出会い
キミとであった時の事は今でも覚えてる。
今でも忘れないよ。
キミの声も、その優しい手も。
「ねぇ、速い...よっ」
「急いで」
近代化の進む白亜の長い廊下を、風の様に走りながらキミはボクの手を引く。同じ種族でありながら、有り様の違うキミは確かに詳しく分ければ種族が違う。運動が得意な種族のキミは、運動を得手としないボクの手をしっかりと握って廊下を駆け抜け続ける。
魔法の影響で突然変異したネコであった筈のボク達は、なんの悪戯か人の姿に尻尾と耳が生えた、猫の記憶を引き継いだ亜人として生きている。ボク達のような亜人は研究施設と人間達が呼ぶ場所に一所に集められてボクはそこでキミに出会った。
知らない人間がたくさんいる中、亜人になりたてのボクは人間の言葉が上手く話せずにいてただ怯えるしかできなかった。
『お前は?』
この施設に連れてこられてから初めて猫の言葉を聞いた時、尻尾が震える程嬉しかったのを覚えている。
深夜と名乗るその少年の形をした猫は名前とは裏腹に耳や尻尾の被毛も人でいう髪の毛にあたる部分も美しい白色だった。光にあたり、反射して薄いブルーにも見えるそれはとても美しく、手足と尻尾が長く、身長が高い。被毛に合わせて着せられていると思われる服も白に水縹色のラインの入ったもので、恐ろしくその少年に似合っていた。
『ボク、黒曜っていうの。種族はシンガプーラだよ』
足音無く、深夜の横に座る。
オスメスの違いはあれど、深夜に比べて自分の体は半分しかないんじゃないかと思う程小さかった。尻尾の長さだけ競える位には長かったが。
『黒曜?どこも黒くないけど』
深夜が目を細めてからかう。
言われて見下ろすと視界の端で、肌の色に迫るほどに薄いオレンジと白の被毛の尻尾が揺れた。確かにボクの被毛も瞳も決して黒くはない。瞳に至っては色素の薄い翡翠で、真っ黒というわけでもない。
『人間の言葉はよく分からないけれど、黒曜石っていう石には、透明の緑の石があるんだって。ボクはそれが原因らしいの。ほら、これ』
耳に穿たれた透明に緑が混ざったような石の耳飾りを髪の毛の合間から見せる。深夜は耳元で揺れるその石を興味津々に指で弾きながら小さくへえとだけ相槌を打った。
猫を素体とした亜人は相当珍しいらしく、研究施設と呼ばれるこの施設の中でも深夜とボクの二人だけだった。深夜とは性格も性質も全く違ったけれど、同じ亜人として正反対だからこそ居心地が良く、研究員達に関わらない時間は深夜と過ごすとが次第に増えて行った。
『ヨル』
深夜の事をヨルと呼ぶようになった頃には、共にベットで寝るようになった。夜はもう2歳になるらしい。ボクはまだ1歳に成り立てで早期に飼い主から離れざるを得なかったボクは世界の中心がヨルになりつつあった。
共にベットで寝るヨルとボクを研究員達が慌てて引き離そうとして、ヨルもボクも暴れたのはまだ記憶に新しい。それ位ヨルとは気があっていたし、とても好きだった。ヨルもそれは同じらしく、今日も掛け布団を捲ってお腹の横を示してくる。そこに飛び込んで丸くなるとヨルもボクごと丸くなっててる。眠れない時はヨルの尻尾にじゃれて、ヨルは僕の手の中から尻尾を逃がす。ボクはそれが楽しくて何度もヨルの尻尾を掴む。
『おい、やめろ』
ヨルはさして怒ってもない声で牽制の鳴き声をあげる。少し目尻のあがったとても美しい顔のヨルの頬をボクの肉球...はもう無いけれど、人でいう手のひらでぷにぷにと押す。
この所、ヨルは考え事をする時間が増えている。美しい空色の瞳をしたヨルはその目を細めてボクを見ていた。ボクはヨルが僕を見つめている事に安心してヨルに抱き着くと程なくして眠りの世界へと旅立った。
研究員と呼ばれる人間達に呼ばれる数は圧倒的に僕の方が多い。どうやら、ボクは本当の偶然で亜人になった猫で、ヨルは研究員達によって亜人になった猫なんだそうだ。
三ヶ月ほどたった今では、ボクは猫語だけでなく、何となくなら人の言葉も分かるようになっていた。
野良猫だったらしいヨルに比べて、人に飼われていたボクはヨルに比べて比較的研究員達に友好的であり、ヨルは自分を亜人にした研究員達を好きになれてない事をこの頃には少しずつ理解していた。
ボクは研究員達は別に嫌いじゃないけれど、何故か研究員達は僕に変な装飾を付けたがった。正直ボクはどちらでもいいのだけれど、ヨルはそれを疎ましそうに寝る前に外してはゴミ箱に放り投げていた。研究員達はよくそれを嘆いていた。
「ヨルは悪くないよ」
そんな研究員達にボクは弁護する。決まってなにか研究員達は言い続けたけど、そんな事より研究員達の用事を早く済ませて欲しいとしかボクは思わなかった。
今日も研究というのが終わって、ボク達の部屋に戻る。ヨルは扉の開いた音と足音でボクだと分かるらしく、尻尾を立てて少しだけせわしなく先っぽを揺らした。寂しく思ってくれてたらしい。
「ヨル!」
そんなヨルの行動が嬉しくなってボクはヨルに飛び付いた。ヨルもヨルですぐさま受け止めてくれた。
ヨルはボクが部屋に戻ると必ずボクの両腕を確認する。腕を覆う布を捲って赤い星のように並ぶ針の跡を眉間にシワを寄せてじっと見つめる。
「ヨル、もう痛くないよ?」
新しく出来た赤い星の跡を塞ぐ医療用テープを引き剥がしたヨルは眉間にシワを寄せたまま跡を優しく舐めた。
「擽ったいよ、ヨル」
猫だった時代の時のようにけばだってはいないが、ざらついた舌の感覚が擽ったくてけらけらと笑いながらヨルに降参宣言する。その姿を見て、ヨルはやっと眉間のシワを緩めて苦笑した。
「傷を付けるなんて許せないから」
真剣な眼差しでヨルは呟く。物思いに耽ることが多くなったヨルが少し変わってしまったように感じて寂しさからヨルに身を寄せた。出会った頃より筋肉のついたヨルの体は線の細さを残しながら優美で自分の体との違いに思わずじっくり触れてしまう。
「人間と似た形してるのに、お前はここは育たないらしいな」
じっくりと胸筋に触れていたボクの手を握りとると、ヨルとは全く違う形に成長したボクの胸元にヨルは手を置いた。確かに研究員達の中には胸元が膨らんでいる個体もいた。自分のモノを見るとさして膨らんではいないが多少は柔らかい。対してヨルのモノは固く膨らんですらいない。最近知ったのだが、これはオスとメスの違いなんだそうだ。つまり、ヨルとはボクとは違うらしい。ヨルはオスでボクはメスらしい。その違いは体格の違い以外にもあるのかはまだ良く分からないが、ヨルとボクが違うものだという事が、僕の中でとても悲しい事に感じた。
「研究員達が言ってた、ヨルとボクは違うって」
違う事が距離があるように感じて悲しい。何に距離があるのか、上手く理解できないけれど、目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。
『違っても、俺は気にしないよ』
猫語で優しくそう言ったヨルは綻んだ笑顔を浮かべてボクを優しく抱き締めて満足そうに喉を鳴らした。得体の知れない不安はその抱擁で溶けていく。泣き疲れて寝てしまったボクをヨルは優しくベットに寝かせると決意に満ちた瞳を爛々と輝かせて、僕の背中をいつまでも撫でていた。
研究施設の中は常に一定の気温に設定されていて、外は春だというのに僕達には季節感がわからない。どうやらこの施設に来て半年がたった頃、ボクの髪はとても長くなっていて、ヨルはそれがお気に入りらしく、ベットから起きると器用なヨルは丁寧に二つに結ぶのが定番になっていた。
不器用はボクは真似てヨルの髪を結んだ事もあるが不格好になってしまった挙句、ヨルに「オスは結ばない」と一蹴されてしまってからは毛繕い位しかさせて貰えずにいた。
珍しくヨルとボクを纏めて研究室に連れてこられた今日はどちらかと言うとヨルの生態を調べるのを主とするらしく、大人しく座っていた。
ヨルは眉間にシワを寄せて不機嫌に尻尾を揺らして耐えている。太い注射針にヨルの血液が吸い取られていくのを見てつられて眉間にシワがよった。
「黒曜は本当に深夜が好きなのね」
研究員の中でも比較的優しい女の研究員がそんなボクを見て、苦笑する。何当たり前の事を言ってるのだろうと不思議に思っていると尚更くすくすと笑って続けた。
「黒曜がいると深夜は大人しいから今日は一緒に連れてきたのよ」
ならば1匹の時はヨルはどうしているのか。なおさら不思議に思いながらあくびを噛み殺す。首元につけられた鈴を爪先で引っ掻いてその場で船を漕ぎ始めると視界の端でヨルが不服そうにじっと見つめていた。
足元がぷらぷらしてふわふわする。ヨルのにおいがたくさんする。嬉しいなって思って抱き着くとヨルに窘められた。
『おい、起きろ』
少し焦りの交じる真剣な声に一つ欠伸をして起きるとヨルに横抱きされていた。どうやら、いつもの部屋ですらないらしく、ヨルに至っては研究施設の廊下らしき場所を忍び足で走っていた。ヨルに合図して腕の中から飛び降りると同じく忍び足でヨルの隣を走る。
『ヨル、どういう事?』
この所、ヨルもボクも使わなくなった猫語で、更に自室じゃない所を走り回るヨルに得体の知れない不安に苛まれる。ヨルはそれに一瞥してボクの手を掴むと走るペースをさらに上げて一言だけ呟いた。
『ここから逃げ出す』
ボソリと言われた言葉に息を呑む。
それはかつて、ヨルが1匹の時に実行して失敗し、しこたま怒られたという行為。
まだ幼体だったボクは何となく飼い主がいたことを覚えてる位で、あまりヨルに出会った以前の事で覚えてる事は少ない。だから、僕の記憶は殆どここでヨルと過ごした記憶に終始する訳で。
『怒られちゃうよ』
ヨルがどんな気持ちであの部屋を飛び出したのか、ボクを連れて走り出したのか分からないけれど、反抗的な事をほとんどした事が無いボクには、運動状態とは別に心臓が早く忙しなくなる。
『もう、奴等に好きにされてる所を見るのは嫌なんだ』
後から思い出せば、ヨルの精一杯の告白だったと思う。当時のボクはまだそこまで解釈する程の成長はなく、自分を慮るヨルに嬉しく思う反面、この行為が成功するのかどうかの方が不安で仕方なかった。
白亜の廊下がぱっと明るくなる。猫耳に届く遠くからの騒音と何かを指示する声が聞こえた後に、ヨルの舌打ちが聞こえた。
「見つかった、急ぐぞ」
「ねぇ、速い...よっ」
「急いで」
充分にスピードを出して走っていたのに、ヨルは更にスピードを上げて、どうやらいつの間に覚えたらしい広い研究施設の廊下を淀みなく駆け抜ける。この頃にはヨルに手を引かれ、目一杯走り回る位しか出来ず、呼吸も上がっていた。
最後の曲がり角で立ち止まると、ヨルはボクの方を支柱にして、天井の排気口の柵を蹴り開けて、再び飛び上がると軽く排気口の上に飛び乗った。体力は無いものの、元は猫のボクも乱れた呼吸を短く整えて排気口に飛び上がる。ヨルにワンピースを引っ張りあげられて、素早く上に上がると蓋を閉じてじっと息を二人で潜めた。
「こっちはいないみたい」
「あっちか」
「念の為、もう一度このあたりを探してみるわ」
「任せた」
忙しなく走し去っていく男の姿をどきどきしながら見ている。どうやら、残って探そうとしている女は、あの昼間に微笑みかけてくれた女らしい。ヨルと動向を見守っていると女はこちらを振り向き、優しく微笑んだ。
「幸せになりなさい。その子はレティシアの......」
どうやら、ボク達にというか、ヨルに話しかけているようだった。ヨルはの女を一瞥すると小さくにゃあとだけ鳴き、ボクの手を引くと外に続く道を鼻で探り当て外へと降り立った。
埃と汚れで服や体のあちこちが黒く変色したボク達は黙って手を繋いで研究所の外へ外へと歩く。
遠くで僕達を探す声が聞こえて、ボク達は気の上に体を潜めて夜が明けるまで抱き合って過ごした。
ボク達は人間達に見つからなかった。
キミとボクはこれから2匹で...二人で生きていく。
ツンデレ猫のヨルと天然ボケの黒曜のボケボケラブファンタジーを書きたいなと思い、書き始めました!
自由気ままな野良猫のヨルに家で優しく育てられたイエネコ黒曜がどう適応して行くのか、天然ボケの黒曜がどうやってヨルに恋をして、そしてその恋に気付くのか。年齢設定的にヨルは人間で20歳程度、黒曜は15歳程度なのでゆっくり黒曜の成長をヨルと共に見守ってもらえたらなと思います(笑)