した。そこには二人の他は、荷物が置いてあるだけだった。
「アリサ! どこ行ってん!」
「アリサ!」
ジキルは慌てて携帯電話を取り出し、アリサに電話をかけた。
真里はゴクッと生唾を飲み込み、その様子をうかがう。
「……あ、もしもしアリサ?」
『じきるー。あのね、今、ワンちゃんのところにいるの!』
「ワンちゃんて……どこやねん? ペット売場か?」
『うん。屋上だよ。あのね、ゆーふぉーキャッチャーとかあるよ。後でやるー』
「アホッ。なんで一人で勝手に行くねん! そこにおれ! すぐ行くから!」
『うん、わかったー』
「ほな、一旦切るで。そっから動くなよ!」
ジキルは電話を切り、ホッと息をついた。
「よかったね、店長。悪い人に連れてかれたかと思っちゃったよ」
「ああ。けど、今一人やからな。早よ行かんと、そうなるかもしれん」
「あたしここで待ってるから、行っておいでよ」
「アホかっ。お前も一人にはさせられへんやろ」
「あっ、そうか」
「取りあえず、荷物持って下の階行こ。神田さんにお前を預けて、ワシはアリサ迎えに行くわ」
「うん!」
ジキルは紙袋を持ち、真里を連れて下りエスカレーターに乗ろうとした。
その時だった。
デパートに、けたたましい非常ベルが鳴り響いた。
「何っ?」
驚いた真里がジキルの腕にすがる。
ジキルは息を飲んで、耳をそばだてた。すぐにアナウンスが流れる。
『館内のお客様にご案内いたします。ただいま八階の食堂街にて、火災が発生いたしました。安全の為、係員の誘導に従って、館外へ避難してください……』
「八階やと!? 屋上のすぐ下やんけ!」
「店長! アリサが……!」
「真里、とにかくまずは下や。神田さんのところに……」
「ダメだよ! 早くアリサを助けに行こうよ! あたしもついてくから!」
「あかん。お前を預けてから上に行く」
「あたしだって、アリサが心配だよ! ねえ! 早く!」
「……わかった。一緒に来い!」
紙袋を投げ出し、ジキルは真里の手を握ると、走り出した。
反対側の、上りエスカレーターは停止している。客を上の階へ上げないための配慮だろう。
ジキルと真里は段を駆け上り、七階へ到達した。
八階から、白い煙がもくもくと下りて来ている。顔が熱くなるほど、温度も上昇していた。
係員の誘導に従って、などとマニュアル通りのアナウンスが繰り返し流れているが、実際は店員も慌てふためいていた。客を誘導するどころか、自分たちの避難さえ危うい状況だ。
ジキルは真里の手をしっかりと握った。ここで真里と離れることはできなかった。避難しようとする人の波に巻き込まれ、怪我をする恐れがある。
「店長! アリサを助けに行こうよ!」
真里がジキルを急き立てた。
*
ジキルは再び携帯電話を取り出し、ボタンをプッシュした。
「アリサ! アリサ、今、どこにおる?」
『じきる……まだワンちゃんのとこにいるよぅ』
受話器の向こうで、アリサはべそをかいていた。すでに火災の状況は把握しているらしい。
「避難してへんのか。まだ屋上におるんやな?」
『だって……ジキルがそこにおれって言ったから、アリサ……』
「ああ、……けど、アリサ。そばに大人の人おらんか? おったら……」
『だれもいないよ…。さっき、エレベーターでみんな下りちゃったもん』
「そうか……わかった。ワシが迎えに行ったる」
『ジキル、はやく来て! 一人でこころぼそいよ…』
泣き出したアリサをジキルは宥めると、一旦電話を切った。本当はこのままずっと通話中にしていたかったが、片手で真里の手を握っているため、携帯を持つと両手が塞がってしまう。
ジキルは真里を連れ、大急ぎですべてのエスカレーターや階段を回った。
しかしいずれも煙で上が見えないか、防犯シャッターが閉まっているか、どちらかだった。
ジキルはチッと舌打ちした。自分一人ならば、炎の横でもすり抜けられる。しかし真里がいる状態で、しかもアリサを救出して、二人を連れて再び八階を通過するのは不可能だった。
「こうしててもしゃーない。一旦、下へ下りよ」
「下りてどうするの? アリサを助けなくちゃ!」
「行けても、帰って来られへん。ここを通るのは無理なんや」
「そんなぁ!」
真里は両手でジキルの腕を掴み、揺さぶった。
「あたしに何かできないっ? 何でもするよ! 言い付けてよ!」
「足手まといになるな。そんだけや」
「うう……」
真里は、自分の無力さを強く感じ、下唇を噛んだ。
そんな彼女の手をジキルは引き、階段を駆け下り始めた。
「店長っ!」
「一度、外へ出る。で、ワシは隣のビルに上る!」
「隣のビル?」
真里はハッと気がついた。
さっき子供服売場で、子供のための遊び場へ続く扉があった。あれは確か、外に通じていた。きっと、テラスか何かなのだろう。
「あそこから……」
「真里、ボーッとすんな。急ぐで」
「店長、一緒に来て! 近道かもしれない!」
「近道て……」
真里はジキルの手を振りほどき、一人で子供服売場へ走って行った。
「こらっ、真里! どこ行くねん!」
慌てて真里の後を追う。足には自信のあるジキルだったが、真里には追いつけなかった。
(何ちゅう速さや、あいつ……!)
真里は、さっき買い物をしたばかりのフロアへ走り込み、テラスへ続く扉を捜した。
「あった!」
ガラス戸を通して青空が見えた。真里はその取っ手に飛びつき、ガラガラと扉を開いた。
そこは、僅かな空間の遊び場だった。人工芝が敷きつめられ、自動販売機とベンチだけが設置されている。
そして、その柵の目の前に、隣のビルの非常階段があった。
真里に続いてテラスに飛び込んだジキルは、真里の行動の意味を理解した。そして、
「真里、二分だけここで待っとれ。勝手に向こうに渡るなよ。ええか!」
と言うと、売場へとUターンした。
真里はテラスから上を見上げた。白い煙が窓から空へ立ち上っている。
(屋上が、もし煙だらけだったら……! アリサ、煙を吸っちゃうよ!)
そう思うと、居ても立ってもいられなくなる。
真里はジキルとの約束を破り、柵によじ昇った。
非常階段までの距離は、50センチほどだった。体を伸ばせば届く程度である。
ここが地上六階であるという事実を頭から振り払い、真里は柵から隣へ飛び移った。
「はっ!」
非常階段の踊り場に着地する。ホッと胸を撫でおろして、そのまま階段を駆け上ろうとしたその時、真里は大声で呼び止められた。
「こらーっ! アホボケカスッ! 動くな言うたやろっ!」
グルグル巻きのザイルを肩から下げたジキルが、真里を怒鳴り付けた。
真里は肩をすくめて、ジキルを見つめた。
ジキルはその場からダッシュして、勢いよく柵に飛び乗ったかと思うと、次の瞬間には真里の隣に着地した。
そして、真里の尻を平手で一回叩いた。
「痛ぁーい!」
「アホ! 言うてもわからんやつは鉄拳や。今度言い付け守らんかったら、パンツ脱がして直にペンペンやで!」
「ふえ~、ごめんなさぁーい」
「けど、よう跳べたな。偉いで、真里」
「う……うん!」
「その勇気。多分もう一度……必要なるで」
「えっ?」
「ほら、行くど!」
「は、はいっ!」
真里とジキルは、ビルの非常階段を駆け上った。




